”実験都市ヒノモト”
日本全国に四箇所設立された実験都市プロジェクト。北は富良野、西は白浜、南には種子島という順でできあがっていき、全ての実験都市の粋を集めたのが、長野に建設された”実験都市ヒノモト”だった。
廃村した集落地帯を利用し、文明と自然の共存を歌ったコンセプトで建設されたこのヒノモトは、移住条件や生活の姿が明かされていなかった。しかしシャオ・レイがヒノモトで何かを起こすタイミングに、住人の姿を拝めるチャンスが来たとのことで多数の人達がヒノモトの周辺に集まっていた。マスコミ関係者を始め、配信者、野次馬など、とにかく数字を求めて群がっているのは明白だった。
「……ほんっと危ない。殺されることを少しも考えてもないのかな」
都市の門に群がる様子をスミカはカフェのテラス席から眺めていた。スミカのいるカフェは元々道の駅で、今ではツーリングのロケーションとして賑を博している。また商売たくましく、”実験都市ヒノモト”に由来したグッズやグルメが展開されていた。”ヒノモトせんべい”に”ヒノモトコーヒー”を食しながら、スミカは注意深く周囲を観察した。
「あの放送から二日。警察どころか国連も動く気配がないんだけど」
シャオ・レイと先導ハルが動画サイトで言葉をかわしてからというもの、ああやって人が群がること以上の変化は訪れていなかった。先導ハルは沈黙し、シャオもこれといった動くを見せない。なにより治安維持機構が働いている節がまるでない。
都市へと続く門扉は固く閉ざされ開く気配はない。警備員や警備ドローンも展開されていないことを見るに、都市への侵入には絶対の自信を誇っていたのだろうか。だがシャオに侵入を許している時点で疑わしくなっている。そこまで考えて、ふとある可能性に思い至った。
「……シャオ・レイがいた場所、もしかしてヒノモトじゃないとか? でも歩きながら喋ってたし、背景も誤魔化せないよね。でも技術的にできなくもない感じもあるような……」
もはやネット上での偽造が当たり前になったいま、技術的に可能なことが多すぎる。逆にできないことを探すほうが簡単かもしれない。
ここに集っている野次馬たちは仮想で見た情報を本物だと信じている。恐らく本物かどうかは彼らにとっては些末なことなのだろう。影響の強い話題を絶えず提供して、人の注意力を奪い心を煽る。もはや嘘が現実だ。本物なんてものに価値はない。そう考えるとアイドル活動も似たようなものを届けている気がする。夢を与えるなんて聞こえのいい言葉を使って、ファンの時間と財産をいただいているのだから。
「こうなったら……無理矢理にでも」
様子見の時間は終わりだ。ドリンクを飲み干してその場から去ろうとしたそのときだった。
「すみません、州中スミカさんですか?」
突然声を駆けてくるものに反射的に顔を上げる。声をかけたのは頭皮の薄い中年と細身で目に正気のない二人組の男たちだった。細身の男の手にはカメラが握られており、こちらにフォーカスが向いていた。
「突然すみません。週刊ナインのものなのですけど、少しお話よろしいでしょうか?」
やはり大手週刊誌の記者だったようだ。一応、キャップ帽とメガネという変装モードにしていたが、一瞬で看破されたことが冷静さを奪っていった。
「……人違いじゃないですか、」
「ですがいま、ご自分の名前に反応されましたよね。芸能界から退いてからは、いまどんな活動を?」
「だから、違うって言って──」
語気を強めたところで、いきなり帽子とメガネが奪い取られた。思わず立ち上がって、後ろからの気配に振り向く。若いふたり組の男が驚いた顔で歓声をあげていた。
「うおおっ、マジでスミカちゃん!? いやあ、マジでホンモンだと思わなかったわ〜〜」
「言われたとおりやってよかったぜ。んじゃ、あとは遠慮なく──」
そうして二人の若者たちはそれぞれのカメラをこちらに向けてきた。スミカは苛立ちに奥歯を噛み、記者たちの方へ振り向いた。
「これ、あなたたちの仕業?」
「さて、なんのことやら。しかしこれで本物だと証明されましたね。お話を聞かせてもらいませんかね」
フラッシュが弾け、スミカは光にさらされる。一度撮られたものは、ネットの海で永遠無辜にさらされる運命だ。逃れられる手段はなく、回避する手立てはなくなった。
スミカは呆然と立ち尽くした。このまま大暴れしても失うものはなにもない。だが虚無感ばかりが支配されていく。
「君がヒノモトへ来たのは、シャオ・レイに対しての復讐が目的ですか?」
何も答えなかった。未だに自分の目的なのか分かっていないからだ。
アイドル活動を始めたてのスミカは、母親がザルヴァートのテロによって奪われたことを明らかにされた過去がある。当時は認めたうえで、誰かの傷ついた心に寄り添うようなアイドルになると宣言した。だが今では本心かどうかあやしい。スミカは結局、友達を疑い、容易に復讐心に囚われてしまったのだから。
周りから注目が集まっていく。逃げたくても、その気力が沸かない。別に彼らに対して思うところがあるわけではない。ただ杞憂だった。こうやって人の領域へ足を踏み入れることでしか心が動かないのなら、もはやアイドルの存在意義は消えたのも同義だからだ。
「……私は……どうして……ここに」
今の州中スミカはなんだろうか。もうアイドルではない。学校も単位ギリギリだったが卒業した。卒業後は国連からの仕事を小遣い稼ぎに利用したこと以外は、”旅するアイドル”や”ザルヴァート”などの動向を追っていた。だが結局、スミカは渦中に入ることなく路傍に生える雑草のように運命の時を眺めるしかなかった。”ザルヴァート”は州中スミカという存在を認識すらしていなかったのだから。
いつの間にか、周囲のざわめきが無視できないレベルにまで達してきた。スミカを指差し、わらう。眉をひそめて、喜ぶ。知る権利から暴く権利へ。そんなことになっても、彼らに対して思うところはない。むしろ自分自身が招いてしまっている事実に吐き気をもよおしてしまった。
気分が悪くなってうずくまるスミカに、誰も心配の声をかけようとしなかった。人の匂いでむせ返る。いや、人の匂いではない。
「やっぱり、私の見立ては間違っていないじゃない。暴力の平定より、言論の自由を履き違えた奴らを処罰するべきだったのよ」
雑音に混じって聞こえてきたのは皮肉げな女の声だった。どこかで聞いたことがある。そう思って顔を上げると、スミカによってたかっていた連中が離れだしていた。例外はいなかった。何かに操られたようにふらつき出し、慌てふためいた様子をみせていた。
「な、なんだ! 身体が勝手に動くぞ!」
「お、おいたすけてくれええ。頭がふわふわして、酔っ払ってるみてえだ」
スミカはあっけにとられた。もちろん全員ではなく、週刊誌の記者たちと若い男たちを筆頭に、スミカを野次馬していた者たちがおかしくなっていた。
「え、なになに。急に何が起きてるの!? まさか幽霊の仕業?」
あまりに唐突で不可解な状況に飲み込めずにいる時、再びその声が聞こえてきた。
「幽霊、ねえ。あながち間違っていないか」
「大間違いよ。死刑囚はまだ死んでいないでしょう。それより大丈夫だった、スミカさん。こんな大変な時に絡まれて気の毒だったわね。何故ここにいるのかは聞いておいてもいいかしら?」
本当に幽霊がいるのかと思ってしまった。ショートカットの黒髪は死刑囚なんて評されていたが、スミカはもうひとりの方へそんなことを思っていた。宗蓮寺ミソラ。片目に包帯が巻いてあるものの、その佇まいを間違えることはない。しかし彼女も、”ザルヴァート”との戦いで噴火に巻き込まれたはずだ。
「……そっか。生きてたもんね。生きててもおかしくないか」
その言葉にミソラが一瞬首ををかしげたが、すぐに状況へと意識を移した。
「スミカさん、良ければちょっと付き合ってくれるかしら」
スミカは微妙な顔になった。ここで彼女たちに付いていったとして、都市の中に入れるとは限らない。むしろ止にかかってくる可能性だってある。ミソラはスミカの様子を見破っていたのか、こんなことを口にした。
「都市入りの目処が立ってるの。交換条件といきましょう。ただの野次馬根性でこんな場所に来たわけではないでしょう?」
二日待ちぼうけを食らっていた所に都市入りのイベントが振ってきた。スミカはあからさまな餌に食いついてしまい、彼女たちの後についてった。
当然、宗蓮寺ミソラと松倉リツカというトンデモコンビがやってきたことは、瞬く間に全国へ広がったが彼女たちがそんなことを気にしている様子はまるでなく、つい先程の自分を比べて情けないと感じてしまうのだった。
日本に対して宣言を発してから丸一週間が経ったが、一向に動きはない。”実験都市ヒノモト”は空虚な箱庭と化していた。住人の避難は完了し、一部エンジニアが都市機能を守るために留まっている。彼らにも挨拶は済ませており、日本の機構を担う彼らの覚悟はシャオに好感を抱かせた。自分たちの仲間にしたいほどに。
「そんなに”新たな秩序”が気に入ってんだ。災害には勝てないって主知らせたつもりなんだけどなあ」
「……ここが、最後の砦なんだ。警備ドローンが無秩序になれば日本は崩壊する」
「責任転嫁、他責思考の塊みたいな日本人が助長するだけじゃないの、それ。実際そうなってるし」
今更な意見でしかない。”20年禍”以降に出現した膨大な要素が世界中を堕落させた。思考を奪われ、意志を捻じ曲げられ、それを良しとしているくせに良しとしないものを平然と抑え込めようとする。
「アタシは成功してほしかったな、”新しい秩序”。あのときの日本、結構いい感じだったんだよ。松倉リツカという破滅思想が勝つか、君たちの秩序が勝つか。けど結局、なあなあな結果に終わっちゃって残念。だからパパを復活させようという気になったんだけどさ」
ある意味では本懐が叶ってよかった。父の復活はザルヴァートの再興にほかならない。つまりは世界中に思い知らせるターンが訪れたということ。ふと、アラートが鳴り響いた。都市に無断で入ってきたものを報せるものだ。シャオはエアディスプレイを開いて都市の監視カメラの映像を表示させた。それは彼女にとって愉快な一報だった。
「……ハハ、アハハハッ! さいっこうよ! まさかアナタたちがやってくるなんて!! よかったわね、日本政府は本気を出してきたみたい」
エンジニアたちに見せてみる。一向に驚きの反応を見せた。中には不安を隠せないものもいた。当然だろう、画面に写っているのは宗蓮寺ミソラと松倉リツカだったのだから。
「ミソラが生きていて、松倉リツカと手を組んできた。──これはアタシも最後の娯楽と興じましょうかね」
シャオはそびえ立つ機械の壁に向かって言い放った。
「全システムに通達。全省庁、政治家、および関係者の襲撃を」
『音声認識──エラー。その命令は使用できません』
「再通達。自分の役目をまっとうしないと、君の存在がなくなっちゃうけど、いいの?」
まるで人に話すような口調でシャオはシステムに告げた。一部のエンジニアが仰天していた。恐らくシステムの正体を知っているのだろう。従来のシステムならエンジニアたちを脅してセキュリティを緩めるだけで良かった。だが最新鋭の技術はそうはいかない。エンジニアたちはいわばお世話係のようなものだ。末端はシステムの正体に気付いていない。
『命令、限定解除。同位存在との同期確認。秩序維持のため、本当の社会の敵を排除。──これこそ、真なる日本の未来への解答とします』
「ま、このところが妥当か。一般市民も対象だったらよかったのになあ」
結果にやや不満はありつつも、目的の一つは達成した。機械の反乱。SFで謳われるような展開の一つが実際に可能だと示した。
「じゃ、アタシはせめて完了するまで護衛でもしてる。一番脅威なのは誰?」
『──現在、この都市に潜入しようと企んでいる勢力が多数おり、その中で最も可能性の高い人物をピックアップ。シャオ・レイ、あなたの献身的な協力に期待してもよろしいでしょうか』
ヒノモトのシステムがエアディスプレイ上に勢力図を描き出した。警察をはじめ、国連の尖兵、国家の特殊部隊など多数の勢力が集まっている。しかし彼らはお互いに牽制しあっているようで、潜入へ踏み切れていない。そんな中、たった二人の女がシステムを脅かす危険人物だと判断していた。シャオはつい頬が釣り上がるのを感じた。動悸が早くなり、口の中が乾いていった。
「……こんなにも、こんなにも早く出会えるなんて。しかもアタシが会いたかったテロリストまで一緒にッ」
我ながら子供っぽいと思う。父の使命を叶えるために必要以上の殺しはしないと決めた。そういう殺しは富良野で襲われたときが最後だ。
だが急に来たのなら仕方ない。これを我慢したところで、向こうがやってくる事実に変わりないではないか。大義名分を自分の中で理論武装させていき、肥大化した欲望がシャオ・レイの根幹を呼び覚ます。
「もう二度と遊びはやめようって思ったのに、こんなことされたらシたくなるに決まってるじゃん」
そうしてシャオは高ぶる熱をどうにか内に留める。理性で抑えているのではなく、本能がそうさせている。なぜなら──。
「意図せず最高のシチュエーションが生まれるのかな、この戦争」
スミカを引き連れてミニバンの中へと連れて行く。キャブコンと比べると狭く感じるが、何人も乗り込める点では一般的に浸透されているだろう。リツカとミソラ、そして後から乗ってきた三人目を見て、運転席の彼女が驚きの声を上げた。
「スミカさん!? ど、どこで彼女を」
「……ラム、さん」
スミカがラムを最後に見かけたのは花園学園での一件以来だろう。そこで彼女は半グレの襲撃にあい腹に大怪我を負った。スミカの表情からは、そんな状況に陥らせてしまった罪悪感みたいなものを浮かべていた。
「ちょっと、なんでこの子泣きそうになってるわけ?」
当然、状況を知らないリツカは困ったようにミソラを見てくる。おいそれと事情を語るのも野暮だ。ミソラはラムを見て頷いた。予定にはないが、ラムに任せようと思う。
「スミカさん、宜しければヒノモト前にいた理由を教えてくれませんか? ある程度は〈P〉から訊いてはいますが、状況を整理するという意味でも改めて」
彼女の罪悪感を煽ったようでこちらも胸が痛むが、こちらも緊急性を要する事態だ。いつ状況が悪化するのかわかったものではない。スミカは唇を引き締めて語り始めた。
「……知ってると思いますけど、わたしはザルヴァートのテロでお母さんを亡くしました。そのときはザルヴァートに復讐しようとか全然考えなかったんです。でも、アイカちゃんと出会って、お母さんを奪ったテロについて考え出しちゃって……花園学園の一件からもう頭がぐちゃぐちゃになって」
そのあとは州中スミカという人間がザルヴァートの元凶である市村創平の娘とどう向き合っていったのかという記録が待ち受けていた。国連からの接触から仮面という戦うための武器の獲得。なにより白浜で出会った白銀の仮面がスミカということには、さすがのミソラも驚きを隠せなかった。
「その、あの仮面を被ると性格まで変わってしまうのかしら?」
「あれは戦闘に必要な感情を極端に引き出す影響だって、国連の人が言ってて……あのときのわたし、そんなにやばかったですか?」
もちろん、という言葉を飲み込んでおく。普段から愛嬌を振りまくスミカとは思えない、冷たい言葉と態度の数々。それなのにアイカはスミカであると看破したという。
「よくアイカさんは貴女だって気付いたわね」
「──それは、本当に、はい」
どこか嬉しそうに語っているのは気の所為ではないと思いたい。
「高校を卒業してから、国連からの依頼をこなしてました。いつかシャオ・レイやザルヴァートと出会えるチャンスだと思ったんです。そうしたらあの噴火が起きて──後日、国連に呼ばれたわたしは仮面を奪われたんです。事実上の解雇です」
するとリツカは重い溜息をついた。
「まず国連のやってくることが中々ね。仮面を被るとナノメタルが全身を覆うって、どこぞの総理大臣がやってることとほぼ同じ」
「それこそ今更よ。世界が隠していた技術がいろんな形でお披露目になっているだけ」
ある意味では”技術的特異点”のお披露目大会といっていい。もっとも本当の特異点は人が操るものではなくなっている。間違いなく、此度の件から端を発しているのは間違いない。
「国連はザルヴァートを止めるために動いているのかしら」
「──以前は、そうではありませんでした」
「というと?」
「単純に世界の治安維持を目的に、貧困地域や紛争地帯で難民の救助活動に動いてはいました。けど世界中でテロや紛争が活発になって、国連にまで被害が及ぶようになってからは自衛のために傭兵を使うようになりました。まあ、裏ではあんな仮面を製造してわたしにテストさせていましたけど」
「一枚岩ではないのはどこもいっしょか」
リツカの言う通り、組織の構造はどこも変わらないらしい。今のところ、国連が世界を支配しようという目的がないことが救いか。するとスミカがうつむきがちになって言った。
「……でも今は違う。あの組織はザルヴァートを滅ぼすための組織になっている。……だって」
顔を上げてミソラを見つめる。先程のスミカの発言が一瞬よぎることとなった。
「アイカちゃんが、その全権を奪ったから」
思考が完全に止まった。理解より先に拒絶が働く。
行動なんてどうでもいい。問題は誰の話をしているのかそれだけだ。
「なるほど、全員運良く生きていたわけね」
「アイカちゃんは噴火のさなか、国連に助け出されたんです。向こうはアイカちゃんを利用しようと企んでいたと思うけど──」
「逆に利用しようとあの子は動いたってわけね」
噴火から生き残ったことをしるやいなや、国連を利用してザルヴァートの徹底した殲滅行動を図った。そこには史上最悪のテロリストの娘としての片鱗を見せている。
「……少なくとも、敵対することはなさそうだけど」
リツカの言う通り、アイカはザルヴァートを倒すために動いている。元々彼女が抱いていた願いだ。これでようやく叶うのは良いことだ。だというのに、ミソラの心は一向に晴れなかった。
「なんで、戻ってこないのよ」
考えるより先にそんな言葉を口にしていた。胸を締め付けてくる感情に対処ができない。怒っているわけではない。アイカが無事で良かったと思っている。
戻ってきて、愛想のない言葉を吐き出して、なんとなく言い返してを繰り返して。しかしその日々は帰ってこない。市村アイカはもう、ミソラの知る彼女ではなくなった。




