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ローレライの想い~美術館は修羅場の香り~


「じゃあ、明日あの美術館で」


 彼女と初めて出逢ったあの場所で描く約束をして別れたけど、離れていく姿が名残惜しくて、何だか離れてしまうともう逢えないよう気がしてーー。


 でも、彼女は振り向きながら


「約束だからねっ」


 僕に笑顔を見せてくれたんだ。


 それだけで安心してしまう僕は自分で言うのもなんだけど結構、単純なやつだと思う。


 明日になればまた彼女に会える。


 彼女を描ける。


 そんな風に考えただけで明日が待ち遠しくて、今日は眠れないかもしれない。うん……僕って遠足の前の日の子供みたいだな。


 彼女と別れた僕は日の暮れた海原を横目になんとなく足取りも軽く感じながら家路へと向かっていてーーそういえば……。


 ふと君のことが脳裏を過ぎった。


 なんで、彼女と一緒に居たんだろう?


 僕と彼女の間で退屈そうに寝そべっていた君は気が付くといなくなっていた。


 本当に不思議な猫だと思う。


 彼女の飼い猫でもないみたいだし、ここら辺は喫茶店からかなり離れた場所なのに君は当たり前のように僕らの前に姿を見せてくれる。


 まるで、僕らを巡り合わせてくれたかのように。


 夜空を見上げながら、そんな風に考えたけれど直ぐに、そんなことあるはずないと苦笑しながら。


「でも…まさかね」


 けど、ほんの少しだけあり得るかもしれないなんて思ったりして呟いてしまう。


 だって、もしそうなら君は運命の女神様だから。


 人気の少なくなった遊歩道をぶらぶらと歩きながら見上げる夜空と海風の心地良い風が僕の心を和ませてくれる。


 微かに聞こえてくるさざ波がBGMのように耳を打ち、見上げた夜空は幾つもの星々が煌めいていて。


 それらを優しく包み込むように三日月が、まるで頰笑みを浮かべているように見える。


 こんな時間の寄り道も悪くないな。


 そんな風に思いながら僕はゆっくりとした足取りで家路に向かって歩いたんだ。




ーーー次の日



 僕はあの長い坂道を登りながら美術館を目指した。いつもなら茹だる暑さにダラダラと歩くのだけど今日は違う。


 何だか見える景色の全てがキラキラしてて僕の足取りも自然と速くなる。


 だって、彼女が待ってるから。


 それだけで瞳に映る世界が変わった気がするのは僕の心がウキウキしているからかもしれない。


 もう少し歩けば美術館が見えてくる。


 最後の上り坂を越えた先から見える駐輪場。


 そこに見覚えのあるスクーターが止まっているのが見えた僕の口元が思わずにやけてしまう。


 約束を守ってくれた。


 ただ、それだけで嬉しくて。


 彼女がいると分かった瞬間、僕の意識は彼女のことでいっぱいになってーー早く逢いたい、あの子の姿を見たい、あのこの絵を描きたい。


 はやる気持ちを抑えながら周囲を見渡した。


「どこにいるんだろう…」


 スクーターはあるけど彼女の姿が見えない。


 もしかしたら、美術館内?


 そうだよね、外はこんなに暑いからきっと美術館で涼んでるだ。


 そう思いながら美術館へと向かう。


 扉が開いて中へと入ると涼しい風が頬を撫でて外の暑さに火照った身体を優しく冷やしていく。


 僕は彼女の姿を探して周囲を見渡した。


「誰かをお探し?」


 受付カウンターで楽しげな表情を浮かべるお姉さんが僕に声をかけてくる。


 もうね……楽しい玩具を見つけた子供のように瞳をキラキラと輝かせながら物凄く楽しそうな笑みを浮かべていたんだ。そうだった……ここにはお姉さんがいたんだ。


 嫌な予感を感じながら近づいていくとチラチラ彼女の絵のある部屋と僕を交互に見てきた。


「…楽しそうですね」


 入館料を払いながらジト目で見つめる僕にお姉さんは口元に手を当てながら微笑を浮かべる。


「そりゃあ~ねぇ、修羅場だもの」


「いや、修羅場って……」


 何となく理解できた僕は苦笑いを浮かべながら彼女のいる部屋へと向かうとーーー。


 うん、やっぱりいた。


 僕のいつもの指定席にあの子が座って彼女を見ている。部屋で流れているのはあの子の歌声で何だか声をかけづらい。


 しばらく後ろ姿を眺めていたけど、なんだかあの子と彼女の時間を邪魔しちゃいけない気がして僕は受付カウンターに戻ったんだ。


 けど、その行動を僕は直ぐ後悔することになる。だってね…ほら、受付にはあの人がいるから。


「あまりの修羅場に戻ってきたの?」


 開口一番がそれですか?


 満面の笑顔で私は興味津々ですってぐらい瞳をキラキラと輝かせてる姿に言葉が出てこない。


「そんなんじゃないですよ。何だか邪魔しちゃ悪いかなって思っちゃって……なんです、その目は?」


 お姉さんは瞳を細めながら意味ありげな微笑を浮かべて見つめていて僕はジト目で返してみる。


「だって、ほら君ってばさぁ。私の絵を描いてくれる約束だったでしょ?」


 うん、分かってますよ。約束は守ります。


 僕はとりあえずお姉さんの言葉に相づちを打って答えるけど、うん…嫌な予感しかしない。


「でも、あの子がここに来たのってまさか、先にあの子を描く気じゃないわよね?」


 悪戯っぽい笑みに変わったお姉さんの瞳から僕は、ゆっくりとした動作で視線を逸らす。


 はいっ、図星です。


 お姉さんより先に描こうとしています。


 そのための画材も鞄にバッチリと入ってます。しかも、お姉さんがくれた画材を使う気でした。


 うん、いま分かった。


 これが修羅場ってやつだ……。


「あれ、あれぇ?図星かな?何か言い訳ある?私、間違ってるかなぁ?ねぇ、ねぇ、どう思う?」


 矢継ぎ早に聞いてくるお姉さんに返す言葉が見つからない。前にお姉さんが冗談で言っていた浮気現場のように感じられて暑くないのに僕の額からイヤな汗が浮かぶ。


「…えっとですね」


 言葉は大切だ。


 間違えるとさらに弄られる。


 難しい……。


 とりあえず、僕がしたいことを考えてみることにした。僕はあの子を描きたい、それは何物にも代えがたいとすら思ってる…けど、チラリとお姉さんを盗み見る。


 どんな答えを言ってくるかワクワクしてる。


 そして僕が出した結論ーーー。


「…お姉さんを先に描かせてもらいます」


 僕は無難な選択を選んだ。


「うむ、よろしい」


 悪戯ぽい笑みを浮かべながら頷くお姉さんにしてやられた感が物凄い気がするんだけど。


 それからたわいもない会話をしているとあの子がふらりとこちらに歩いてきた。


 その頬は少し赤く高揚している。


「…あっ、来てたのね」


 僕を見つけた彼女は軽く手を振りながら少し早足で僕の所へと駆け寄ってきた。


 けれど、僕とお姉さんが楽しげに会話をしていた姿に何か言いたげな表情を浮かべて呟く。


「知り合い…だよね」


 この美術館によく来ることを話していたから彼女もお姉さんのことを知っているのだけれど……。


 なぜだか後ろめたく感じてしまう。


「う、うん。君があの絵を見てたから邪魔しちゃ悪いと思って受付にいたんだ」


 言い訳じみた口調になるのは何故だろう。


 そんなしどろもどろの僕と少し不満げな表情を浮かべる彼女を見つめながらお姉さんは楽しげな笑みを浮かべた。


「むふふ、さぁ修羅場だ」


 僕にしか聞こえないぐらいの小さな声で呟くお姉さんの姿をチラリと視界の隅に入れながら…さて、何て説明しようか。


 先にお姉さんを描くことを彼女にどう伝えれば良いか、人知れず頭を悩ますことになったんだ。


ーーーそして、数分後


 僕は今……何だか、とても居心地が悪い。


 お姉さんが言った一言が原因だ。


「ここで描いてね」


 そう言って指差したのは彼女の部屋。


 受付カウンターが見えるのでお客さんが来ても直ぐに気付くというのがお姉さんの言い分。


 たしかにこの場所からだと受付がよく見えるから間違ってはいないよ。


 でもね……視線が痛い。


 僕は部屋を背にしてお姉さんを描いているんだけど、背後から二人の(・・・)視線が容赦なく背中を突き刺してくるんだ。


 僕はその視線に背中に冷たいものを感じながら、お姉さんの絵を描き続けた。


 何度かお客さんの相手をするためにお姉さんは席を外したけれど、流石というか何というかこの美術館の経営は大丈夫なんだろうかと心配になるぐらい人が来ない。


 おかげでと言うのも変な話だけれど、お姉さんのデッサンは思っていた以上にスムーズに進んだ。


 それに室内で流れるあの子の歌声も心地よくて僕の心を穏やかにしてくれているのも大きな要因だと思う。ただし……二人の視線がなければね。


 ソファの背もたれに顎を乗せて僕の後ろ姿を見つめ続けるあの子と少し高い位置から見下ろすような視線の彼女、二人とも僕の背中をジイッと見つめているような気がする。


 僕の気のせいだと思うけど、何だろう……お姉さんを先に描いているこの罪悪感。


 打たれ弱い僕の胃がキリキリと痛み出す。


「……ねぇ」


 背後からあの子が声をかけてきた。


 少し不機嫌そうな声だ。


「は、はい…」


 少し上ずった声に内心で舌打ちを漏らしながら意を決して振りかえると僕をジッと見つめる瞳と目が合って、その瞳に僕はドキリとした。


「どれくらい出来上がったの?」


 描いている絵に興味を持って聞いてきたのだろうけれど、その吸い込まれるような真っ直ぐな瞳から視線を逸らすことが出来ずに僕は無言のまま見つめてしまった。


 言葉を交わさなくても彼女の気持ちや想いが伝わってくるようでーー


 僕は彼女のことがやっぱり……。


「ごほんっ……」


 彼女の姿しか視界に入っていなかった僕の耳に小さな咳払いが聞こえて僕はハッと我に返った。


 僕は今どこに……あっ、ヤバい。


 冷や汗が頬を伝う。


 後ろを振り返るのが躊躇われる。


「…ごくっ」


 でも…覚悟を決めて後ろを振り返ると。


 案の定、呆れたような表情でお姉さんが頬に手を添えて僕らを見つめていたんだ。


「仲が良いのは分かったんだけどね…まぁ、ちょっと居心地悪くてね。独り身にはこの甘い空気はねぇ。余所でやっとくれると嬉しいんだけど?」


 皮肉交じりの言葉に僕は頬が引き攣り、彼女はきょとんとした表情を浮かべていたんだ。


「…あははっ、そんなんじゃないですよ」


 渇いた笑いで誤魔化すことしか出来なかった。


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