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ローレライの想い~彼女の笑顔が見たいから~


 僕は立ち尽くしていた。


 訊きたいことがいっぱいあるはずなのに彼女を前にしたら何もかも忘れてしまったんだ。


 瞬きするのも忘れるぐらい僕はただ、彼女を見つめ続けてこの現実とも思えない場所で立ち尽くしていた。


「…あ…あの……」


 何を言えば良いのか分からない。


 どうすればーー。


「ふにゃあ~」


 ふいに君が鳴いた。


 何だか気の抜けた鳴き声だったけど、そのおかげで少し気持ちを落ち着かせることが出来た。


 君と接していると何だか僕の気持ちが分かるみたいな感じがして不思議な感じがする。


 僕は君に笑顔を向けて優しく頭を撫でた。


「ふにゃあ~」 


 気持ちよさそうに瞳を細めて鳴く声に彼女は僕たちの存在に気付いて振り返った。


 彼女の瞳が僕を見つめ、その視線が君に向けられるように下がっていく。風に靡く長い金色の髪がキラキラと輝いていて僕は何故か顔が赤くなっちゃったんだ。


「……その猫、あなたの?」


 彼女が不思議そうに君を見つめながら僕に尋ねてくる。彼女の声を始めて訊くことが出来た…だけど、僕にはその声が聞いたことがある気がしてならない。


 その仕草、しゃべり方ーー。


「君は……あの時の」


 僕は気付いた。


 そう…あの子の声だ。


 あの唄の、スクーターのあの子の声だ。


「君はあの唄の子なの?」


 思わず訊いてしまった。


 だけど彼女は瞳を曇らせ俯いてしまう。


「…わからない、わからないの…」


 自分の感情に困惑する彼女の姿が僕には堪らなく苦しかった。手を差し伸べてあげたいーーそして彼女のつらさを分かち合いたい…彼女が笑ってくれるなら。


 僕の胸が痛い、彼女の表情を見るだけで張り裂けそうになる。どうすれば君の笑顔を見ることが出来るんだろう。


 僕に出来ることーー。


「…ねぇ」


 僕は彼女に話しかける。


 困惑した瞳が僕を見つめ返す。


「……君を描かせてくれない?」


「えっ…」


 僕の言葉に彼女は戸惑った表情を浮かべた。


「君を…君だけを描きたいんだ」


 僕の瞳を彼女はジッと見つめる。


 その時間は長いようで、ものすごく短いようにも感じて…ただ、僕は今の彼女を描きたかった。


 あの彼女ではなく今、目の前にいる僕だけの彼女の絵を描きたかったんだ。


「私なんかで良いの…?」


 困惑した表情を浮かべる彼女に僕はーー。


「今の君を描きたいんだ」


 迷うことなく答えた。


「ーーっ!?」


 驚いた表情で彼女は両手で口元を押さえて涙した。それは頬を伝い地面を濡らしていく。


「…ありがとう」


 彼女は呟くように僕に言った。


 その声は微かに震えていたように感じた。


 今の僕に出来ること、それで彼女の心を癒やせるなら、笑顔を与えることが出来るならーーー。


 僕は彼女を描きたい。


 そして僕と彼女、二人だけの時が動きだす。


 この現実と夢の狭間の世界で……。


           *


 僕と彼女は互いに会話もなく彼女を描く紙を撫でる筆の音だけが微かに聞こえるぐらいだたったけれど僕らは幸せな気持ちに満たされていた。


 言葉を交わさなくても、ただ同じ場所にいるだけで互いの気持ちが分かち合える、それだけで充分だったんだ。


 時折、彼女の視線が僕を見つめてくる。


 少し不安げな瞳に僕は筆を止めて笑顔を向けると少し照れた表情で視線を外した。


 それが幾度か続く中で僕は彼女の絵を描き終えたんだ。そして、僕は自分で描いたその絵を見て瞳を見開いたーー。


 その絵は僕の良く知る絵と同じだったから。


「リリスの涙……」


 思わず呟いてしまった。


 …なんで?


 僕は混乱した。


 だって、目の前の彼女は泣いてなんかいない。それどころか微笑みさえ浮かべている。


 それなのに、僕が描いた彼女の瞳には一筋の涙がはっきりと描かれていた。


 なんで…なんで、同じなんだよ。


 茫然と自分で描いた絵を見つめる僕を彼女が不思議そうに見つめてくる。


「…完成したの?」


 彼女が小首を傾げながら描き終えた絵を見ようと僕の元へとゆっくりと近づいてくる。


 違う、僕が描きたかったのは君の哀しみじゃない。君の笑顔が見たくて君の心を癒やしてあげたくて僕は、僕は……。


「……そう、やっぱり私は哀しいんだ」


 僕の絵を覗き込みながら彼女が耳元で呟く。


「ち、違う。僕は君の笑顔が描きたくて、癒やしてあげたくて…でも、僕には君の心がわからない」


 自分で言った言葉で僕は始めて気付いた。なんで、この絵を描いたのかーーあぁ、そうか。僕は君の心をちゃんと見ていなかったんだ。知りたいはずなのにどこかで知りたくなかったんだ。


「あなたも()と同じなのね。ねぇ、私を探して…私が忘れてしまった感情を、気持ちをーーお願い」


 その瞳は哀しげだった。


 僕は彼女の願いを叶えたい。


 彼女が求めるモノを必ず見つけ出してみせる。


「……必ず君を救ってみせるよ」


 その瞬間、僕の意識は暗闇に飲み込まれた。


 彼女の最後の言葉だけが僕の意識に残されたまま気が付くと僕はいつもの喫茶店にいたんだ。


「…どうしたんだ?さっきからぼんやりとして」


 心配げな店長の声に僕は周囲を見渡した。


 いつもの喫茶店だ。


 夢……だったのかな。


 曖昧とした意識の中で僕は君を見た。


 けれど、君は僕に感心なんてないように店長の傍で丸くなりながら小さな欠伸をしている。


「……夢だったのかな」


 何だかおかしな気分で僕はぼんやりと君を見つめるとチラリと僕を見てヒラリと立ち上がった。


「うん、どうした?」


 僕が見つめていると君はスタスタと歩き窓際の縁に華麗に飛び乗ると、また小さく丸くなった。


「…意味が分かんないや」


 君の行動に僕は少し呆れた瞳で視線をそのまま外の景色へと向けたーーーブロロロッーースクーターが通り過ぎた。


「……っ!?」


 僕は勢いよく立ち上がり外へと飛び出したんだ。一瞬だったけど僕にはわかった。


 あの子だーー。


 通り過ぎたスクーターの後ろ姿を見つめながら僕は気が付くと走り出していた。


 あの子がどこに向かっているかなんて分かるわけなんてないのに、僕はあの子を追いかけてがむしゃらに走っていたんだ。


「いるんだ!この街にあの子はいるんだ!」


 僕は嬉しくて叫びながら走っていた。


 あの子と話がしたい、あの子の名前が知りたい、あの子のーー気持ちを知りたい。


 僕の頭の中はあの子のことでいっぱいになって、どうしようもなくあの子に逢いたくて僕は走った。


 銀色に靡く風のように海原がキラキラと反射して僕の汗ばんだ横顔を照らす。


 徐々に息が上がっていく。


 呼吸が苦しい。


 汗が目に入り何度も腕で拭いながら走り続けた。ただ、ひたすらにあの子に逢いたい一心で。


「はぁ、はぁ、はぁ、どこに行ったんだよ…」


 息が上がり始めて走る速度が遅くなっていく。


 ほとんど歩くのと大差ない速度になって僕はとうとう立ち止まり、膝に手を当てながら肩で大きく息をする。


「はぁ、はぁ、はぁ、あぁー、もう!なんで、なんでーー何でなんだよぉ!」


 自分の体力のなさに嫌気が差してくる。


 こんなことなら筋トレをやってるんだった。


 ドカッと歩道に座り込みガードポールに身体を預けながら空を見上げた。


 僕の心とは裏腹に澄みきった青空が広がっていて遠くには大きな入道雲が見える。


 汗ばんだ身体にTシャツが引っ付いて気持ちが悪い。僕はTシャツの首回りを広げて風を通す。


「…僕は何をやってんだろ」


 バイト先を飛び出してどこに行ったのかも分からないあの子を探して闇雲に走り回って。


「店長になんて言おう…」


 僕は空をぼんやりと見つめながら帰ってからの言い訳を考えることで少しの間、時間を過ごすことにしたんだ。


ーーーー数分後。


 突然なにも言わずに飛び出して、ばつの悪い表情で項垂れながら帰ってきた僕に店長は呆れた表情を浮かべた。


「…なにやってんの?」


 ごもっともです…。


 色々と言い訳を考えていた僕の考えは店長のその一言によってきれいさっぱり忘れてしまった。


「すいませんでしたっ!」


 その結果、素直に頭を下げることにした。


 どんな言い訳を言っても仕事を投げ出したことには変わりはないんだし、謝るのが当たり前だ。


 頭を下げ続ける僕に店長は


「うん、まぁ、いいんだけどな…どうせ客なんていないからさぁ……とりあえず、これでも飲め」


 店長が僕の目の前に冷たい珈琲を置いた。


 カランッ。


 グラスに入った氷がぶつかり涼しげな音を立てる。その音を聞くだけで火照った身体が冷えていくように感じる。


 ごくりっと唾を飲み込む。


 なんて言い訳するかで頭がいっぱいで今更ながらに喉がカラカラだって気付いたんだ。


「いただきます」


 僕は出された珈琲を一気に飲んだ。


 がむしゃらに走ってカラカラに渇いた喉をよく冷えた珈琲が通り過ぎていく。


「…美味しい」


 そのあまりの美味しさに僕は驚いた。


 珈琲の味の違いなんて分からないと思っていたけど、この珈琲はインスタントなんかとは全然、違う。こんな美味しい珈琲を飲んだのは初めてだ。


「これって、もしかして…」


 ついさっき、客はいないって言ってたから常連客の煎れた珈琲じゃない。


 って、ことは。


「うん?あぁ、俺が煎れた珈琲だ。どうだ、俺のオリジナルブレンドの珈琲の味は?美味いだろ」


 悪戯が成功した子供みたいに口元をニヤリとさせながら店長が僕に訊いてくる。


僕はグラスに残った珈琲を今度はゆっくりと味わいながら飲んで小さく溜息をついた。


「こんな美味しい珈琲を煎れられるなら真面目に仕事をしてくださいよ……」


 溜息交じりの僕の言葉に店長は顎に手を添えていつものやる気のない口調で言ったんだ。


「嫌なこった。俺は今のままで充分なんだよ、バイト先を逃げ出したバイト君」


 それを言われたら返す言葉も無い。


 僕は苦笑いを浮かべながらカウンターの席に座りバイトの続きを始めたんだ。

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