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「遥稀、おはよう」
「あ、蒼、おはよう」
朝、自分の席に着くついでに隣の席の癒木遥稀に挨拶をする。これが俺の日々の日課。ルーティン。
遥稀は少しだけぼんやりとした様子で挨拶を返してくれる。まだ覚醒しきっていないであろうその声がたまらなく好きだった...。なんて、付き合ってもいないのに少しだけ気持ち悪いだろうか。
それでも、俺は遥稀との間で繰り広げられるこんな緩い会話がたまらなく好きだった。
「そういえば、この本面白かったよ」
俺がオススメされた本を指さして言うと遥稀は嬉しそうに目を輝かせる。無邪気で楽しそうな様子も好き。好きな本について話す遥稀は誰よりも輝いていて、とても魅力的だ。
そう感じるようになったのは同じクラスになって話すようになってからだけど。
「実は、まだオススメある。蒼も好きなジャンルだと思うんだけど、どう?」
「へぇ?図書館にある本?」
「ううん、私の私物なんだけど、」
カバンの中を漁りながらどんな内容なのかを教えてくれるその様子も愛おしい、
遥稀の私物の本。それは、一部の仲が良くて信頼のおける人間にしか借りることのできない特別な本。とりわけ小説が多いが、時にエッセイや新書なども混じっているらしい。
よく貸し借りをしてる様子が見えるのは要やなお、それから、遥稀が可愛がっている部活の後輩くらいなもので。以前、要との接点を作りたいと考えていたさくらはやんわりと断られていた。
それだけ遥稀にとって私物の本の貸し借りが相手の信頼をはかる重要アイテムだということがわかる。その信頼のおける人間の中に入れたことが純粋に嬉しい。
「このシリーズなんだけど、ホラーというか、オカルトチックなミステリーで、面白いんだけど人には薦めづらくて、蒼なら読めるかなって」
遥稀が取り出したのは1冊の文庫本だった。
「それじゃあ、まだ誰にも進めていないってことか?」
「うん。苦手な人は苦手だと思うから。でも、前にホラー小説好きって言ってたから、平気かと思って」
「そこまで言うなら読んでみようかな。遥稀のおすすめって今のところはずれがないし」
「うん。あ、でも無理しちゃダメだよ?怖かったり合わないって思ったら読まない方が良いと思うから」
「わかってる。気遣いありがとうな」
遥稀はこういう風に人に気遣いができる。おすすめはしてくるけど無理に押し通そうとはしない。自分と他人の線引きがはっきりしているためか、時折冷徹とも思える言葉を発するけど心根はとても優しい人だと思う。
遥稀の言葉は人の背中を押したり手を引くようなことはない。その代わりに隣でゆっくりと立ち上がれるまで待っていてくれるようなそんな不思議な温かさがあると思う。俺は以前、遥稀のそんな言葉に救われた。
「あ、蒼くんおはよう。遥稀なんかと何の話してたの?」
「遥稀のおすすめの本聞いてたんだよ」
「えー?遥稀のおすすめ?それって本当に面白いの?いっつも堅苦しいのとか暗いの読んでるしセンスないと思うよ」
小川さくら。クラスメイトで遥稀の友達、らしい。要に対して一途な思いを抱き続けている女子。正直言って俺は彼女が苦手だった。
所々遥稀を見下している発言が目立つし、それだけでなく酷い言葉を浴びせているのも稀に見る。遥稀は何も言わずに聞き流しているからいい気になっているのだろうけど、聞いているこっちはあまりいい気はしない。
本人にそれとなくやめた方がいいと忠告を試みたものの、何故か俺を持ちあげて褒めて遥稀のことを貶すという態度をとられてあまり意味がなかったように思える。
「遥稀のおすすめはどれも俺好みで面白いと思うんだけどな。まあ、そうなると俺の趣味も暗いってことになるのか」
「えー?蒼くんは遥稀と全く違う人間でしょ。ランクも性格も何もかも。遥稀と違ってすっごく優しいし、頭いいしスポーツもできるし」
それは遥稀にも当てはまることだろう。
というか、自分のことを棚に上げてそんなことを言える神経が信じられない。
「あーあ、つまんない遥稀と隣の席になるなんて本当にツイてないね。蒼くんかわいそう」
「あのさ、さっきから、」
「あ、要だ」
「え?どこ?あ、要くん、おはよう」
俺が何かを言い返そうとしたところで、遥稀が言った。さくらは要の所に行ってしまった。
「遥稀、」
「蒼、ありがとう。反論してくれて」
「いや、俺は何もできてないよ」
「さくらは、何言っても聞いてくれないよ。昔からだから」
「それじゃあ、ずっと見下されて、あ、いや、」
「蒼も気づいてたんだ?」
遥稀は悲し気に笑った。
「何度も酷いことを言われて一度だけ本気で怒ったことがあるの」
「遥稀が?」
「そんなに意外?さくらに言われ続けた言葉が悲しくて、そこまで言うなら友達をやめようって」
意外だった。遥稀は確かに芯が強い方だと思う。でも、波風を立てるくらいならば自身で飲み込んでしまおうと考えているのが分かるくらいには我慢強い。
さくらは思い通りにならないことがあると癇癪を起す。それに根気強く付き合っていたのが限界を迎えたのだろう。
諦めと期待を込めて放った言葉に対してさくらはとても動揺していたようで、翌日から物事が上手くいかなくて癇癪を起してもその言葉だけは言わなくなったらしい。
「荒療治だけどね。一度自分が放った言葉がどれだけ人を傷つけるのか学んだ方が良いと思って。でも、そんなの意味なくなってしまったのかもね」
自嘲気味に笑った遥稀は少しだけ悲しい表情をしていた。
酷い言動に慣れるはずがない。それはきっと慣れたと自己暗示をかけているのに過ぎないのだから。それは遥稀も例外ではないはず。
必死に閉じ込めて封じた傷口はいつ開くのかわからない。まるで時限爆弾みたいだ。
悲しそうな表情を減らすために俺にできることは何だろう。そんなことを心の片隅で考えながら俺は遥稀に本のおすすめポイントを聞いた。




