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俺が遥稀と本の貸し借りをするようになって少し経った頃、遥稀は徐々に元気をなくしていった。原因はわかっている。
「遥稀、おはよう」
「...蒼、おはよう」
ぼんやりする時間が増えてうつろな瞳をする回数も増えたような気がする。できるだけ庇うようにしてはいるものの、根本の解決には至っていないのが歯がゆい。
それでも、本を読んでいる間は表情が和らいでいて、とても大切な時間だということが分かった。
「階段から、落ちる夢を見たから...」
ある日の昼休み、一緒に図書館へ向かっている途中で打ち明けられた。
階段を怖がっていることは何となくだけどわかっていた。表情が固くなっていて、決して手すりから手を離さないように慎重に下っていたから。
でも、夢だけが原因なのではないと俺は考えていた。夢だけの出来事であればここまで怖がる必要はないから。そして、聞いてしまったのだ。
「まさか、バランス崩すとは思わないじゃん?」
「でも怪我してなかったみたいだしセーフだろ?にしても、あの恐怖に滲んだ顔...」
「なかなか見れない顔だよな」
更衣室での会話。
普段から遥稀の背中を押したりしているやつらだ。階段で同じことをしたのかもしれない。でも、ここで問い詰めたところでのらりくらりと躱されるだけだろう。
俺はその現場を目撃していたわけじゃないし、手首を捻ったと言ってた日、確かさくらやなおと行動していたはず。さくらはともかく、なおが何も言わないということは目撃者は限りなくゼロに近い。
遥稀が打ち明けてくれたら良いけど、それも難しそうだ。本人にとっては思い出したくもない出来事かもしれない。
「...あ、」
怪しまれないように適度に本を物色しながら遥稀の後ろをついて行っていると遥稀が足を止めて本棚の上の方の本めがけて背伸びをしたり跳ねだした。
届かないと観念したのか近くに脚立がないかを確認している。その動きはまるで小動物のようだ。
「...。蒼、あの本取って」
「えっと、どれ?」
「1番上の棚の、それ、」
「えっと、これ?」
「うん、ありがとう」
遥稀にお願いされた本を手渡すと嬉しそうにお礼を言ってくれた。教室ではなかなか見せることのない嬉しそうで楽しそうな柔らかい表情。
堪能したい気持ちが強すぎて見過ぎたようだ。
「...なに?」
遥稀が不思議なものを見るように話しかけてきた。俺は咄嗟に誤魔化す。
「いや、そのシリーズって面白い?」
「私は好き。好みは結構分かれると思うけど、ハマる人はハマると思う」
「へー俺も読んでみようかな」
何気なく本心から言うと、遥稀はさらに瞳を輝かせた。そして、おすすめの順番を教えてくれる。
ページを捲って軽く目を通して見ると、遥稀のおすすめだけあって面白そうだった。
「あ、ハル。ハルも本を借りに来たの?」
声の方に視線を向けると清水舞依が立っていた。最近頻繁にうちのクラスを訪れ、遥稀に話しかけている。まるで、小さな子供を守るように周囲を威嚇しているライオンのようで、遥稀もまいにとても懐いている。
遥稀がオススメを考えている間、何故かまいからの視線が痛い。遥稀を傷つけたら許さないと牽制しているようだ。傷つけるつもりは全くないし、何なら俺としては遥稀に笑顔が戻ってほしいと思っている。
微妙な沈黙が俺たちの間に流れている。
「ハル?」
小さく呻きながら頭を悩ませている遥稀の様子にまいは少し心配になったらしく俺から視線を外して聞いた。
「...あ、ファンタジー系のオススメなら、」
そんな心配には気がつかないようで遥稀は間の抜けた声で話し始めた。
「ハル、ありがとう」
去り際にまいは遥稀の頭を優しく撫でた。俺に牽制しながら。
この一瞬で清水舞依という人物が少しだけわかったような気がした。周囲が話しているようにさっぱりしていてハキハキした優等生、なんて単純な言葉で言い表すことができないほどの何かを隠し持っているのは明白だ。
なにより、遥稀に対して向ける感情が重すぎる。遥稀は自分がまいに向けている感情が重くて迷惑になっていないか考えているみたいだけど俺からしたら真逆に見えた。
断然、まいから遥稀に向けられている感情の方が重たい。実際、友好的に接している(それだけではないが)俺にでさえ厳しい視線を向けたほどだ。
遥稀に近づくすべての人間が有害か無害かを見定めている節がある。
「遥稀よりもまいの方が感情重そうだけどな」
「え、何それ?」
ふいに零れ落ちた言葉は遥稀に聞かれてしまったようだ。
「何でも。本決まったなら戻ろうぜ」
「うん」
俺がなんてことのないようにごまかすと遥稀は気に留めなかった。
休み時間ももう少しで終わる。階段が怖い遥稀とゆっくり戻ることを考えると早めだけど移動した方が良い。遥稀のペースに合わせて俺たちはゆっくりと階段を昇って行った。




