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第32話


大陸の空を、一隻の魔導船が静かに突き進む。


目指す先は――小国クインズヒルの王城。


その操縦席では、帝国皇妃リシェル自らが舵を握っていた。


「お母サマ。まだ着かないの?」


操縦席の後ろで退屈そうに呟いたのは、黒髪ショートヘアの、まだあどけなさが残る少女。


「……そうね、あと一時間ほどかしら」


リシェルは空図へちらりと視線を滑らせて答える。


「えーー? 退屈だよー」


黒いブーツを履いた足をバタつかせる少女――レイア。

帝国を出発したのが昼前。かれこれもう三時間は船に揺られっぱなしだ。


「美味しいケーキが食べられるって聞いたから付いてきたのにさー。そんなに遠いなら、誰かに買ってきてもらえば良かったじゃない」


頬を膨らませて抗議する娘に、リシェルは無感情のまま言った。


「言ったでしょ? ケーキはついで。本来の目的は、クインズヒル王を殺すことよ」


恐ろしい言葉を、何でもないことのように告げる。


「誰よソレー。全然興味ないんだけどー」


「あなたも皇女なら、最低限の地政学くらい学びなさいな。クインズヒルと言えば今や、大陸で最も旬な国のひとつなのよ?」


横合いから流れてくる強い気流を、華麗な手さばきで受け流しながら舵を切る。


「へぇー。じゃあ今、その国が『アツい』ってことなんだね?」


「……そうね。『アツい』ってこと」


そんな他愛のない会話を交わす母娘の船の後方を、さらに三隻の魔導船が追従していた。


かつては大陸の空を埋め尽くしたと言われる魔導船だが、旧帝国の崩壊とともに造船技術は失われ、今やこれを所有・運用できているのはルナリア魔導帝国のみ。


大型の旅客船などはとっくに姿を消して、現在残されているのはリシェルたちが乗る少人数用の小型船のみなのだが、一隻の定員は最大でも三人程度と手狭なため、皇妃たちの護衛隊は別船に乗り込み、後方から警戒にあたっていた。


やがて魔導船はカノア王都の上空を通過し、クインズヒル王国の領土が肉眼で視認できる距離まで近づいた。

西の空が、ゆっくりと茜色に染まり始めている。



* * *



一方、クインズヒル王城の厨房では、フィーネが買い込んできたばかりの高級食材を調理台へ手際よく並べ、それを料理長グリムドルが片っ端から極上の料理へと変えていた。

手伝いとして駆り出されたリゼとランも、慌ただしく包丁や皿を動かしている。


「なんで今日に限って、こんなに山盛りの飯を作るんだ?」


リゼが巧みなナイフ裁きで素早く野菜を細切れにしながら、誰にともなく零した。


「ディランの言ってた催し物と関係あるの?」


ランがお皿を整然と並べながら首をかしげる。


「……本日はガーデンパーティーにするそうです。いつもより豪華なお食事を囲んで、皆様で親睦を深めるのだそうですよ」


フィーネがコホンと咳払いをしながら答えた。


「それが催し物? ……へぇ、なんだか拍子抜けだけど、まあ上手い飯にありつけるなら何でもいっか」


「うん。ディランに感謝」


厨房のテーブルを埋め尽くすのは、みずみずしい果物の山と香ばしい肉料理、色鮮やかなデザートに、上質な蜂蜜酒やワイン。

普段の食事も十分に美味しいのだが、今日はまさに別格の豪華さであった。


謝肉祭の日取りこそ間違えていたものの、これならば本番に勝るとも劣らない宴となるだろう。むしろ大食漢が揃っているとはいえ、すべて平らげられるか心配になるほどのボリュームだ。


午前中、街の市場へ走って食材を買い占めてきた甲斐があったというものだ。これで自身の連絡ミスも帳消しになり、ディランの顔も立てられる――フィーネは満足げにふふんと鼻を鳴らした。


――その時だった。


突如、空から雷鳴のような重低音が轟いた。



* * *



魔導船はクインズヒル上空へ到達した。


レイアは窓にピタリと顔を寄せ、眼下に広がる景色に目を丸くする。


「……ねえお母サマ、まさかクインズヒル城って、あれのことじゃないよね?」


リシェルも呆れたように眉をひそめる。


「けれど……他にそれらしい建物は見当たらないわ」


二人が暮らす白亜の巨大皇宮に比べれば、クインズヒルの王城など庶民の屋敷に毛が生えた程度の規模に過ぎない。帝国の下級貴族ですらもう少し見栄えのする邸宅に住んでいる。


クインズヒル王城は、もともと旧帝国時代に書院の研究者たちを受け入れる宿所として建てられた経緯がある。そのため、城と呼ぶにはいささか小こぢんまりとしていることは否定できなかった。


「うっそぉ。いくら小国だからって、これじゃただの石小屋じゃない」


レイアが馬鹿にしたように鼻を鳴らす。


「あはは! こんなお城に住む王サマって、一体どんな顔してるわけ?」


小太りで気弱そうな老人を想像し、憐れみすら浮かべて目を細めた。


リシェルは、のどかな田園風景と、下にある慎ましいらしきものを見比べ、深いため息を吐き出す。


「珍しくグリズエットが興味を示していたからわざわざ出向いてみたけれど……無駄足だったかしら」


こんな田舎の長に過ぎない男が、帝国の脅威となるはずもない。

わざわざ船を着陸させて自ら手を汚すまでもなく、船に搭載された魔導砲で城ごと消し飛ばしてしまえば、それで終わりではないか。


「ねえお母サマ。わざわざ降りなくても、空からお城ごと吹き飛ばしちゃえば良くない?」


レイアも全く同じ結論に至ったようだ。さすがは親子、思考の短絡さまでそっくりだった。


「そうね……」


短く相槌を打つと、リシェルは操縦舵の脇にある魔導スイッチへ手をかけた。


船底に巨大な術式陣が展開し、眩い光の輪が一点へと収縮していく。

やがてそこに、高密度の破壊を孕んだ無数の「光星弾」が生成された。


魔導船の通信機構を介し、後続の三隻へも同時に王城破壊のシグナルを送る。


合計四隻の魔導船の船底に、たっぷりと死の気配を湛えた光星弾が、放たれる瞬間をじっと待つ。


リシェルはクインズヒル王城の中心へ照準を合わせた。

あのような脆弱な石造りの城など、跡形もなく蒸発するだろう。

薄く口角を吊り上げ、リシェルは合図を出した。


空を裂く、凄絶な風切り音が鳴り響く。


一斉に放たれた光星の群れが夕日に照らされながら王城へ向かって降り注ぐ光景は、恐ろしいまでに美しく、さながら大輪の花火のようだった。


「わぁ……きれい……!」


レイアが無邪気な感嘆の声を漏らす。



* * *



そして、その死の降下を地上から仰ぎ見る者たちがいた。



「なるほど……これが花火……ですか」



ライザがぽつりと呟いた。

それは「花火」と呼ぶにはあまりに壮絶で、あまりに無慈悲な破壊の群れだった。


サリアとクリュードも、空を埋め尽くす光の雨に戦慄を隠せない。


三人は裏庭で組手を行っている最中だった。


夕方頃に見られるとディランが言っていた花火が何を意味するのか疑問に思っていたが、まさかこれだったとは。


「俺は……クインズヒル王に嵌められたのか……?」


クリュードが歯噛みしながら呟く。


降り注ぐ光星の着弾範囲はあまりにも広大で、今から全力で駆け出したところで、爆風の圏外へ脱出することは物理的に不可能だった。

座して死を待つほかないこの状況に追い込まれたのは、今朝、ディランに引き留められたからに他ならない。


「いいえ」


だがサリアは、即座にそれを否定した。


「これが来ることを知っていたのなら、何もせずにただ待つような人ではありません……ディランは……」


ちらりと、ライザが伏せがちな瞳をサリアへ向けた。


正直なところ、サリアやクリュード、城内にいる他の者たちがこの攻撃を受けて生き残るのは不可能だろう。

だが自分一人ならば攻撃の範囲外へギリギリで脱出することも、己の頭上に降り注ぐ光星を斬り払って生き残ることも、おそらくは可能。


しかし、ライザは動かなかった。


この致命的な状況すらも見越していたはずのクインズヒル王が、一体どのような手を打つのか――この目で見極めたくなったのだ。




その時――。


再び、空を激しく引き裂くような轟音が周囲へ響き渡った。



上空からではない。城の裏手――自分たちが立つ場所とは反対側の敷地からだ。


大輪の花火は――地上からもまた、空へ向かって咲き誇るのだった。


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