第28話
その日の夜、珍しくクインズヒル王城の客室が埋まり、皆が思い思いの時間を過ごしている頃。
ディランの寝室のドアが控えめに叩かれた。
「どうぞー」
ベッドの上に大の字で転がったまま、ディランが声を張る。
遠慮がちに開いたドアの隙間から、ひょっこりと顔を出したのはサリアだった。
「……今、少し話せるかしら?」
「もちろんさ」
ディランはにっこりと笑みを浮かべた。
いつもならとっくに夢の中にいる時間だが、夕方に仮眠をとったせいか目が冴えている。ちょうど良い話し相手が来たと内心喜んだ。
サリアは周囲を警戒するようにすばやく部屋へ滑り込むと、静かにドアを閉めた。
そのままベッドの傍らまで歩み寄って、枕元に置かれたスツールを引き寄せて腰を下ろす。
「……どうしたの?」
じっと自分を見つめてくる眼差しに耐えかね、ディランから問いかけた。
「ディランは、一体何を考えていらっしゃるのですか?」
「え?」
文面だけを受け取れば責められているようにも聞こえるが、サリアの顔に浮かんでいるのは純粋な疑問だった。
かつての師であり、再びライザの名を冠したあの剣聖に「負けた」と言わしめたディラン。
さらには、なぜか敵対するクレヴァス国王の側近であるクリュードを招き入れ、あろうことか一緒に食卓を囲んでいる。
あまりに予想外すぎる展開の連続に、サリアもただ傍観しているわけにはいかなくなったのだろう。
「特に……何も考えてないけど?」
不思議そうに首をかしげるディラン。
「そうですか」
サリアは深く息を吐きだし、ふっと視線を落とした。
出会ったばかりの自分に、簡単に心の内を明かすはずもない――そう納得しようとしているような諦めを含んだ顔だった。
「なにか困ったことでもあった?」
ディランは尋ねた。
先ほどの問いからして、自分が何かサリアを困らせるような失敗をしたのではないかと急に不安になったのだ。
「……そういうわけではありませんが。ただ、ディランがもう少し胸の内を話してくださってもいいのに、と思っただけです。……せっかく夫婦になるのですから」
サリアの指先が、そっとディランの手をかすめる。
「胸の内……」
ディランは思案に暮れた。
隠し事をしているつもりなど毛頭ない。思ったことはすぐに口に出すし、口に出さないときは本当に何も考えていないのだ。サリアが何を思い悩んでいるのか見当もつかない。
だが――ここは素直に謝っておくのが得策だろう。
『男というものは、知らぬ間に女を怒らせているものだ。だから心当たりがなくとも、まずは謝っておきなさい』
亡き父である先代王が言っていた言葉が脳裏をよぎる。不満げな母の前で、父が申し訳なさそうに頭を下げていた光景を思い出し、ディランは記憶の中の両親に苦笑した。
「……ごめんね。僕も、ちゃんと話してあげられたらいいんだけど」
ディランが素直に頭を下げると、サリアは意外そうに目を丸くした。
そして、そっとディランの手を包み込む。
「……いいのです。今はまだ、言えないこともあるのでしょう? 少しずつ、お考えを教えてくだされば」
「うんうん、そうだね」
考えていることなど一つもないが、ひとまずサリアの思いやりをそのまま受け取っておくことにする。
「もし私をまだ信じられないのでしたら、それでも構いません。時間をかけて、あなたからの信頼を勝ち取ってみせますから」
「うんうん……」
信頼を勝ち取る?
生返事を返しながら、ディランの頭には再び疑問符が浮かんでいた。
信じているか否かで言えばもちろん信じているし、そもそも何を疑えばいいのかすら分からない。
「……それだけ、言いに来ました。……おやすみなさい、ディラン」
満足したように、サリアがすっと立ち上がる。
「うん、おやすみ……」
せっかくなら他愛のない雑談でもしたかったが、引き止める間もなく彼女は部屋を出ていこうとする。残されたわずかな寂しさに、ディランは思わず声をかけた。
「あ、サリア」
「どうしました?」
ドアノブに手をかけたまま、サリアが振り返る。
「明日、ちょっとしたイベントがあるんだ。楽しみにしてて」
「イベント……ですか?」
引き止めたはいいものの、特に語るべき話題もなかったディランは、明日が月に一度の「謝肉祭」であることを咄嗟に思い出した。
領民たちが羊肉やワイン、果物やチーズを城へ届けてくれる日で、普段よりバリエーションの多い食事にありつける、ディランにとってのささやかなイベントである。
「そう、イベント」
微笑みながら頷くディランだが、その中身まで明かすつもりはないらしい。
サリアは不思議そうに首をかしげながらも、
「……分かりました。楽しみにしていますわ」
そう言って小さく手を振り、部屋を後にした。
廊下に出たサリアは足を止め、窓の外の夜空を仰ぐ。
――イベントね……。今度は何をするつもりなのかしら。
サリアは深い思索にふけりながら、静まり返った廊下を歩み去っていった。




