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ローレライの想い~限られた時の中で~


「…三年よ」


 お母さんは私の目を見ることなく呟いた。


「三年……」


 長いようにも感じるし、短いようにも思える。


 何が出来るだろう?


 今の感情を失った私に何が出来るだろうか…。


 私は忘れてしまった私のことを考えてみた。私は唄が好きだった。歌うことが好きで倒れる直前まで私は歌っていた。


 記憶はある。


 だけど、感情が分からない。


 どんな気持ちで歌っていたのか、嬉しいのか、哀しいのか、淋しいのかーーそれとも、全く違う感情なのか。それを知りたい。


 理解できないかも知れないけれど。


 なにかを残したい。


 私が生きた証を…私が作った唄で。


「…ねぇ、お母さん。私、歌いたい」


 お母さんが驚いた表情で私を見つめた。


「でも…」


 何か言いたそうにして口を噤むお母さんに私は笑顔の表情を浮かべる。意味は分からないけどそうするべきだって思ったの。


「…歌いたいの。私が私であったって証を残したいから、だから私に歌わせて…」


 私の言葉にお母さんは俯いた。


 身体が微かに震えてる。


 私は間違ったかな…。


 そんな考えが過ぎる。


「好きにしなさい」


 瞳は潤んでいたけどお母さんは今まで見たことのないぐらい優しさに満ちあふれているような気がした。そして、しばらくして私は退院した。


 投薬治療と定期検診を必ず行うという条件付きであったけど私は私自身を知る旅を始めることが出来るんだ。ただ…その時もお父さんの姿はなかった。


 私は自分の記憶を頼りに色々と試してみることにした。私の部屋には私が書いた歌詞が散乱していて、それを理解することから始めることにした。


 幾つかの歌詞を眺めてみる。


 多分、その歌詞を書いていた頃の私は楽しかったんだと思う。殴り書きに近いけれど文字や表現に何かを感じる。


「…私、楽しかったのかな」


 自分で書いてるはずなのに感情が読み取れない。何度も何度も読み返してみるけれど今の私の心を沸き立たせてくれる気がしないんだ。


 そんな時、私は1枚の歌詞に何かを感じて引き寄せられるようにその歌詞を見つめた。


 原文に何度も手直しを加えた痕がある。


 歌詞の隅には〔これが私が歌いたい唄!〕って書いてるから本当に歌いたい唄なんだと思う。


 歌詞の一語一語をゆっくりと噛み締めるように口に出して呼んでみた。


 何か思い出せるかも知れないから。私が私であった頃の気持ちを知りたくて…。


 私は何度も歌詞を読み続けた。


 少しでも、ほんの少しでも良いから。


 私は焦っていたんだと思う。


 あと三年で何が残せるのか、歌いたい唄を本当に歌えるのだろうかって……。


 そんな時だった。


「ふにゃあ~」


 ふいに猫の鳴き声が聞こえて外に視線を向けると窓際に君がいたんだ。


 陽光に照らされた毛並みが銀色に輝いていてエメラルドグリーンの瞳が私を見つめていたの。


「どこから来たの?」


 窓際で寛ぐ君に私は声をかけた。


「ふにゃあ~」


 返事をするように鳴く君に私はキョトンとしてしまう。意味が分かってるのかしら?


 何となく興味が湧いて近づいてみても逃げる気配が無くておそる押せる君を撫でてみた。


「ふにゃあ~」


 気持ちよさそうに腕に身体を擦りつけながら甘えてくる仕草が可愛くて自分でも気付かないうちに笑みが溢れていたみたい。


「君はどこから来たの?」


 その問いにも君は喉をゴロゴロ鳴らすだけで答えてくれない。さっきのは偶然だったのかな。


 しばらくの間、遊んでいるとふいに君の耳が何かにピクピクと反応したんだ。


 君は甘えるのをやめて海の方をジイッと見つめ始めた。気になって私も君と同じ方向を見てみるとーー。


 白い雲の隙間から淡い光が降り注いだんだ。


「……天使の梯子」


 ボソリと呟いた。


 倒れる前に見た景色だ。


「ふにゃあ~」


 その光景を眺めていると君は私を見て鳴いた。


 まるで笑顔のような君の顔に私の心のモヤモヤした気持ちが少しだけ晴れた気がした。


「励ましてくれてるの?」


 答えてはくれない。


 一方的に与えてくれるだけみたい。


「ありがとう」


 そっと君の頭を撫でて私はやるべき事をやろうと決めたんだ。たとえ、前と違うかも知れないけど…今の私で歌うことにしたんだ。


 それが私だって思うから。


 気になった歌詞の紙を握りしめてテーブルに置いていたハーフメットと鍵を掴んで玄関に向かう。


「お母さん、出かけてくるね!」


 ハーフメットを被りながら玄関先でお母さんに声をかけると不安そうな表情で台所から顔を出して私を見つめる。


「無理しちゃダメよ」


 不安そうな顔をして入るけど、お母さんはそれ以上は何も言わない。うん、心配を掛けないようにしなくちゃ。


「うん、大丈夫。気をつけるよ」


 顔の表面に笑顔を張り付かせて手を振ると私は玄関の扉を閉める。その瞬間に表情が笑顔から無表情へと変わってしまう。


 感情が分からないからどんな顔をすれば喜んでくれるのか相手を見て判断していたから。


 私は1枚の歌詞とボイスレコーダーを握りしめて駐輪場に向かった。


 私のスクーターは目立つから直ぐ分かる。


 先ずはどこに行こうか……。


 とりあえず記憶を頼りに街を廻ることに決めた。


 太陽が少し陰り始めてから出発したから身体に当たる風が心地良くて心がうきうきしているような気がする。


 海沿いに面したこの街は洋風な建物が多いから、どこか異国の街並みみたいでおもしろい。


 ただ、所々に築何年だろうって思えるような古民家もあって私はキョロキョロしちゃう。


 だって不思議だから。 


「記憶にはあるけど初めて見るような感覚がするなんて変な感じ…」


 本当に不思議な感覚……。


 そんな風に思ってると夕闇に照らされて赤く染まっていく街並みが不意に色あせていく。


 まるで記憶が上書きされていくような感じで、私の見た記憶へと移り変わっていく。


 そんな景色をぼんやりと見ていた私の瞳にある建物が飛び込んできた。


 周囲が色あせていく中で、その建物だけがはっきりとした色合いを見せていて思わず見入っちゃた。


「あれって…たしか」


 スクーターを道路の脇に止めて夕闇に照らされて赤く染め上げられている建物が丘の上に見えた。たしか、美術館だーー。


 気が付くと私はその場所に向かっていた。


 長い坂道を登りながら私は少しずつ見えてくるその景色に目を奪われてしまう。


 登り切った先で見た光景は私の記憶にある光景とはまるで違うモノだったから。


 夕闇に照らし出された白亜の美術館が赤く染め上げられていて、それが遠くに見える海原と合わさってまるで絵画みたい。


 スクーターを降りると私は美術館の敷地に足を踏み入れて少しだけ、これって不法侵入だよね…なんて思ったけど抗いがたい魅力のあるこの光景に私は負けちゃった。


「えぇ~い、捕まったら謝ればいいんだ」


 自分に言い聞かせるように呟きながら覚悟を決めて近寄っていった私の視界に入った景色を見て。


「……っ!?」


 言葉を失っちゃった。


 そこから見える色鮮やかな街の景色にさっきまでの不安も完全に吹き飛んじゃったから。


 とても綺麗だった。それこそ、何時間でも見ていられるぐらいに綺麗だったの。


 街並みを包み込むように地平線に沈んでいく太陽を見つめながら私は無意識に涙を流してた。


 こんな綺麗な景色をいつまでも眺めていたい。そう……私が死ぬ瞬間もこの景色に包まれていたい。


 そう考えたから……涙が出たんだと思う。


 風に靡く髪を手で押さえながら私は時間を忘れてこの景色を眺め続けた。


 太陽が沈んで夕闇に包まれて星がポツポツと見え始めて、それらを迎え入れるように風の音が心地良いリズムを刻んでくれる。


 瞳を閉じてその音に耳を傾けてみた。


 微かに聞こえてくるさざ波と風の音がまるで私に歌えと言っているみたいでーー。


 私は思わず録音ボタンを押した。


 そして、風とさざ波のリズムに合わせて。


 歌った。


 私じゃない私が歌詞に込めた想いを手繰り寄せるように私が後悔しないように。


 無意識に流れていた涙が頬に一筋の跡を残して私はあの唄を歌いきった。


 『ローレライの涙』


 その歌詞に込めた想いと感情は分からずじまいだったけど…私は何だかスッキリとしていた。


「いま何時だろ?」


 気が付くと闇夜が星空が満たしている。


 私は腕時計に目を向けて焦っちゃった。


「…もう、こんな時間!?やばい、間違いなくお母さんに怒られる」


 慌ててスクーターの所まで戻って長い下り道を駆け下りながら心はウキウキしてた。


 今の私は楽しかったんだと思う。


 これが楽しいって感情なのかな。


 分からなかったけど悪くない。


 私はいま感じている感覚を自分で楽しいって感情だと思うことにした。


 この感情を忘れたくない。


 だから私は時々、ここに来るって決めた。


 家に帰り着くとお母さんが待っていた。


 すっごく恐い顔で。


「…いま何時だか分かる?」


 チラリと壁時計に目を向ける。


 お母さんが怒るのは当たり前の夜中。


「うん…」


 頷くことしか出来ない。


「心配したのよ」


「うん…」


 同じ返答しか出来ない。


 そんな姿にお母さんは小さく溜息をついた。


「…はぁ、まぁいいわ。無事に帰ってきたから」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥でズキリと痛みが走った。なんて表現すればいいか分からない痛みに対して。


「…ごめんなさい」


 自然と出てきた言葉。


 多分、間違っていない。


「…今度から遅くなるなら電話を入れてね」


「うん…分かった」


 それで終わった。


 本当に拍子抜けするぐらいにあっさりと。


 そのあと私はお母さんが作ってくれた夕飯を食べて直ぐに眠気に襲われた。


 疲れていたんだと思う。


 知らないうちに眠っちゃってたから。


 それから私は何度も美術館に通った。


 人が少ないって言うのも良かったし、何よりもあの景色を眺めていると忘れていた感情を取り戻せそうだったから。


 そんな代わり映えしない毎日を過ごしていた私が彼と出逢ったのは本当に偶然だったんだ。


 いつもなら、夕方ぐらいに美術館に行くんだけどその日だけは何だか違う景色を見てみたかった。


 昼間に見る景色も素敵だった。


 何で今まで見に来なかったんだろ。


 日の光に照らされた海原が銀色に輝いてて真っ青な空がどこまでも続いていて真っ白な雲が存在感を出して私を魅了する。


「何で今まで見に来なかったんだろ。こんなにキラキラしてるのに勿体なかったな」


 今度は時間を見て昼間も来よう。


 景色を堪能してスクーターに戻った私の瞳に彼が飛び込んできた。最初は泥棒?って思って遠くから見てたんだけど何だか様子が違う。


 楽しそうに私のスクーターを眺めながら瞳をキラキラと輝かせていたの。


 あんなに感情豊かで羨ましくて私は不機嫌そうな顔をして彼に近づいてーー。


「…それ、私のスクーターなんだけど」


 って話しかけたんだ。


 それが私の心を満たしてくれるかも知れないって思ったからーー。

 

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