第29話
翌朝。
城の裏庭では、相変わらずリゼとランが朝稽古に励んでいた。
今ではそこにサリアまで加わり、三人で実戦さながらの鋭い剣戟を繰り広げている。
しかし今日に限っては、三人の攻防はどこか精彩を欠き、控えめだった。
それもそのはず。裏庭の隅に異例の見物人がたたずみ、鋭い視線をじっと注いでいるからだ。
剣聖ライザ。
サリアの師であり、歴代のライザの中で「最強」と謳われた女。
「……なあ王妃サマ、さすがにやりにくいんだけど」
サリアと互いの剣を滑らせ、ステップを踏んで間合いを取ったリゼがこぼす。
「同感。あの人に見られてると、生きた心地がしない……」
屈んだ姿勢からサリアの懐へ潜り込み、短剣を振り上げながらランも同意した。
その攻撃を華麗にいなしながら、サリアがふっと微笑む。
「何を言っているのふたりとも。師匠は歴代最強の剣聖よ? 稽古を見てもらえるなんて光栄じゃない」
リゼとランはため息を交わし、肩をすくめた。
背後に立つライザが最強の女剣士であることなど、百も承知だ。
直接拳を交えずとも、漂う風格と圧倒的な存在感が、彼女が「絶対的な捕食者」であることをふたりの本能に刻み込んでいる。
問題なのは、ライザがかつて自分たちの所属していた組織の大幹部だということだ。
ディランの陣営に加わった後、彼の指示(実際にはディランの本意ではないが)によってアークの情報を組織から買い取った。それは組織に対して明確な敵対意思を示したも同然。
なぜか今は放置されているものの、いつ彼女の気まぐれで首を飛ばされるかと思うと、気が気ではなかった。
「王妃サマは、いつからグルセナの弟子になったんだ?」
リゼが問いかける。グルセナとは剣聖ライザの本名だ。
「5年ほど前かしら。それと、今の師匠はライザ・クラウディアを名乗っているわ」
激しく剣を打ち合わせながら、サリアが答える。
「……ああ、そうだったな」
グルセナが再び「ライザ・クラウディア」の名を襲名したと知らされたのは、今朝の稽古が始まる直前のことだった。
それまでサリア自身が「剣聖ライザ」を名乗っていたことすら、リゼとランにとっては初耳であった。
「まさか王妃サマが闘技場で名を馳せたあの『剣聖ライザ』で、しかもグルセナの弟子だったとはね。どおりで強いわけだ」
上体を深くそらし、紙一重でサリアの斬撃を回避したリゼが息を吐く。
「王妃様はどうして『ライザ』の名をグルセナに返したの?」
横薙ぎの一閃をかわしながら、ランが何気なく尋ねた。
「……負けたからよ」
さも当然のようにサリアが答える。
その瞬間、サリアが振り上げた構えには珍しく大きな隙が生まれていた。
リゼとランは一瞬視線を交わすと、幾多の強者を屠ってきた必殺の連携フォーメーションへと移行する。
左右から挟み込み、サリアを仕留めにかかるふたり。
――だが、その隙すらもサリアの仕掛けた罠だった。
迫る二筋の刃をあっさりと回避すると、サリアはリゼのみぞおちへ的確につま先を撃ち込む。
「がはっ……!?」
呻きを漏らすリゼを尻目に、回転の勢いを殺さぬまま、ランの頬へ空いた拳を叩きつけた。
「がっ……!」
重い衝撃を受けたランの身体が、芝生の上を無様に転がる。
剣技のみならず体術においてすら圧倒的であると証明するように、サリアは倒れ伏す二人を見下ろし、悠然と佇んでいた。
「……だんだん本気になってきてないか……?」
腹を押さえ、涙目になったリゼがつぶやく。
「あら? まだまだ手加減しているけれど?」
息一つ乱さずに言い放つ姿は、手加減という言葉に誇張がないことを物語る。
「……これほど強いアナタが、誰に負けた?」
赤く腫れた頬を押さえながら、ランが尋ねる。
サリアは肩をすくめ、お手上げと言わんばかりの仕草を見せた。
「ディランよ」
それを聞いた二人は顔を見合わせると、盛大にため息を吐き出した。
「世の中には、触れちゃいけない化け物がいるんだな……」
「うん。出会ったときに殺されなくて、本当に良かった……」
ディランの手心一つで殺されていてもおかしくなかったのだ。
部下として拾われた己の強運を思い知ると同時に、自分たちがどれほど薄氷の上を渡ってきたかを痛感する。
その時――後方で見学していたはずのライザが、いつの間にか二人の背後に立っていた。
「げっ……!?」
漏れかけた悲鳴を、リゼは咄嗟に両手で塞ぐ。
「師匠! ……いかがでしたか?」
パッと目を輝かせたサリアが、おずおずと尋ねた。
まるで母親からの褒め言葉を待つ少女のような表情。
先ほど圧倒的な力で二人を打ちのめした人物と同一とは到底思えない。
「……強くなりましたね」
ライザがぽつりと呟く。
漆黒のドレスを纏い、背には大剣。伏せられた金色の瞳からは一切の感情が読み取れず、リゼとランは死神に心臓を握りつぶされるような恐怖に寒気を覚えた。
「ですが……まだ荒削りです。今のままではクリュードさんにも勝てませんよ」
容赦のない厳しい言葉が後につづいた。
「クリュード……」
昨日ディランが城へ招き入れた、クレヴァス国王の側近。
只者ではない気配は感じていたが、自分より格上というのか。
悔しさに反論したくなるサリアだが、師の言葉である以上、事実なのだろうと納得せざるを得なかった。
悔しげにうつむくサリアの姿を見て、ライザの瞳がわずかに揺れる。
「良ければ……」
ライザの手が、背の大剣の柄へと伸びる。
「少しだけ……稽古をつけましょうか……」
その瞬間に放たれた金色の瞳の輝きに、サリアは感動で胸を躍らせた。
「えっ……本当ですか!?」
「ええ……ただし、練習用の木剣ではありませんから、怪我をされないよう気をつけてください……」
背から一気に引き抜かれた大剣が、不吉な風を巻き起こしながら振り下ろされる。
「……お二人も」
冷ややかな金色の瞳が、芝生に倒れ込んだままのリゼとランを見下ろした。
「まだ荒削りのようですから……ついでに手ほどきをして差し上げましょう……」
全力で拒否の意を示そうとした二人だったが、蛇に睨まれた蛙のように身体が硬直して動かない。もはや差し出された言葉に従うほか選択肢はなかった。
こうして、リゼとランにとっては地獄、サリアにとっては敬愛する師との至福の時間が幕を開けたのだった。
それを、いつものように自室の窓から眺めるディランとフィーネ。
「この城は、一体いつから剣の訓練場になったのでしょう……」
「まあまあ。体を動かすのは大事だし、健康的でいいんじゃない?」
「そういう問題でしょうか……」




