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ローレライの想い~あの子と彼女の見つめる未来~


 お姉さんの絵も一段落して、僕らは美術館の中庭にあるテラスで休憩することにした。


 白色で統一されたテーブルと椅子のセットが三箇所に設置されていて、どの席からも街並みが一望できるんだ。


 湾曲した港の先にキラキラと銀色に靡く海原が眼下に広がっていて、まるで地中海の街並みを見ている気分になる。


 自販機で買った珈琲を二人で飲みながら柔らかな風の心地よさになんともいえない幸福感を感じる。


「ねぇ、あなたは夢ってある?」


 彼女から訊ねられて僕は自分の夢について考えてみた。なんだろう……僕の夢って。


 改めて考えてみると何も思い浮かばない。


 美大に入ったのだって、ただ単に絵を描くことが好きだったからで画家になりたいわけでもない。


 僕が悩んでいると彼女は少し哀しげな表情を浮かべた。何だか心を締め付けられるような、そんな感じがした。


「…私の夢はねーーーの」


 えっ、今なんて言ったんだろ?


 上手く聞き取れない。


 風に靡く髪をそっと手で押さえつけながら眼下に広がる海原を哀しげに見つめる瞳。


 そんな彼女に僕はなんともいえない喪失感を感じて少しだけ哀しくなった。


「もう一度、言ってくれないかな?上手く聞き取れなかったから君は何て言ったの?」


 その瞳を見つめながら問いかける僕に儚げな表情を浮かべた彼女は僕を真っ直ぐに見つめた。


「生きたい……貴方と一緒に」


 ドキリとした。


 彼女の瞳が少しずつ潤んでくる。


「私ね……もうすぐ死ぬの」


「……えっ」


 言葉が理解できない。


 どう言う事なんだろう……えっ、死ぬって。


 茫然とする僕に潤んだ瞳で優しく微笑む彼女はゆっくりと噛み締めるように言葉を紡ぎ始めた。


 余命宣告されていること。


 感情が理解できないこと。


 その言葉の一つ一つが僕の意識に這入り込んでくるたびに目の前にいる彼女の存在が遠のいていくみたいでーー僕は。


「……」


 言葉を発することが出来なかった。


 なんて声をかければ良いのか分からない。


 僕はそれが悔しくて情けなくて、ただ俯くことしか出来なくて……。


 ようやく彼女に出逢えたのに、なんで、なんで、なんでーー僕の意識に不条理な怒りが湧き上がる。


 どうすれば良いのか分からない。


 僕はゆっくりと立ち上がって彼女を抱きしめた。なんで、そんな行動をしたのか分からない。


 無意識だったと思う。


 ただ、抱きしめたかったんだ。


 彼女の痛みや辛さを分かち合いたい。


 少しでも彼女の心が救われるなら僕は彼女のために出来ることをしてあげたい。


「僕に出来ることはある?」


 彼女を抱きしめたまま僕が訊ねるとーー。


「…もう少しこのままで」


 微かに震えたか細い声が耳を打つ。


「分かった…」


 僕はさらに彼女を強く抱きしめた。


 離さない……彼女を守るために。


 どのくらい、彼女を抱きしめていただろうか。


 数分のような気もするし数秒な気もする。


「ありがとう…もう大丈夫」


 彼女は俯いたままそっと僕から離れた。


 離れていく彼女と抱きしめていた手に微かに残る温もりが、何だかとても切なくて言い知れぬ不安が僕の心に押し寄せてくる。


 もう二度と彼女と触れ合えない気がして…。


「…ねぇ」


 彼女は俯いたまま僕に問いかける。


「うん?」


 僕の返事に彼女は口を噤む。


 言いたいことがあるのに戸惑ってるみたいだから僕は彼女が話し始めるのを焦らずに待ち続ける。


「……っ」


 何かを呟いた。


 よく聞こえない。


「なに?」


 もう一度、彼女を抱きしめる。


 今度は優しく包み込むようにーーそっと。


「貴方が好き……」


 俯いたまま今度ははっきりと聞こえた。


「僕もだよ」


 その言葉に一瞬だけビクリと身体を震わせた彼女は少し戸惑いながら顔を上げた。


「…本当に?」


 不安げな表情と微かに赤くなった瞳に見つめられた僕はギュッと彼女を抱きしめながら耳元ではっきりと自分の気持ちを伝えたんだ。


「うん、君が好きだ。離したくない」


 心の底から僕はそう思った。


 彼女に出逢えたこと、彼女の気持ちを知ることが出来たこと、そして僕の気持ちを伝えることが出来たことーー。


 彼女を描きたい、僕は強くそう思ったんだ。




ーーーー数日前・喫茶店

 

「…あんな表情をするようになったか」


 俺は喫茶店から出て行った美大生の子を見つめながら少しだけホッとしていた。


 あの病室での一件以来、俺は娘に会いに行かないようにしていたから正直に言って嬉しかった。


「…やっぱり、娘か」


 どことなく察していたんだろうとは思ったが、やっぱり店長には敵わないな。


「どこで分かったんだ?」


「うんっ?まぁ、ちらっと見たときの印象と…あとはスクーターだな。あのスクーターお前のだったろ?あんな骨董品、この街で見ないからな」


 あぁ、そういえばアレでここにも来てたな。


 妻との初めてのデートで海辺を走ったんだったな。あいつの好きな映画の真似して……。


 コトンッ。


 俺の前に暖かな珈琲が差し出された。


 無言で店長が俺を見つめている。


「…聞いて貰えるか?」


「ふんっ、暇だしな」


 全く…敵わないな。


 湯気の立ち上る珈琲を見つめながら何から話すべきか頭の中で整理しながら話すことにした。


 娘の容態、このまま進行すれば余命幾ばくもないこと……そして、父親である俺のことを憶えていないことを隠さずに話した。


「……そうか」


 店長は遠くを見つめながら頷いた。


 何故だか分からなかったが、その姿を見て何だか心の奥深くの痞えが取れた気がした。


「ありがとう…なんだか、スッキリしたよ」


 素直に礼を言う俺の姿に店長は微かに口元を緩める。不思議なもんだと思う。


 職業柄、分かっていることの筈なのに自分のことに対して俺は全てを一人で考え込んでいた。


 一人で悩んでいたときはもっと苦しくて逃げ出したいと思っていたのに人に相談するってのは良いことだな。


 まぁ、店長だからかも知れないが……。


「…っで、お前は諦めるのか?そんな奴じゃないと思っていたんだがな」


 珈琲を飲みながら店長は少し睨むような瞳を俺に向けてくる。本当にあんたって人は……。


「いや、諦めるつもりはない。まだ、時間はあるし認可されていない治療法や新しい施術についても調べてる……助けるさ、絶対に」


 俺の言葉に店長の口元が緩む。


「まっ、それでこそ…だ。なにせ、俺の大事な教え子に手を出したお前だからな」


 そして釘を刺すことも忘れない…。


 本当に痛いところを突いてくる。


 現にここにまた来るようになったのも、もしかしたら彼女に会えるんじゃないかって淡い期待もあるから。


 珈琲を飲みながら静かに沈黙と微かに流れる音楽に心を落ち着かせ、俺は娘のために出来ることを考える。


 あの娘には幸せになってもらいたい。


 いや、幸せにしたい。


 あんな表情をあの子に見せる彼にあの娘を託したい。もし、救うことが出来ないのなら。


 いや、よそう。


 まだやれることがあるはずだからーー。

 


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