第二十二話 千人
第二章になります。
よろしくお願いします。
「九百八十七……九百九十一……あ、また増えた」
さっきから、作業台の端に立てかけたスマホの画面を何度も指でなぞっている。
見ているのは、オークションサイトの出品者ページにあるお気に入り登録の人数だ。画面を引き下ろして離し、読み込み直されるのを待つ。そのたびに一人か二人ずつ増えていた。
「其方。先ほどから飽きもせず、そればかり見ていますね」
いつの間にか根付から降りてきたスイ様が、作業台の上をとことこ歩いてきた。
スマホの横に立ち、能面を画面へ近づける。烏帽子の先が画面の縁にこつんと当たった。
「だって、どんどん増えるんですよ?」
「見ていれば、もっと増えるものでもないでしょうに」
それはそうだ。そうなんだけど、目が離せない。
スイ様も面を画面に向けたまま動かなかった。
十月の半ば、この数字は二十六だった。それが、いつの間にか千に届きかけている。
何かを出品したわけでもない。サイトに載っているのは、もう取引が終わった木の葉のイヤリングと、それよりもっと前に売れた小さなペンダントや髪留めなどの写真だけだ。それなのに数字だけが、僕の知らないところで膨らんでいく。
石の子や木の葉の子たちが噂していた、とスイ様は言っていた。人間のほうでも、たぶん同じようなことが起きているんだろう。
イヤリングの人が仲間の誰かに話して、その誰かがまた別の誰かに。どこでどう話が伝わったのかは、画面のどこにも書いていない。
窓の外では、路地の向かいの柿の木がすっかり葉を落としていた。
十二月に入って、朝の作業場は靴下を履いていても足の裏が冷える。ストーブの上で、やかんが小さく鳴り始めた。
九百九十六。
画面を伏せて、大きく息を吐いた。
問い合わせも毎日のように届いている。
ほかの作品は出さないのか?注文は受けないのか?色違いはないのか?
どれにも、十月のころと同じ文面を返していた。新規出品はお休みしております。個別のご注文もお受けしておりません。
同じ文面を打って送る。それを一日に三回も四回も繰り返していると、指が文面を覚えてしまった。
その晩、夕ごはんのあとで、居間のちゃぶ台にスマホを置いてじいちゃんに見せた。
じいちゃんは老眼鏡をかけ、画面の数字をしばらく見ていた。それから眼鏡を外して、目頭を指で押さえる。
前にイヤリングの人から神様の連絡が来たときと、同じ仕草だった。
「千人かい?」
「うん、もうすぐ届きそう」
「そうかい」
じいちゃんは湯のみを両手で包んだ。
「……少しずつ、出してもいいかなって思ってる」
言ってから、じいちゃんの顔を見た。
驚いた様子はない。僕がいつかそう言い出すことを前から分かっていたみたいだった。
「どうして、そう思ったんだい?」
「毎日、問い合わせが来るんだ。ほしいって。それに、作ってるうちに、使ってもらいたいものがいくつかできて」
じいちゃんはしばらく黙ってから、ゆっくりうなずいた。
「なら、まずは決めておくことがあるね」
「うん」
「名前はSHINのまま。それ以外に、シンジのことが分かるものは何も出さない」
「うん」
「神様のことは説明に書かない。宿られるかどうかは、誰にも分からないからね。書いていいのは、シンジが自分で確かめて、請け合えることだけだ」
「うん」
「それから、一度にたくさんは出さない。一つ出して様子を見て、それからまた考える」
じいちゃんは指を三本折り、湯のみに目を落とした。
「人が集まると、いろんな人が来るよ。ほとんどは、いい道具がほしいだけの人だ。でも、そうじゃない人も、いつかは来る」
それ以上は言わなかった。
じいちゃんの指が湯のみの縁をなぞっている。いつもより、長い。
「……分かった」
僕がそう言うと、じいちゃんは湯のみを置いて、ようやく少し笑った。
「それで、何を作るんだい?」
最初の一つは決めていた。
ダンジョンに潜る人なら誰でも使う、身近な道具にしたかった。
明かりだ。
迷宮の通路にはライトが付いているけれど、浅い層でも間隔の広いところはある。深い層になるほど、暗がりも長くなる。だから冒険者はみんな、何かしらの明かりを持って潜る。
ただ、明かりなら、もういくらでもある。
ダンジョン用の探索端末にも、ライトの機能が付いている。地図も自分の位置も分かり、仲間と通話もできる。頑丈で魔力のノイズにも強くて、アイカたちも四人とも腰に下げていた。
それとは別に、頭に付ける電気式のライトも管理棟の売店で売っている。電池さえ替えれば、明るさは十分だ。
それでも、わざわざ魔道具の明かりを作る意味はあるんだろうか?
その晩、自分の部屋でベッドに寝転がって考えた。
電池は切れる。予備を持っていても、深い層で替えるのは手間だ。
端末のライトは便利だけれど、照らしているあいだは手に持つか、どこかに固定しなければならない。頭のライトは両手が空くけれど、仲間のほうを向くと顔をまともに照らしてしまう。
魔道具なら電池はいらない。使う人の魔力で点く。
小さく軽くして首から下げれば、両手も空く。胸元から前を照らすようにすれば、顔を横に向けても、光はそちらへついていかない。
それなら、作る意味はあるかもしれない。
次の日、じいちゃんに頼んで、工房の棚の奥にある古い電気式のヘッドライトを借りた。昔、素材の仕入れで浅い層へ下りるときに使っていたものだという。
夜になって作業場の明かりを消し、頭に着けて点灯してみる。白い光がまっすぐ壁を照らした。思っていたよりずっと明るい。
首を横へ振ると、光の輪も一緒に壁の上を走る。
奥の作業台へ目を向けた途端、じいちゃんが目を細めた。顔に光を当ててしまったらしい。あわてて視線を床へ落とす。
「ほら、まぶしいだろう?」
じいちゃんは顔の前に上げた手を下ろしながら、少し笑った。
「ライトを付けたまま仲間のほうを向くなって、昔はよく怒られたものだよ」
作るものの形が、頭の中ではっきりしてきた。
翌日、学校から帰ると、作業台の下から端材の箱を引き出した。
革はじいちゃんが籠手の内張りや、鞘の縁に使った残りだ。その中から、手のひらに収まるくらいの茶色の革を一枚選ぶ。厚みが揃っていて表がなめらかで、裏の床面もしっかり締まっていた。
魔石はいつもの缶から出した。低い等級の白っぽいかけらだ。
明かりを灯すだけなら、高い等級の石はいらない。等級が高すぎると、かえって光が強くなりすぎて扱いにくい。
じいちゃんの本棚にある古い教本を開くと、基本の発光回路が載っていた。魔石に流した魔力を決まった線の上で光に変える。何十年も前から使われてきた形だ。
僕がやるのは、それをこの革と石に合わせて調整することだった。胸元に下げて使うなら、どんな光がいいだろう?
まず、回路。
教本から、柔らかい白い光を灯す回路を選んだ。暗がりでも物の色が分かって、目に刺さらない明かりにしたい。
最初の晩は、その図をこの魔石に収まる大きさに写して彫った。
地上では魔力を流しても光らない。でも、どこがつながっていて、どこで流れが詰まるかは分かる。
指を当てて細く流すと、真ん中から外へ抜ける途中で、一か所だけぎゅっと狭くなる感じがした。通ってはいる。けれど、すっとは抜けない。
ルーペで追うと、線の合流するところに小さな段差が残っていた。そこをならして、溝の底の粉を筆で払う。
もう一度流す。さっきより滑らかだけれど、まだ少し引っかかる。
線の幅やつなぎ目を少しずつ整えて、二晩かかってようやく素直に通るようになった。
ただ、それだけで光の色や明るさまでは分からない。
実際にどう見えるかは、ダンジョンの中で確かめる。
次に、光の向き。
教本の図では光は魔石の正面へ出る。胸元にまっすぐ下げたら、前を歩く仲間の背中を照らしてしまいそうだ。
魔石を収めるくぼみの底を斜めに削り、下側が少し深く収まるようにした。この角度なら、光も胸元から斜め下へ落ちるはずだ。
足元と少し先の床と、前に出した手元。探索で見たいところに光を向けたい。
それから、揺れ。
首から下げた物は歩くたびに揺れる。揺れれば、もちろん光も揺れる。暗い通路で明かりがゆらゆらしていたら、それだけで疲れる。
革紐を通す穴を上の左右に一つずつ開け、二か所で吊る形にした。紐の長さを合わせ、胸元に収まる位置を探す。歩いてみると、一点で吊ったときより裏返りにくく、横揺れも小さかった。
最後に、点け方。
探索中は厚い手袋をはめていることが多い。小さな魔石を指先で探り当てるのは難しい。
魔石を革の表面からわずかに出るようにはめ、その横に親指の腹が収まる浅いくぼみを刻んだ。
素手なら、くぼみに沿って指をずらすだけで触れる。ところが首から下げて手袋越しに試すと、親指がくぼみの上を滑って、魔石の脇へ抜けた。
もう一度やっても同じだ。下を見れば簡単に触れるのに、顔を上げると外す。
手袋を脱ぎ、くぼみの入口に鉛筆で印をつけた。自分の親指には合っているけれど、手袋の厚みまで入る幅がない。
縁を少し削り広げては粉を払い、手袋をはめ直す。隣の回路に近づきすぎないよう、削る場所を確かめながら進めた。
やっと触れた。けれど、少し歩いてから試すと、また外れる。
親指が縁に乗り上げる感触があった。そこをもう少しなだらかにして、また首から下げてみる。
今度は顔を上げたままでも、指が魔石に収まった。手を離して、少し歩いて、もう一回。今度も外さない。
「ずいぶん、下を向かせるのですね」
作業台の上からスイ様が言った。
狐の根付の頭に座り、僕の手元をのぞき込んでいる。
「前を歩く人が振り向いたとき、まぶしくないようにしたくて」
「其方は、前を歩いたことがありましたか?」
「……ないです。でも、アイカたちの練習を見てたら、みんな、すぐ後ろに誰かいるから」
スイ様はそれ以上何も言わず、面をわずかに傾けた。
作り始めて三日目に、ようやく形になった。
手のひらに収まる、丸みのある茶色の革。真ん中には白っぽい魔石が一粒、表面から少し出ている。
革に刻んだ細い溝が、そのまま回路になっていた。上の左右には、それぞれ革紐を通してある。
最後にもう一度、指先から魔力を流す。
魔石から革の溝へ、どこも引っかからずに抜けていった。手を離しても、白っぽい魔石は白っぽいままだ。
あとは、中で使ってみるだけだ。
日曜の朝、じいちゃんに付き合ってもらって横浜迷宮へ向かった。
試作のアミュレットは胸元に、狐の根付は腰に下げてある。
一層の階段を下りると、湿った石の匂いがした。備え付けのライトが通路の先まで並んでいる。その間には、柱の陰になって少し暗いところがあった。
通る人の邪魔にならないよう、じいちゃんと壁際へ寄る。
手袋をはめた親指で胸元を探った。くぼみに沿って指をずらすと、魔石に触れる。
工房で何度も試したのと同じように、少しだけ魔力を流した。
ふっと、胸元に光が灯る。
柔らかい白い光が、足元から少し先の床を楕円形に照らしていた。切り石の継ぎ目、たまった砂、自分の靴の先が見える。
青みはほとんどなく、昼間の曇り空みたいな白だ。どこか一か所だけ強く光ることもない。明るいのに、目を細めずに見ていられた。
顔だけを横に向けてみる。光は首と一緒には回らず、胸の前の床を照らしたままだ。
手を前に出すと、手のひらもちょうど光の中に入った。
壁際を何度か往復する。
歩けば光も少し揺れるけれど、横へ大きくそれることはない。足を止めると、アミュレットはすぐ胸元に落ち着いた。
点けて、消して、もう一度点ける。手袋越しでも、親指は同じところに収まる。
じいちゃんに数歩先へ立ってもらい、そのあとを歩いてみた。
振り返ったじいちゃんの顔には、光が当たらない。視線を戻すと、二人の間の床がちゃんと見えた。
「うん。こっちから見ても、まぶしすぎないね」
暗がりの中で、しばらくその光を見ていた。
「どうですか?」
柱の根元からスイ様の声がした。
いつの間にか根付から降りて、張り出した石の縁に座っている。小さな烏帽子と狐の耳が、光の端にうっすら浮かんでいた。
「……ちゃんと照らしてます。足元」
「ええ。よく見えますよ」
スイ様はアミュレットをしばらく眺めていた。
「今のところ、誰かが寄ってくる気配はありませんね」
それを聞いて、少しほっとした。
神様が宿らなくてもいい。
暗い通路を歩くとき、足元をちゃんと照らせる道具なら、それでいい。
アイカのブレスレットも、あのイヤリングも、神様を呼ぶために作ったわけじゃなかった。
点灯している写真は、ここで撮っておくことにした。
じいちゃんの胸元に掛け替え、もう一度点けてもらった。アミュレットと照らされた床だけが入るように、スマホを構える。
暗い中で光を撮ると、スマホが勝手に明るさを補正してしまう。何度撮り直しても実物よりまぶしく写った。設定を探し、明るさを一段ずつ下げて、ようやく見たままに近い一枚が撮れた。
工房へ戻ってから、消灯した状態でも写真を撮った。
作業灯の下で革の表の溝が見えるように一枚。それから、左右の紐で吊った様子を横から一枚。
出品は、その日の夜にした。
説明文はじいちゃんと二人で考えた。
『ダンジョン内で使用する革製の発光アミュレットです。使用者の魔力で点灯し、電池等は不要です。地上では発光しません。胸元に下げて使用し、光が斜め下へ向かうように調整しています。足元から少し先の床、前に出した手元を照らします。二点吊りで、歩行時の揺れを抑えています。手袋を着けたままでも点灯・消灯しやすいよう、魔石の横に指の位置を確かめるためのくぼみを設けました。光の色は柔らかい白色です。』
神様のことはどこにも書かなかった。
書けるのは、僕が自分で確かめたことだけだ。
開始価格はじいちゃんに相談して決めた。高すぎず、安すぎず、手作りの明かりとして買ってもらえるくらいの値段。
出品ボタンを押す前に、もう一度だけ説明文を読み直す。
千人いても、全員が買いたいわけじゃない。
どんな物を作る人なのか、ちょっと気になって登録しただけの人もいるだろう。明かりなんて、もう持っている人のほうが多い。
入札が一件でも入れば、それでいい。
ボタンを押した。
画面に出品完了の文字が出る。
スマホを作業台に置いて、湯のみに手を伸ばした。お茶はもうぬるくなっていた。
一口飲んだところで、スマホが震える。
通知だ。
画面を見ると、入札が一件入っていた。
出品してから、まだ二分もたっていない。
湯のみを置く前に、また震えた。
通知。また通知。
現在価格を更新しました。
指が止まっているあいだに、もう一件。それから、もう一件。
ページを開いて見ている間にも、価格が書き換わっていく。
ウォッチリストに登録した人の数も、一分ごとに増えていた。
百を超えて、二百を超えて、まだ止まらない。
作業台の上で震え続けるスマホを見つめた。
今、この画面の向こうに何百人もの人がいる。
僕が彫った溝の写真を見て、僕が書いた説明文を読んでいる。入札するかどうか考えて、自分の指でボタンを押す。顔も知らない、どこに住んでいるかも知らない、一人一人の人が。
千という数字が、急に人の数になった。
スマホを手に取ると、また通知が出た。
「其方」
すぐ横からスイ様が言った。
長い袖の先で画面の数字を指している。
「また増えていますよ」
返事ができなかった。
手の中でスマホがもう一度震えた。




