第二十三話 売れた金で
「あと、五分で終わりますよ」
言われなくても分かっていた。作業台に立てかけたスマホの画面で、終了までの残り時間が一秒ずつ減っていく。その上の現在価格は、さっきから見るたびに書き換わっていた。
スイ様はスマホの横にちょこんと座って、両手を袖の中へしまっている。この一週間、夜に画面を開くと、いつの間にかこうして隣にいる。数字が変わると白い能面がわずかに前へ出る。
出品してから七日。入札の通知は最初の晩ほど立て続けには来なくなったけれど、止まりもしない。朝起きると数字が上がっていて、学校から帰るとまた上がっている。じいちゃんと二人で「手作りの明かりとして普通に買われるくらい」と開始価格を決めたのが、ずいぶん前のことに思える。
残り三分で、また一件。残り一分で、二件続けて。
最後の数十秒は、数字が変わるたびに画面が小さく揺れた。誰かと誰かが終わる直前まで競り合っている。それが僕の作った革の明かりをめぐってのことだというのが、どうにもうまく呑み込めない。
残り時間がなくなると、画面が一度白くなって終了の文字が出た。その下には、もう動かない落札価格がある。
僕は指で、その数字の桁を一つずつ数えた。最後まで数えて、もう一度最初の桁へ指を戻した。
「其方、指が震えていますよ」
「……震えますって、流石にこれは」
開始価格から、さらに桁が一つ増えていた。管理棟の売店にある電気式のライトなら、棚の端から端まで買えてしまう。
材料はじいちゃんの仕事で出た革の切れ端と、缶に入っていた低い等級の魔石の欠片だ。手間はかかったけれど、自分で買った材料は一つもない。
スイ様は面を画面に近づけて、しばらくその数字を眺めていた。
「人の通貨として多いのですか?これは」
「多いです。すごく…と言うよりかなり」
「ふむ、そうなのですか」
それきりスイ様は、袖の中で手を組み直しただけだった。人間のお金の多い少ないは、神様にはあまり関係がないのかもしれない。
落札したのは最後まで競っていた二人のうちの一人だった。短いIDの横に、取引用のメッセージが表示されている。
『落札させていただきました。届くのを楽しみにしています』
その短い文面に、イヤリングのときと同じ定型の返事を打ちかけて、指を止めた。少し考えてから一行だけ足す。
『ご落札ありがとうございます。点灯の際は、手袋のままで構いませんので、親指で胸元のくぼみを探ってみてください』
返事を送って、親指でもう一度だけアミュレットのくぼみをなぞった。台紙へ留めて二本の紐が絡まないように整え、薄紙で包む。箱へ収めてから、ふたを閉めた。
発送には、イヤリングと同じようにサイトの匿名配送を使う。僕の名前も工房の住所も、相手には伝わらない。相手が知る作り手の名前は、今までどおりSHINだけだ。
その晩のうちに、落札できなかった人たちからも問い合わせが届き始めた。同じ物をもう一つ作ってもらえませんか?次の出品はいつですか?色違いや、もっと明るい物はありませんか?
同じ物なら、たぶん作れる。革の切れ端はまだ箱にあるし、回路の線幅も座の傾きも方眼紙に残してある。三日くらいあれば、同じ形に仕上げるところまではできるだろう。
でも、そうしようとは思わなかった。じいちゃんとの約束は、一つ出して様子を見ることだ。それに、同じ物をもう一度彫るより、次は別の物を作ってみたかった。
個別の注文は受けていないことと、次の出品はまだ決めていないことを返事に書く。そのあいだも頭の片隅では、次は何を作ろうかと考えていた。その晩は、なかなか寝つけなかった。
落札した人からメッセージが届いたのは、それから一週間あまりたった月曜日の夕方だった。
期末試験が終わり、あとは終業式を待つだけになっている。学校から帰って作業場のストーブに火を入れたところで、ポケットのスマホが震えた。取引のメッセージ欄に新しい一件が入っていた。
『先週届き、週末の探索でさっそく使いました。正直に言うと、明るさは普通です。なのに、妙に使いやすいと思いました。教えてもらった通り、手袋のまま胸元を親指で探ると、迷わず点けられました。それから、後ろを歩いていた仲間に「今日はまぶしくない」と言われました。いつもは頭のライトで振り向くたびに文句を言われていたので、それが一番うれしかったかもしれません。大事に使います』
読み終えて、もう一度頭から読んだ。「明るさは普通です」のところで笑ってしまう。そのとおりだ。明かりの回路は教本から選んだもので、特別明るくなるような工夫はしていない。
親指が収まるくぼみ、魔石を斜め下へ向ける座の傾き、左右の紐。三日かけて詰めたのは、そういうところだ。写真で見ただけでは、どれも何のための細工なのか分かりにくい。説明文には書いたけれど、あの長い文章を最後まで読んでくれる人がどれくらいいるのか、自信はなかった。
この人は、それを暗い通路で見つけてくれたんだ。手袋をはめたまま、仲間を後ろに連れて。
今日はまぶしくない。その一文をしばらく見つめていると、古いヘッドライトの光を顔に受けて目を細めたじいちゃんが浮かんできた。
「随分とうれしそうですねぇ。其方は」
顔を上げると、スイ様が方眼紙の上をこちらへ歩いてくるところだった。小さな沓で升目を一つずつ踏み、紙の端で立ち止まってスマホの画面をのぞき込む。
「……はい、うれしいです。明るさは普通だって」
「褒められているのに、普通と言われたところで喜ぶのですか?」
「そこがいいんですって」
スイ様は面を伏せて、それ以上は聞いてこなかった。分かってくれたのか、人間はおかしなことで喜ぶものだと思ったのかは、白い面からは読み取れない。
翌日、じいちゃんの作業台には一本の槍が載っていた。常連のお客さんが穂先の手入れに持ち込んだものだ。柄は黒っぽい堅い木で、握るあたりだけ色が抜けて白っぽくなっている。何年も同じ人の手が同じところを握り続けてきた跡だった。
じいちゃんは柄から外した穂先を布の上に寝かせて、研ぎの具合を確かめている。僕は自分の作業台で手を動かしながら、何度もそっちを見ていた。
自分の作業がひと区切りついたところで、隣へ行ってのぞき込む。刃の根元に彫られた回路の溝が、一か所だけ黒ずんでいる。焦げたようなくすんだ色だ。
「そこで詰まるんだよ」
僕が見ているのに気づいたのか、じいちゃんがその溝を指で示した。
「古い型の回路でね。突いたときの魔力が先まで抜けきらずに、ここへ溜まるんだよ。刃の減り方も偏っているね。この人は突くときに少し手首が返るんだ」
「直すの?」
「直せるところはね。でも溝を全部彫り直すなら、穂先ごと替えたほうが早いんだよ。柄はこのままでいいって本人も言ってる」
じいちゃんは白くなった握りを手のひらで撫でる。
「柄は、なかなか替えられないものだよ。手が覚えているからね」
じいちゃんが穂先の根元をこちらへ向け、布ごと差し出してくれた。両手で受け取ると、思っていたより先が重い。手のひらに載せただけで、切っ先のほうへ傾こうとする。鉄の塊としてはこれで普通なのかもしれないけれど、この重さが柄の先についたまま何度も突き出されるんだと思うと、手首の返る癖も分かる気がした。
刃の真ん中の筋を目でたどる。根元のほうはまっすぐなのに、先へ行くほど右の刃だけがわずかに細い。手首の返る突き方で右の刃ばかりが当たれば、研ぎ直すのも右ばかりになる。何年もそれをくり返すうちに、切っ先が真ん中から逃げていったんだろう。
柄はそのままで、穂先だけを替える。使う人の手が覚えている物を残して、刃の形や回路を整える。アイカのブレスレットで、使い込まれた真ん中を残して端だけ編み直したときのことを思い出す。
そうだ、次は穂先にしよう。明かりの次は手に持って使う物がいいと、なんとなく思っていた。それが今、目の前の一本の刃の形につながった。
水曜日に、売上の入金の知らせが来た。サイトの手数料を引かれたあとの金額が、短い通知の文面に載っている。落札価格を見たときほどは驚かないだろうと思っていたのに、画面を二度確かめた。手数料を引かれても、桁は減っていない。
「それで、其方」
作業台の上でスイ様が言った。根付の狐の頭に腰かけて足をぶらぶらさせている。
「その数字で、何をするのです?」
すぐには答えられなかった。欲しいものがないわけじゃない。新しい彫刻刀も、もっといい拡大鏡も欲しい。けれどそう考えてから最初に目が行ったのは壁際の棚だった。
穂先を作るなら鋼がいる。魔道具に使えるようにちゃんと鍛えた地金だ。魔石も明かりに使った白っぽい欠片では足りない。中ランクくらいの魔石が一つ欲しい。
どちらも工房の棚にある。二段目には、じいちゃんが仕入れた鋼材が油紙に包まれて並んでいる。魔石は鍵のかかる引き出しの中だ。今まで僕は使いたい物があれば「これ、使っていい?」と聞くだけだったし、じいちゃんも「いいよ」と答えるだけだった。
狐の根付の緒締玉にした魔石も、もとはじいちゃんが持っていたものだ。
本来なら、じいちゃんが魔道具の作製に使うはずだったものだろう。
今度作るのは売る物だ。端材の革と欠片の魔石で作った明かりにあの値段が付いて、その売上は僕の口座に入っている。それなのに次の材料は、じいちゃんの棚からただでもらう。それは、筋が通らない気がした。
スイ様が狐の頭から降りて、烏帽子を片手で押さえながら棚を見上げていた。僕の視線を追ったらしい。
「あの棚の物は、あの者の物なのですか?」
「じいちゃんの、店の物です。お客さんの仕事に使う」
「其方も、いつもあそこから取っていましたね」
「……はい」
スイ様はそれだけ言って、何も足さなかった。長い髪を肩の後ろへ払って、また狐の頭へ戻っていく。
僕は通知の画面を閉じて、棚の二段目をしばらく眺めていた。
その晩、店のシャッターを下ろしたあと、じいちゃんは帳場で仕入れ帳をつけていた。
使い込んだ布張りの帳面に、問屋の名前と品名と数を細い字で一行ずつ書いていく。電卓は使うけれど帳面だけは昔から手書きだ。僕はじいちゃんの向かいの丸椅子に座って、じいちゃんの手が止まるのを待った。
「何だい?さっきから」
じいちゃんは顔を上げずに言う。
「じいちゃん、これから作って売る物の材料のことなんだけど」
鉛筆が止まった。
「売る物に使う材料は、じいちゃんに仕入れてもらって、仕入れのお金は僕の売上から払いたい」
じいちゃんは老眼鏡の上から僕を見る。
「端材くらい、いいんだがね」
「端材は、ありがたくもらうね。でも、次は鋼と魔石がいるんだ。ちゃんとしたやつ。それは払いたい」
じいちゃんは鉛筆を帳面の上に置いた。しばらく何も言わずに僕の顔を見ている。ストーブのない帳場は冷えていて、自分の吐く息がうっすら白い。
「明かりの魔道具は、いくらになったんだい?」
スマホを出して入金の画面を見せた。じいちゃんは眼鏡をかけ直して画面に顔を近づけ、それからゆっくり体を起こす。
「おやおや、これはすごいね」
それだけだった。
「売ったお金で次の材料を買って、それでまた作る。そうしたいんだ。じいちゃんに聞いて、棚からもらっていくだけじゃなくて」
言いながら、うまく伝わっているか気になった。端材を分けてもらえるのは、今もありがたい。ただ、自分の名前で売る物に使う鋼や魔石は、今度から自分で払いたかった。
じいちゃんは何も言わずに帳面をめくり、今月の頁を過ぎて何も書いていない頁まで進めた。鉛筆を取り直して、頁の一番上に字を書く。
シンジ、と。問屋の名前を書くときと同じ大きさで、同じ書き方だった。
「昔ね」
鉛筆の先を見たまま、じいちゃんが言った。
「じいちゃんが修行した親方の店で、同じことを言ったよ。今のシンジより、もう少し年は上だったかね?自分の名前で初めて品物を納めたあとだ」
「その親方、なんて言ったの?」
「何も。黙って帳面に名前を書いて、それきりだった」
じいちゃんはそこで口をつぐんで、鉛筆を持ち直した。じいちゃんが自分の若いころの話をするのは珍しい。
「何がいる?」
「魔道具用の鋼材と、中ランクの魔石を一つ」
「何を作るんだい?」
「槍の穂先」
じいちゃんの目が、作業場のほうへ一度だけ動いた。作業台の上には、まだあのお客さんの槍が布をかけて置いてある。
「……見ていたね、あれを」
「見てた」
じいちゃんは鉛筆の先を紙に当てたまま、何か言いかけるように一度だけ口を開いた。けれど何も言わずにうつむき、小さく鼻を鳴らす。笑ったのかどうかは分からない。そのまま鉛筆が紙の上を動き始めた。
「値段は、うちの仕入れ値で付けておくよ」
「店の値段でいいよ」
「孫から儲けるほど、困っちゃいないよ」
じいちゃんはそう言って、品名をもう一行書き足した。
いつの間にか、スイ様が帳場の机の端に立っていた。開いた帳面の横から、じいちゃんの手元をのぞき込んでいる。
「あの方の字は、きれいですね」
返事をしかけて、慌てて口を閉じた。じいちゃんにはスイ様の声が聞こえない。
「何だい?」
「なんでもない」
スイ様は袖の中に手を隠したまま、帳面の上の字を一つずつ追っている。
「人の子は、家の中の貸し借りまで書きつけるのですね」
貸し借りじゃないです、と言いかけて飲み込む。貸してもらうんじゃなくて、買うんだ。でも、なぜ自分で払いたいのかまで伝えようとすると、すぐには言葉が見つからなかった。
じいちゃんは鉛筆を置いて、老眼鏡を外す。
「問屋が来るのは、週明けだよ。鋼は何種類か持ってこさせるから、自分で見て選びなさい」
「うん」
「穂先のことは、形が決まったら一度見せなさい」
「分かった」
「それから」
じいちゃんは眼鏡をたたんで、胸ポケットにしまった。
「いくらで売れたかは、学校では言わないほうがいいね。学校でなくても、誰にもだ」
「言わないよ」
「そうだね。シンジは言わないね」
じいちゃんはそう言って帳面の上に手を置く。乾いた手のひらが、書いたばかりの字の横をゆっくり一度だけ撫でる。それから帳面を僕のほうへ向けてくれた。
シンジ
魔道具用鋼材、一
魔石(中ランク)、一
じいちゃんの細い字で、それだけが書いてあった。
「其方は、払うのですね」
机の端で、スイ様が小さく言った。僕は帳面を見たまま、じいちゃんに聞こえないくらいの声で答える。
「払います」
頁の下のほうには、罫線だけが引かれた空の行が、ずっと続いていた。




