第35話
「ディランさま……一体、何をなさったのですか……」
フィーネの瞳に、ポロポロと大きな涙が浮かぶ。
小さな身体をプルプルと震わせ、哀しみとも怒りともつかない表情でディランを睨みつけた。
「え? あのー、なんか花火を打ち上げたんだけど……僕より先に花火を上げた人がいたみたいでね?」
フィーネが小さな拳を握りしめる。
「何を……おっしゃっているんですか……! 見てくださいよ……お城が……先代様が大切になさっていたクインズヒル城が……っ」
言葉に詰まり、袖で溢れる涙を必死に拭う。
ディランは頭をポリポリと掻きながら、改めて城へ視線を向けた。
窓ガラスはことごとく割れ、外壁は所々が剥がれ落ち、屋根の一部にいたっては跡形もなく吹き飛んでいた。
さすがに、これはまずいことをしてしまった――ディランにもそれくらいの自覚はある。
「あのね? フィーネ。話を聞いてもらえるかな……?」
困ったように弁明しようとしたその時だった。
城の被害状況を確かめに行っていたリゼとランが、こちらへ向かって駆け寄ってきた。
「おい、剣聖ライザがマジで戦ってるんだけど!?」
フィーネがサッと顔を上げる。
「……戦っているって、こんな時に訓練ですか?」
少しだけ棘を含んだ言い方だった。
無理もない、彼女は城が受けたダメージを、そっくりそのまま自分の心にも受けているのだ。
心が荒んでしまうのも当然だった。
「いや、訓練じゃねぇな、アレは。本気の殺し合いだ。しかも相手は見覚えのない女」
リゼが首をかしげながら答える。
「それと……さっき空から降ってきた魔法。ディラン、何か知ってる?」
ランが問いかけた。
「僕は知らないよー」
ディランはにへらと笑う。
その能天気さにイラッとしつつ、フィーネは頭の中で先ほどの出来事を反芻した。
――確かに、空を裂くような轟音は二回響いた……。
そのうちの一つがディランの打ち上げた失敗作の花火だとしたら、もう一つは一体――?
* * *
ライザとリシェルの戦いは、完全に拮抗していた。
大剣とハルバード(大斧槍)。
美しき二人の女が振り回す巨大な二つの武器は、まるで重力など存在しないかのように、羽のごとく軽やかに空を舞う。
その一振り一振りが、当たれば即座に命を奪う恐ろしい一撃。
しかし互いに紙一重でかわし、わずかな隙間を縫って間髪入れずに反撃を繰り出す。
大技は出ない。
ほんの少しの溜めの瞬間、あるいは力んだ一瞬が、そのまま命取りになるからだ。
精密で隙のない基本の型が、淡々と、そして凄まじいスピードで繰り出されていく。
サリアは息を呑み、その光景をじっと見つめていた。
遥かな高みで競い合う二人を。
師であるライザが額に汗をかいている。
そんな姿を見るのは、いつ以来だろうか。
そして何より初めてだった。
戦いに没頭し、どこか楽しそうに微笑むライザの顔を見るのは。
胸の奥に、悔しさが滲む。
ライザと対等に渡り合うリシェルへ、嫉妬とも羨望ともつかない感情が渦巻いた。
クリュードもまた、歯がゆさに強く拳を握りしめていた。
爪が掌に食い込み、指先が白くなる。
己があの領域に立つ資格などないことくらい、嫌というほど解っていた。
だが、こうも圧倒的な差を見せつけられるとは。
決して努力を怠ってきたわけではない。
だが、誇り高い竜族の血を継いでいることで、どこか慢心していた自分がいたのも事実だ。
自分は絶対的な強者の側にいると、無意識に思い込んでいた。
つい先日、ライザに鼻っ柱を折られたばかりだったが、彼女は剣聖の名を冠する特別な存在。
無意識に例外として処理しようとしていた。
しかし目の前に現れた帝国皇妃は、自分がどうしても超えられなかった壁を軽々と超え、ライザと真っ向から渡り合っている。
心の底から、悔しかった。
そして――当事者の一人であるリシェルといえば。
――たまったもんじゃないわよっ!!
心の中で激しく舌打ちしていた。
田舎の王をさっさと片付け、娘と二人でカノア王国のおしゃれなカフェでティータイムを楽しむはずだった。
それが、自慢の船は壊され、挙句の果てに自分と同等に強いライザと殺し合うハメになっている。
魔導弾を相殺した謎の爆発についても意味が分からないし、ライザのような規格外がこんな田舎に潜んでいることも本来あり得ない。
あり得ないことの連続で、終始冷静になれずにいた。
「……このっ……煩わしいのよっ!!」
ハルバードを強引に振り下ろし、ライザに向かって叫ぶ。
「あら……隙だらけですよ?」
リシェルの心に生じた焦りと怒りが、ほんの一瞬だけ彼女の筋肉を硬直させた。
ライザがその隙を見逃すはずもない。
キィンッ! と甲高い金属音が響き渡り、リシェルの手からハルバードが弾き飛ぶ。
「くっ……! あ……ちょっと!?」
怒りに顔を歪ませたリシェルだったが、次の瞬間、その表情が恐怖へと凍りついた。
吹き飛んだハルバードの落下点――そこに、娘のレイアが呆然と立っていたのだ。
母の操る巨大な鋼の塊が目の前に迫っていることを、レイアも理解はしていた。
だが、武芸の心得などないただの少女は、死の落下物から退避する術を持たない。
ライザの金の瞳にも、珍しく動揺が走る。
いくら敵側とはいえ、力を持たない少女を戦いの巻き添えで殺すなど、あってはならない。
サリアが咄嗟に走り出す。彼女を守るため。しかし間に合いそうにない。
その場の誰もが、少女の凄惨な死を覚悟した――まさにその時だった。
ふっと、レイアの姿が空間からかき消えた。
ドスゥンッ!! と凄まじい音を立てて、ハルバードが城の石壁へ深く突き刺さる。
派手に崩れ落ちた外壁が、その威力の恐ろしさを物語っていた。
直撃していれば、少女の肉体など原型すら留めていなかっただろう。
一体、何が起きたのか。
誰もが困惑と呆然の入り混じった顔で、レイアが立っていたはずの空地を見つめた。
「危ないなぁ……」
殺伐とした戦場にそぐわない、穏やかな声が静寂を破った。
全員の視線が、声のした方向へ。
そこに立っていたのは――ディランだった。
そしてなぜか……その腕には、お姫様抱っこのようにレイアを抱えている。
「ねぇ。何やってるの? 一体」
わずかな苛立ちを瞳に宿し、ライザとリシェルを見つめる。
そこには殺気もなければ、威圧感すらない。
しかし、不快感を隠そうともしない静かな視線は、強者であるはずのライザとリシェルの心を易々と貫いた。




