第二十四話 槍の穂先
週末のあいだ、僕は作業台で方眼紙に穂先の形を描き続けていた。
全体の長さに刃の幅、袋穂の口径。描いては消して、消した跡の上にまた線を引く。紙の端には、工房の奥にある小さな炉のことも書きつけてあった。金具を曲げたり焼き戻したりするのにじいちゃんがときどき火を入れている炉で、あれで地金を赤くなるまで熱して叩けば形くらいは出せるんじゃないかと思っていた。
日曜日の夜、形がだいたい決まったので、言われていたとおりじいちゃんに見せた。
じいちゃんは方眼紙の端の「炉」の字のところで目を止めて、しばらく黙っていた。それから老眼鏡を外して僕の顔を見る。
「シンジ。そこから先は、うちの仕事じゃないよ」
「……炉、使っちゃだめ?」
「金具を曲げるのと、刃を鍛えるのは別の仕事だ。焼きの入れ方ひとつで、刃は折れもするし欠けもする。うちでも穂先は鍛えないよ」
じいちゃんは方眼紙の上に指を置いた。
「売る物なら、なおさらだよ。使う人は、それを信じて魔物の前へ出るんだから」
言われて、十層から帰ってきたアイカの左手首を思い出した。ずれなかったブレスレット。あれが途中でほどけていたら、と考えたことがないわけじゃない。
その手にある剣の刃が、もし戦闘の途中で折れていたら…
「……ごめんなさい」
「謝ることはないさ。人の役に立つ物を作りたいと思うのは、とてもいいことだからね」
じいちゃんは眼鏡をかけ直した。
「穂先を鍛えるのは、じいちゃんの知り合いの鍛冶屋に頼もう。古い付き合いで、腕は確かだ。代わりにシンジは図面を引きなさい。どんな穂先が欲しいのか、鍛冶屋が迷わないくらいにね」
「鍛冶屋さんの分も、僕が払う」
「そう言うと思ったよ」
じいちゃんはそれだけ言って、居間へ戻っていった。
図面を引くには、まだ決めなければならないことがいくつもあった。長さも幅も厚みも、重さも重心も。鍛冶屋さんに渡す紙の上では、どの数字も曖昧なままにはしておけない。そこで初めて、ずっと考えないようにしていたことに突き当たった。
これを誰が使うのか?
常連のお客さんの槍なら答えははっきりしている。あの人は突くときに手首が返って、右の刃ばかりが当たる。その動きを見せてもらえば、刃の形や重さをどう合わせるか考えられる。アイカのブレスレットも、アイカの腕の動きを何度も見てから直した。
でも、この穂先を使う人はどんな人か分からない。背が高いのか低いのか、手首が返るのかまっすぐ突くのか。右利きか左利きかさえ知らない。オークションの向こうにいるのは、顔も知らない誰かだ。
誰にでも合う穂先なんて、僕に作れるんだろうか?
作業台に肘をついて、方眼紙の上の線を見つめる。
常連のお客さんの穂先は、何年もかけて持ち主の癖の形になっていた。それは穂先が悪いわけじゃない。使う人の手が、長い時間をかけてそうしたんだ。
なら、新しい穂先のほうから癖を足さなければいい。
左右のどちらにも重みを寄せず、先端が重くなりすぎないようにする。魔力は途中で溜めずに、切っ先までまっすぐ通す。少なくとも、穂先のほうから使う人の手を引っ張らないようにはできる。
それなら、図面に書ける。
「其方、さっきから一度も鉛筆が動いていませんね」
いつの間にか方眼紙の端にスイ様が立っていた。袖に隠した両手を後ろで組み、紙の上の穂先を切っ先から根元まで順番にのぞき込んでいる。
「考えてたんです」
「顔を見れば分かりますよ。それで、決まったのですか?」
「……決まりました。たぶん」
スイ様はそれ以上聞かずに、穂先の絵の真ん中をとことこと歩いていった。ちょうど中心線の上を切っ先のほうへ。
袋穂の口径は、いちばん普及している柄の太さに合わせた。買った人が使い慣れた柄に合わせやすいように。
それに、茎で取り付ける槍であっても、上から被せて差し込める袋穂式なら、そのまま穂先を交換して柄を流用できる。
それから刃の中央に一本の溝を引いた。樋と呼ばれる溝で、昔から刀や槍に彫られてきた。溝のぶんだけ鉄が減るから、先は軽くなる。
ただ、削ればそのぶん鉄は薄くなる。どこまで削っても大丈夫なのかは、僕にはまだ分からない。図面に深さを書く前に、溝の深さでどう違うのか、端材で確かめておくことにした。
じいちゃんの端材の箱から、同じ種類の鋼の切れ端を三本もらった。端材なら、ありがたくもらうと決めている。長さと幅、厚みを揃えてから、浅い溝と中くらいの溝と深い溝をそれぞれ彫る。
一本ずつ万力に挟んで、先に同じ重りを吊るしていく。浅い溝の一本はほとんどしならなかった。中くらいの溝はかすかにしなって、重りを外すとすぐに戻る。深い溝の一本はしなり方が大きく、重りを外してもわずかに曲がったままだった。
金槌で叩くと、深い溝の一本だけがどこか頼りない音を返した。
「樋はね、欲張ると負けるんだよ」
背後から手が伸びて、じいちゃんが深い溝の一本をつまみ上げる。溝の縁を爪の先でなぞって、また箱の上に戻した。
「軽くしたいときほど、手が止まらなくなる」
端材でこうなったからといって、刃でも同じとは限らない。図面にはひとまず、中くらいの一本より少し浅い値を書き、その横に小さく「希望」と添えた。
樋の底は、鍛冶屋さんに平らに仕上げてもらうよう書き添えた。そこに回路を彫る。袋穂の付け根には、魔石を据えるための小さな座を残してもらう。鍛えるのは鍛冶屋さんの仕事で、そこに魔道具としての仕掛けを作るのが僕の仕事だ。
図面を見せると、じいちゃんは一枚ずつ時間をかけて目を通した。何も書き足さないまま、樋の深さのところで指を止める。
「希望はこれでいい。ただ、ここは向こうに任せなさい。無理なら浅くしてくるよ」
「うん」
じいちゃんは最後の一枚をめくって、その隅を指で叩いた。
「回路は、何で引くんだい?」
「鋼に溝を彫って、魔石の粉を詰めるつもりだった」
「鋼なら、ミスリルを使いなさい」
月曜日の朝、じいちゃんは図面を写真に撮って鍛冶屋さんへ送った。昼前に届いた返事には、樋はこの深さで仕上げられるということと、使える地金の種類と寸法が書いてあった。じいちゃんがそれを問屋へ伝えて、午後には問屋のおじさんが細長い木箱と小さな桐箱を持って勝手口から入ってきた。
細長い木箱には、鍛冶屋さんの条件に合う鋼の地金が三本入っていた。その中から、向こうへ渡す一本を選ぶ。窓から差す光の下で持ち上げ、端から見通して曲がりを見る。どれもまっすぐで、見た目ではほとんど区別がつかない。
「音も聞いてごらん」
じいちゃんが小さな金槌を差し出した。
一本ずつ吊るして叩いてみると、澄んだ音が長く続くものもあれば、わずかに濁って早く消えるものもあった。違いがあることは聞き取れる。けれどその違いが鉄の中の何を表しているのかまでは、僕にはまだ見当がつかない。
じいちゃんの顔を見ても、何も言ってくれない。今は違いに気づければそれでいい、ということなんだろう。
いちばん長く音が残った一本を選んだ。
桐箱のほうには、銀白色の細い線が一巻き入っていた。
ミスリルは迷宮の深い層で採れる金属だ。魔力をよく通すから魔道具の回路に使われる。教本で名前は知っていたけれど、実物を見るのは初めてだった。光にかざすと、白い中にかすかに青みが走る。
その代わり、高い。
おじさんが言った値段を聞いて、穂先全体をこれで作るなんて考えないほうがいいと分かった。鋼は武器の体と刃で、ミスリルは魔力の通り道。使うのは回路の溝を埋める分だけでいい。
その晩、帳面の「シンジ」の頁に行が増えた。
魔道具用鋼材、一。魔石(中ランク)、一。その下に鍛冶屋さんの名前と「穂先鍛造」、それからミスリル線。帳面の上でスイ様が、増えた行を一つずつ指でなぞっている。
穂先が届いたのは、年が明けてからだった。
作業台の上で穂先を包んだ布を開いたとき、最初に思ったのは、図面の線がそのまま鉄になっている、ということだった。
鍛えた肌は黒っぽく、刃にはもう鍛冶屋さんの研ぎが入っている。樋はまっすぐに一本通っていて、底は平らだった。袋穂の付け根には、頼んだとおりの小さな座が残してある。
「若いのが引いた図面だろうって言ってたよ」
じいちゃんは穂先を包んでいた布をたたみながら言った。
「だけど、樋を欲張っていないのがいい、だとさ」
うちの見習いだとしか言っていない、とじいちゃんは付け加えた。それでも、顔が熱くなった。
受け取ったら、まず確かめる。
手のひらに載せると傾き方は図面で決めたとおりだった。先へ倒れようとせず、根元に向かってわずかに重みが残る。ノギスで切っ先の近くと真ん中と根元の三か所を測り、左右の厚みを比べる。何度測り直しても、読み取れる範囲では同じ値だった。刃を横から見通しても、反りはない。
最後に、袋穂の軸と刃の中心がずれていないかを確かめる。
袋穂に合う仮の柄を差し込み、じいちゃんにも見てもらいながら芯のずれを調べた。柄を回して向きを変えても、切っ先はぶれずに同じところを向いている。樋も、その軸に沿ってまっすぐ通っていた。
確かめた軸を基準に、樋の底へ薄く中心線を記す。罫書き針を持つ手を途中で止め、刃を裏返してもう一度見比べた。線は切っ先までまっすぐつながっている。
刃の中心は確かめた。今度はそこへ、魔力の通り道を重ねていく。
刺突強化の術式は、じいちゃんの教本にも載っている定番だ。突いた瞬間に使う人の魔力を切っ先へ集めるので、同じ力で突いても深く入る。槍を使う人なら、たいていはこの術式の入った穂先を持っている。
だから術式そのものには手を付けない。変えるのは線の置き方だった。
魔力は使う人の手から柄を通り、袋穂の付け根に来る。そこに据えた中ランクの魔石が受けて、回路へ送り出す。樋の底に記した中心線に沿って、細い溝を彫っていく。
常連のお客さんの穂先は、根元で魔力が溜まっていた。古い型の回路は、根元から先まで同じ幅だった。突いた瞬間に魔石から来る量に対して、入口が狭すぎたのかもしれない。
かといって、先へ行くほど細くすればいいという単純な話でもない。
魔石から出てくる量と、穂先の長さと、切っ先に集めたい量。その釣り合いで、ちょうどいい幅は場所ごとに変わる。溝を彫っては魔石に指を当て、魔力をひとしずくだけ流し、もう片方の指先で溝の底をなぞった。
指先には温もりに似た感触が伝わってくる。それが膨らむところでは溜まり、薄くなるところでは流れが弱い。そのたびに幅を整えた。
三日目に、根元から切っ先近くまでは、温もりが膨らみもせず痩せもせずに通るようになった。ところが、切っ先の手前で左へ逃げる。もう一度なぞっても、やはり左だった。
ルーペで溝をのぞき込んでも、どこが曲がっているのか見つからない。中心線から外れているところはどこにもないのに、魔力だけが左へ寄っていく。
「其方は、いつも同じ側から刃を入れますね」
ルーペの向こうで、スイ様が言った。工具立ての罫書き針に、小さな手を添えている。
「……同じ側?」
「右からです。どの線も」
言われて、彫刻刀を握った自分の右手を見た。
細い溝を彫るとき、僕はいつも右から刃を当てている。作業灯の角度を変え、溝を横からのぞき込むと、右の壁と左の壁では光の当たり方がわずかに違った。左だけ、斜めに寝ているように見える。魔力はその傾きに沿って流れていたんだろうか?
癖は、使う人だけが持っているものじゃなかった。作る僕の手にも、ちゃんとある。
穂先を万力から外して、向きを逆にして挟み直す。向きを変えながら溝の左右を少しずつ整え、そのたびに魔力を流してみる。左へ逃げる感触が消えるまでには、何度も持ち替えなければならなかった。
溝が揃ってから、ミスリルにかかった。
先に端材の鋼で練習した。短く切ったミスリル線を溝に置いて、魔力を少しずつ通していく。銀白色の線がふっと柔らかくなって、溝の中へ沈んでいく。魔力を止めると、そのまま固まる。
最初の一本は魔力を流しすぎて、ミスリルが溝からはみ出した。次は絞りすぎて、途中からうまく沈んでくれない。溝の幅が変わるところでは流れ方も変わるから、同じ調子で魔力を通すと、細いところで溢れ、太いところで足りなくなる。
端材を五本使って、ようやく溝の幅に合わせて魔力の量を変える加減がつかめてきた。
本番の穂先では、根元の魔石の座から切っ先へ向けて少しずつ進めた。溝の幅が変わる手前で一度手を止めて、魔力を絞ってから先へ送る。ミスリルが溝の縁まで満ちたところで止める。
それでも、ところどころ盛り上がりは残った。
細かい砥石で、溝の縁と同じ高さになるまで削る。削りすぎれば回路の断面が欠けるから、指先で何度も段差を確かめながら一往復ずつ進めた。
全部埋め終えて、魔石に指を当てる。
魔力を流すと、樋の底の銀の線に沿って、指先に温もりが返ってくる。溝だけだったときとは比べものにならないくらい、流れが速い。温もりは途中で膨らむこともどちらかへ逃げることもなく走り、切っ先の一点まで抜けてふっと消えた。何度確かめても、流れは乱れない。
仕上がりをじいちゃんにも見てもらってから、店で使っている試し用の柄に穂先を取り付けた。
袋穂は柄の先に吸い付くように収まった。柄を両手で持って、ゆっくり前へ突き出してみる。穂先は柄の延長にまっすぐ伸びて、左右のどちらにも振られる感じがない。持ち上げても、先端ばかりが重くは感じなかった。
これでどれだけ深く突けるのかは、僕には分からない。
槍を使ったことはないし、迷宮で魔物を突いたこともない。確かめられたのは重さの釣り合いと、刃が柄の軸から左右どちらにも寄っていないこと、それに魔力が溜まらずに切っ先まで抜けることだ。地上では、刺突強化そのものは働かない。
あとは、使う人の手が決める。
その夜、作業場の明かりを落としたあとも、僕は作業台の前に座っていた。
布の上の穂先は、窓から入る街灯の光を樋の中に細く溜めている。銀の線が、その底に一本、まっすぐ沈んでいた。
「きれいな器ですね」
スイ様が、穂先の切っ先のそばに膝をついていた。白い面を刃に近づけて、根元から先までを一度だけ見通す。それから、しばらく黙っていた。
「この器は……誰かが、気に入るかもしれませんね」
明かりのときとは、言い方が違った。
僕は返事をしなかった。神様が来るかどうかは、僕に決められることじゃない。じいちゃんとの約束もある。説明に書けるのは、僕が自分で確かめて請け合えることだけだ。
それでも、スイ様の言葉は耳に残った。
出品は週末の夜にした。
写真は三枚撮った。刃の腹に光を当てて、樋と銀の線が見えるもの。袋穂の口を正面から写したもの。それから、試し用の柄に取り付けて横から全体を写したもの。画像には袋穂の内径や各部の寸法と、量っておいた重量を書き添える。
説明文は、またじいちゃんと二人で考えた。
「左右の厚みを揃えています、と書くなら、それは請け合えるかい?」
「測った。三か所、何回も」
「なら、書いていい」
じいちゃんはそう言って、画面の文面を指でなぞった。
『鋼製の槍の穂先です。袋穂式のため、取り付ける柄の径を事前にご確認ください。刺突強化の術式を施し、回路にはミスリルを用いています。魔石は中ランクです。重さが左右に偏らないよう整え、刃の厚みも左右で揃えています。魔力が途中で滞らず、切っ先まで通るよう回路を調整しています。寸法と重量は画像をご確認ください。柄は付属しません』
神様のことは、どこにも書かなかった。
開始価格はじいちゃんと相談して、明かりのときよりずっと高くした。鍛冶屋さんへの支払いもミスリルの代金も、帳面に書いてもらった分は全部、僕が払う。
出品ボタンを押して、スマホを作業台に伏せた。
今度は、最初の通知が来るまでに五分かかった。
二件目、三件目と明かりのときよりゆっくり入札が積み上がっていく。槍を使う人は、明かりを使う人ほど多くないんだろう。そう思いながら画面を見ていると、四件目で数字が大きく跳ねた。
それまでの入札をまとめて飛び越えるような金額だ。
入札者のIDを見て、指が止まった。見覚えがある。木の葉のイヤリングを落札した人だ。
出品してから、まだ一時間もたっていない。様子を見るような額じゃなかった。最初から取りにきている金額だ。
「其方。知っている方ですか?」
スマホの横から、スイ様が面を寄せてくる。
「……一度だけ、買ってもらったことがある人です」
あのときのイヤリングは、木の葉の形をしていた。耳に下げる、小さな飾りだった。
あの人は、槍を使うんだろうか?




