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「遥稀、大丈夫か?」
放課後、心配を隠しきれないような様子で優弥がオレ達の教室を訪ねてきた。下の学年の児童が教室に来たということで注目を浴びている。
「優弥、どうしたの?」
「朝、遥稀が揉めてたって聞いて。しかも、その相手がいっつも遥稀のこと馬鹿にしてたやつって聞いたから大丈夫かと思って。絶対そいつ性格悪いから、性格悪い仲間を率いて嫌がらせしてくるじゃん」
「漫画の読みすぎでしょ」
今日一日遥稀のことをなじっていた連中が肩を震わせていた。何人かは顔を真っ赤にしている。
「そんなことないって。姉ちゃんが性格悪いやつの仲間は大体性格悪いから気をつけろって前に言ってたし。絶対陰で文句言ったりしてるって」
否定をしたいのにできないで肩を震わせ続けているのがまた笑えてくる。ここで何かを言ってしまったら、既に陰口を叩いていたことやこれからやるつもりだったと言っているも同然だからな。
優弥、マジでファインプレー。
「それで心配してわざわざ四年生の教室まで来たのかよ?お前も相変わらず遥稀が好きだな」
「だって、遥稀面白いじゃん。俺のこと否定しないし、お菓子くれるし」
優弥が遥稀を慕っているのと同様に遥稀も優弥のことを気に入っていて甘いところがある。オレに対しては辛辣に返すことも優弥相手だと言葉が幾分か優しくなる。
その優しさをたまにはオレにも向けてほしい。
「えー?遥稀、要先輩に対してはかなり激甘対応だと思うけどな」
どうやら優弥に思考を読まれていたらしい。こいつエスパーかよ。
「いや、甘くないだろ。思い返してみろ。オレが言われた数々の言葉を」
「えー?結構優しいと思うけどな」
こいつ、普段から遥稀に優しい態度で接せられているから変なフィルターがかかっていないか?絶対そうだ。
「優弥、今日は居残りないの?」
「俺がいつも居残りさせられてると思ってたら大間違いだぜ、遥稀」
「逃亡してきたとかだったら後で怒られるよ?」
「そ、そんなことしねーし」
優弥は目を逸らしていった。これは黒だ。絶対逃亡してやがる。
それだけ遥稀のことが心配だったと言えば可愛いものだが、遥稀からはきちんと居残り課題を終わらせてから帰るよう言われている。可哀そうに…。
優弥を見送ってから遥稀は帰る支度を始めた。それに倣うようにオレも支度を始める。
優弥と話している間、空気と化していたクラスメイトもノロノロと帰り支度を始めている。さすがに年下から放たれた正論パンチに落ち込んでいるらしい。
ストレートに純粋に性格が悪いと言われてしまえば落ち込むのは仕方がない。
誰もが綺麗な自分でいたい中でその事実を純粋に受け止めることは難しい。
「あ、遥稀まてよ」
オレが思考していると遥稀はいつの間にか教室のドアの方まで移動していた。
「あ、ごめん、考え事してたからほっといた方が良いかと思って」
「せめて声をかけろ」
廊下は少しひんやりしていて、先ほどまでの教室の賑わいが夢だったかのように感じられた。その中を遥稀は静かに進んで行く。
朝、さくらと揉めた場所で立ち止まりかけたが何事もなかったように歩いて行く、オレよりも前を歩いていたら表情は見れなかったが、それでも、遥稀の心が少し傷ついていたのは理解できた。
「遥稀」
「なに?要」
「少し寄り道していかね?」
「寄り道?」
遥稀は首を傾げつつも了承してくれた。
ひとまず目指すは景色のいい場所。それでいて、あまり人が来ないような場所。
頭を悩ませた結果、オレは道場の裏手にある山まで先導していった。
見晴らしの良い場所までつくとランドセルを置いて木の根元に腰掛ける。風が葉を揺らして何枚かが舞い落ちてきた。遥稀はその様子をぼんやりと眺めている。雲以外を眺めるのは珍しいと思ったがそういう気分の時もあるのだろう。
「要、なにかあったの?」
どう声を掛けるべきか考えていると遥稀がふいに口を開いた。
「なにかあったって言うか、」
果たして、この心配の気持ちを遥稀は素直に受け入れるだろうか?
優弥の心配もどこか他人事のように返していた。
感情がない、というよりも無駄なものを一切遮断しているように感じられる。そんな状態でオレの気持ちが届くことはないのかもしれない。だけど、それでも心配になる。
「今朝、いったい何があったんだよ?」
「何が、っていつもの癇癪だよ」
オレの質問に遥稀は淡々と答えた。
さくらの癇癪は確かによく見る光景だった。
だけど、遥稀のあの静かな怒りは初めて見るものだ、だから、いつも通りとは少しずれている。
「ただ、珍しいと思ったんだよ。お前があんなに冷たく怒ってたの。廊下とか超冷えてたし、」
「こわ、かった?」
「怖いというか、その、」
正直に言うとかなり怖かった。だけど、それを言ってしまったらダメな気がする。遥稀は俯いて肩を震わせているから。
「驚いた、というか、」
「怖かったならそう言ってくれてもいい。知ってるから」
「知ってる?」
オレが聞き返すと遥稀は呼吸を整えるために深呼吸を始めた。
遥稀のあの冷たさは意図的に演出していたもの、ということだろうか。正直、そうであってほしい気持ちはある。だが、オレの目にはそうは見えなかった。
「小さい頃、言われたから知ってる。泣かれたから、怒ったらダメだって思ってた。だから、怒らないように、してた。なのに、」
遥稀はポツリと話し始めた。
怒りを恐れられた。そのトラウマを。
どれだけさくらに蔑ろにされても怒らなかったのは、いや、怒れなかったのはきっと誰かを泣かせた過去を引きずっているから。
「本当は、あそこまで言うつもりはなかった。我慢すれば、いいこともわかってた。だけど、このままじゃダメだとも、思ってた。さくらも、わたし、も」
「何が、ダメだと思ったんだ?」
「わかんない、だけど、壊れちゃうと思った。ズタズタに」
「壊れる…」
関係性が、心が、それ以外の何かが、壊れる。遥稀はきっとそう伝えたいのだろう。
「…何も言わずに離れることもできただろ?なんでそうしなかったんだ?」
「さくらは、ともだち、だから。明るくて、気さくで、誰とでも話せるのは凄いと思う。私とは違う」
オレはさくらが凄いと思ったことがないが遥稀がそう感じたのなら否定する必要はない。どっちかって言うと遥稀の方が凄いと思う人間の方が多いと思う。
「たぶん、さくらに気づいてほしかった。言葉の痛みと重みに。だけど、たぶん、疲れちゃった」
「疲れた、か」
「うん。あんまりよくないことだってわかってる。馴染めてない私が、悪いって、」
「そうか?」
「え?」
「オレは仕方ないことだって思うけどな」
「仕方ない?だって、普通は受け流せないとダメで、こんなことで疲れたり傷ついたりはしなくて、」
また悪い癖が出ている。こいつはどんだけ普通を渇望しているんだ。
尊敬を通り越して呆れの感情が強くなる。
「普通の人間はそこまで向き合ったりしねーよ。適当に見切りをつけて離れるのがオチだろ」
「そう、なの?」
「だって、わざわざ悪意を持って接する人間の相手するなんて時間の無駄じゃん。疲れるし、できるなら関わりたくないって」
だから、さくらの周りには人がいなくなった。他人の長所を見過ぎるのも考えものだな。判断が鈍る、というより限界を迎えるまで麻痺する。
「だけど、さくらからはあんまり悪意は感じなかった」
「それはそれで問題だろ…」
悪意が無いのに蔑ろにしたり暴言を吐いてくるのは余計にタチが悪い。むしろ今離れて大正解だろ。
「まあ、心が限界に気づいたなら仕方ないな。今は離れた方が良いんじゃね?」
「…確かに…。」
「しばらくは向こうも寄ってこないかもな」
あれだけの怒りを食らったんだからしばらくは下手な真似はしないだろ。陰口を叩いていたのも直接的にあの光景を見ていないやつらだ。目撃したやつは一様に恐怖を感じたはずだからそいつらも下手な真似はしないはず。
ただ、あの怒りは図らずも遥稀自身の桁外れな強さの証明になってしまった。




