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癒しの木  作者:
再び花が咲くように
74/120

9

 蒼くんから届いたメッセージによると、ハルが階段から落ちかけたらしい。

 慌てて通話を掛けるとすぐに出てくれた。


「ハルは?大丈夫なの?」

「落ち着けって。怪我はどこにもない。念のため保健室で見てもらってる」

「怪我がないなら良かった...いや、全然よくないわ。何があったの?」


 蒼くんは事の経緯と今のハルの様子を説明してくれた。


「わざとではないにしろ、危険だったしきつめには注意した。遥稀の方は、階段付近では肩を強張らせていたけど、今はだいぶ落ち着いてる」

「わかったわ。とにかく無事でよかった...」

「一応、他にまた何かあったら連絡する」

「うん、お願いね」


 ハルに呼ばれたらしく蒼くんは慌てた様子で通話を終了した。


 怪我がなかったとはいえきっと怖い思いをしたに違いない。部活の出し物がなければ私だってすぐにハルの所に行けたのに...。


「まい、大丈夫か?」

「圭吾先輩、うん、ハル、怪我はしてないって」

「いや、違くて、まいが泣きそうな顔をしてるから」


 先輩に言われて気がついた。視界が少しだけ滲んでいることに。

 悔しい。私はいつもハルがピンチの時そばで支えてあげられない。すぐにでもそばに行きたいのに私はずっと蚊帳の外に放り出されている。

 ハルのことを抱きしめることは出来るけど、それ以上のことをすることはきっと許されていない。


「まい、少しでもいい。苦しいことや吐き出したいことがあれば俺に放してくれないか?」


 先輩は私の頭を軽く撫でながらそう言った。

 私は歯を食いしばって涙をこらえながら首を横に振る。きっと、話したら失望されてしまう。

 大切な友達を守れない私に。本当は弱い私に。醜い感情を心の奥底にしまい続けている私に。先輩はきっと失望してしまう。


「俺はさ、どんなまいだって好きだよ。これだけは信じてほしい」


 先輩の視線は私を射抜くように真っすぐだった。

 真面目で落ち着いていて優しくて真っすぐな声。私が先輩を好きになるきっかけになったその声で先輩は伝えてくれた。


「少し、場所を変えても、いいですか?」


 ようやく絞り出せた私の声に先輩は頷いてくれた。

 何から話したらいいのかわからない。だけど、この人になら話してもいい、そんな風に思えた。




 ハルと仲良くなったのは小学生の頃。きっかけは私がハルに話しかけたから。

 誰よりも小さくて、繊細で今にも折れそうでどこかに飛んで行ってしまいそうなそんな佇まいがとても気になった。

 控えめに笑って、人懐っこく見えるのに、どこか他人と一線を引いてこちらの様子をじっと伺う。本心を見せているようでよくわからない不思議な子。それがハルだった。



 進級するにつれて、ハルの性格は控えめさに拍車をかけていった。ううん、学校では常に大人しく、少しだけ表情が暗かった。

 さくらと仲良くなったって嬉しそうに話していたのに、その瞳からは明るさが消えることがあってそれから私達は少しだけ疎遠になった。

 だけど、そんなある日。私は聞いてしまった。

 朝、廊下が少しだけ賑わっている時間。さくらが癇癪を起していた。その場面をハルは冷たい目で見ていて、温度のない言葉をさくらに向かって放った。


「そんなに言うなら、友達やめよう」


 聞いたことのないくらい冷たい声にその場が静まり返った。私はそんな2人から目を逸らせずそして、耳も塞げずにいた。


「な、なんでそんなこと言うのよ!?」


 さくらの動揺した声が廊下に響き渡る。

 悲痛とも取れるその叫びに周囲の人たちは思わず息をのんだ。さくらの前に対峙しているハルを除いて。


「だって、さくらが毎日のように言うから。私、疲れちゃった。友達をやめてお互いが関わらないようにするのが1番いい方法だと思う。そしたら、さくらが私にムカつくこともないでしょ?」


 ハルの声は相変わらず淡々としていて温度が全く感じられない。

 ハルの言葉を聞いているこちらまで心が冷えていくような気がした。


「それじゃあ、もう話しかけてこないでね」


 最後にハルが言い放ちさくらの横を通り過ぎる。さくらは茫然と立ち尽くしていて次第に肩を震わせていた。


「意味わかんない!」


 さくらの怒号が廊下に響き渡った。そこでようやく止まっていた時が動き出したような気がした。

 廊下は普段とは違う騒がしさになり、ある人はさくらに同情し、ハルを非難する。はたまた、さくらに対して当然の報いだとひそひそと話し始める人もいた。

 私は静かに立ち去るハルの後ろ姿をただ見送ることしかできなかった。肩を少しだけ震わせて、ぎゅっと手を強く握りしめて歩いて行くその姿はとても印象的できっと忘れることはないのだと思う。




「癒木さんを見ていて思ったんだ。彼女、自己肯定感が低いなって」

「確かに、そうかも」


 ハルはあの時から心をすり減らして過ごしていた。波風を立てないように、自分が我慢してしまえば丸く収まると思っていたのだろう。

 だけど、それよりも早くハルの心が壊れてしまった。


「俺からすると、まいはよくやってる方だと思うけどな」

「え?」

「ほら、早緑は明らかに癒木さんのことが好きで、何が何でも守ってやる、って感じがするじゃん?癒木さんの周りのみんながみんな早緑みたいな感じだったらきっと癒木さんが疲れちゃうと思うんだよね」


 確かに、蒼くんはハルの細かい変化にもよく気がついて、それでいてハルに気づかれないように独占欲まで滲ませることがある。

 ママにも言われたことがあるっけ、ハルに対して過保護になり過ぎちゃダメだって。


「それに、癒木さんはまいが思ってるよりもまいのことが好きで大切に思ってて頼りにしていると思うよ」

「それは、なんで?」

「さっきのコンテストの間、散々まいの自慢話をされたんだ。こういう所が可愛いとか、すごいとか、尊敬できるところは、とか」

「ハルがそんなことを?」

「俺よりもまいのことを見ていて知ってるんだって少し妬くくらいには羨ましかった。越えられない時間の差があるんだなって」


 先輩は苦笑しながら言った。


「私、昔、辛い時にハルに助けてもらったのに、何も返せてないと思ってた。変わっていくハルの様子が少しだけ怖くて、私から少しずつ疎遠になっていったのに」

「うん、」

「ハルはそんなこと気にしていないみたいに当たり前に助けて、当たり前に笑いかけて、当たり前に守ってくれた」

「それだけ、まいのことが大切だったんだよ」

「それなのに、何も返せてなかった自分自身が悔しくて、情けなくて、許せなくて、」

「でも癒木さんはそんな風には思っていなかったみたいだ。まいが手を引いて、歩いてくれて早緑が背中を押してくれたって言ってた。まいはきちんと癒木さんの支えになっていたんだよ」


 先輩のその言葉が私の胸をじんわりと温めていく。

 凝り固まって冷え切ったものを優しく溶かしていった。


「まあ、早緑には頑張ってもらわないとな」

「え?」

「だって、早緑が癒木さんの1番になってもらわないと、まいが癒木さんに取られちゃうかもしれないだろ?せっかく倍率高い中まいと付き合えたのに、」

「ふふ、」


 先輩が真面目にそんなことを言うから思わず笑ってしまった。その様子に先輩も安心したように笑った。

 ハルと先輩はに似てる。温かくて真っすぐな所とか。

 そっか、だから私は最初にハルと仲良くなりたいと思ったんだ。そして、こうして先輩に惹かれたんだ。


「まい?」

「ううん、何でもない。圭吾先輩に惚れ直しちゃっただけ」

「な、」


 でも、ハルと先輩は違う。先輩はすぐに顔に出るけど、ハルはポカンとしてじわじわと表情に出る。似てるけど結構違うんだな。

 私は熱くなった顔を隠すように小走りで少しだけ先輩から距離を取った。先輩はそんな私の様子を笑いながら後ろから追いかける。

 捕まった私は先輩と手を繋いで前へと歩き出した、

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