ローレライの想い~夕闇の海~
何故だか僕は今…お姉さんに諭されている。
「いい?よぉ~く聞いてね?君が猫ちゃんが来たら教えてくれるってのは嬉しいけど君は私の番号を知ってる?知らないよね?」
僕はお姉さんの質問にあっと気づいた。
そういうことか……。
少し前の自分の言葉を思い出してみる。うん、遠回しに番号を教えてって言ってるみたいだ。
それに気づいた僕は途端に顔が赤くなる。
「気づいた?うーん、無意識かぁ……」
赤くなりながらコクリと俯く僕の姿にお姉さんは苦笑気味に見つめる。
「そんなつもりはなかったんですけど……うぅ、えっと、その、ごめんなさい。」
誤解を解くには取りあえず謝るしかない。
しどろもどろになりながら謝る僕の姿に
「ごめんなさい…っか。久し振りに聞いたなぁ」
懐かしげな表情を浮かべるお姉さんはどこか哀しげで声をかけるのを躊躇してしまう。
けど、その表情は直ぐに何時もの楽しげな表情へと変わり気分を変えるようにポンッと手を叩いた。
「うん、そうしよう」
楽しそうに頷くお姉さん。
……何がでしょう?
いつものことだけど、この変化の早さにはとても付いていけそうにない。
「えっと、何がでしょう?」
恐る恐る聞いてみる。
「君がバイトしてる、してないに関わらず気が向いたときに行ってみるわ。だって、ほら、その方が猫ちゃんに会ったときの嬉しさが増すじゃない」
お姉さんの表情は名案だと言わんばかりに輝いている。まぁ、本人が満足するならいいんだけど…大事なことを忘れてますよ。
「…もし、いなかったら?」
多分だけど居ないって発想が無さそう。
「…えっ?うん、考えてなかったなぁ」
やっぱりだ。
このお姉さん何だかんだで思いついたら即行動な行き当たりばったりな性格な気がする。
「う~ん、そうねぇ。居なかったら君か店長に文句と愚痴を溢し続けて発散する?」
何故に疑問系?やめてください…迷惑です。
僕と店長がげんなりとしながらお姉さんの愚痴に付き合う姿。うん、その光景が容易に浮かんでしまう。この人ならやりかねない。
「迷惑なんでやめてくださいね……」
それから他愛ない話をしてお姉さんに付き合ったのだけど僕はまだ買い物を始めてもいない。
「あっ、そう言えば君は何を買いに来たんだっけ?ちょっと、見せてみて。ふん、ふん、なるほど」
言い終わらないうちに僕の手からメモ帳を掠め取り、なにやらうんうんと頷いてる。
「えっと、これは…あった、後はそれとそれね…うん、これで君が買おうとしていた物は全部だね」
パンパンに膨れあがった袋からまるで魔法のように次々と買おうとしていた品物が飛び出してくる。
僕とお姉さんの間に並んだ品物とメモ帳を交互に見ながら一つずつ確認してニッコリと微笑む。
「話に付き合ってくれたお礼にあげる」
ズズッと僕の前に品物を押しやる。
「…えっ?」
あまりに唐突すぎてキョトンとしてしまう。
目の前の品物は確かに買おうとしていた物だけど…う~ん、もらうと何だか嫌な目に遭いそう。
「えっ、いや、貰えませんよ。あっ、それならお金を払いますよ。いくらですか?」
後ろポケットから財布を取り出そうとする僕にお姉さんの表情が急に不機嫌そうになる。
「善意は素直に受け取るものよ」
両手を胸元で組んでそっぽを向くお姉さん。これは頑として受け取らないな。
「う~ん、それだと僕の方が申し訳ないし、それじゃあ何かお礼をさせてください」
妥協案を提示してみるとお姉さんがチラリと僕を見て悪戯っぽい笑みを浮かべた。
あっ、これって店長と同じだ…。
嫌な予感しかしない。
「そぉ~ねぇ……」
宙を見ながら考え込むお姉さんの姿に何を言われるんだろうとドキドキしながら待つ。
お姉さんが何かを思いついたのか僕を見つめ口を開く瞬間、ごくりっと唾を飲み込んだ。
「じゃあ今度、暇なときに私の絵を描いて」
あまりにも予想外な提案に
「…へっ?」
思わず変な声が出てしまう。
「私ね、描くことはあっても描かれたことがあまりないなぁって思ったからいいチャンスかなって」
うんうんって頷くお姉さん。
えっと、意味が分からないんですが?
僕はお姉さんの頷く姿に首を傾げながらも今の自分に描けるだろうかと若干の不安を覚えた。
「…僕なんかでいいんですか?」
今の僕には上手く描ける自信なんて無い。
そんな不安げな僕の姿にクスリと笑みを浮かべながらお姉さんは僕を指差した。
「そうねぇ、君だからかな。あの喫茶店でバイトしている今の君だから描いてもらいたいのよ」
お姉さんの優しげな瞳が僕を真っ直ぐに見つめる。その真っ直ぐな瞳に見つめられると、とても嫌とは言えない。
「…わかりました。じゃあ今度、美術館に行ったときに描かせてもらっていいですか?」
僕の言葉にお姉さんは瞳を見開いて
「…君ってやっぱり、天然だねぇ」
半ば感心するように呟くのだった。
何でだろう、意味が分からない。
そして、何度もお礼を言ってお姉さんと別れた僕は常連客の男の人の言葉をふいに思い出した。
「ちょっと遠回りだけど海沿いを通って帰ってみようかな。うん、そうしよう」
出逢えるとは思っていないけれど、もしかしたらっ…て想いが心の片隅にあった僕はお店を出て海沿いの遊歩道へと向かったんだ。
道路沿いに面したこの遊歩道は所々に車を止めるスペースがあってデートなんかでよく使われる。
今も何組かのカップルが幸せそうに肩を寄せ合って夕闇の景色を眺めていた。
僕はそんな人達の邪魔をしないように歩きながら夕闇に照らされた海へと視線を向けた。
日もだいぶ沈んで赤みがかった夕闇が海を照らしていて幻想的な雰囲気を醸し出している。
「うん、これは正解だったな」
その景色を見つめながら僕は満足げに頷く。
僕は自然が作り出す景色が大好きなんだ。
だって、いま見ている景色だって同じ物はもう二度と見ることの出来ないかもしれないし、写真だと場の独特な息吹を感じられないから味気ないし。
だから僕は思い切り楽しんで幸せを噛み締めながら景色を瞳に焼き付けるようにしてるんだ。
人って楽しいとか幸せだと感じた思い出ってなかなか忘れることはないからね。
徐々に闇夜に移りゆく景色を楽しみながら僕は遊歩道を歩き続けていくと車道と歩道の境目に辿り着いた。
ここからは車の乗り入れが出来なくなるからカップルの姿もほとんどいなくなる。
自転車や二輪車は押して入る分には問題ないみたいで今度はそれらが増えてきた。
少し進むと海浜公園に入って遊具やベンチが増えてくる。カメラを構えて夕闇を撮る人や絵を描いている姿を横目に見ながらぶらぶらと歩いていると…ふいに視界が開けた気がした。
それは多分、気のせいなんだろうけど僕の瞳は夕闇の景色から目の前の光景に目を奪われて思わず立ち止まってしまったんだ。
目の前にあの子がいた。
傍らに見覚えのあるスクーターがある。
間違いない、あの子だ。
どうしてスクーターを押してまでここに?何て疑問が脳裏を掠めたけれど。
でも、そんなことより僕はーーー。
夕闇に照らされたあの子の横顔を見た瞬間、僕の中で全ての時が止まった気がした。
音も光も自分の呼吸さえも全てがあの子の姿を讃えるために身を潜め、あの子のためだけの空間を生み出しているように感じたんだ。
「…やっと、やっと逢えた」
僕はあの子を見つめ呟く。
逢いたくて逢いたくて堪らなかった筈なのに声をかけることが出来ない。
だって、あの子は……泣いていたから。
夕闇を見つめながら、あの子の頬を流れる一筋の涙…それはまるで彼女のようで。
僕はかける言葉が見つからず、ただあの子を見つめ続けることしか出来なかったんだ。




