ローレライの想い~その瞳に映る記憶~
僕はいつものように喫茶店のカウンターでぼんやりと外の景色を眺めていた。
まだお昼過ぎで汗を拭いながら歩くサラリーマンや幼い子供と日傘を差して談笑しながら歩く母子、色んな人が目的地を目指し歩みを勧めている。
そんな人達を眺めながら僕は、一体ここで何をしてるんだろうと思わず考えてしまう。
日がな一日、店の扉と外の景色を見て過ごして時折やってくる常連さんの相手をする。
それがここでの僕の日常なんだ。
「ふにゃぁ~」
あぁ、そうだね。君がいた。
まるで僕の心を読んで自分の存在をアピールするかのように鳴くから思わず苦笑してしまう。
カウンターに頬杖を付いていた僕にあのロシアンブルーが身体を擦りつけて食事の催促をしてくる。
僕にはもう一つ仕事があった。
「はい、はい、用意するから待っててよ」
君の餌やりもバイトに含まれてるのだった。
僕は軽く頭を撫でてやりながら立ち上がって店長が買い置きしている餌を準備する。
もう、これってこの店の飼い猫ですよね…。
僕が餌を入れ終わるのを見計らって君は優雅にカウンターから降り立つと必ず僕の方を向いてーー。
「ふにゃあ~」
って鳴くんだ。
まるでお礼を言ってくれているようで僕の表情も自然と笑顔になる。やっぱり、動物って良いよね。
「どういたしまして」
僕が答えると君は餌を食べ始める。
その食べ方も少しずつ味わいながら食べるから何だか優雅に見えてしまう。
やっぱりどこかの飼い猫なんだろうな。
食べる様子をぼんやりと見つめながらそんなことを考えていると店長は相変わらずやる気のない雰囲気を漂わせながらボソリと呟いた。
「お前さんは女の子に好かれるねぇ…」
「…えっ?」
何を言ってるんだろう、この人は?
キョトンとしていると店長が猫を指差す。
「雌だよ、その子」
僕は改めて君を眺める。
うん、そんな気はしてたけどね。
でも、なんで好かれてるのだろう。
やっぱり餌付けなのかな…。
不思議そうに僕が首を傾げると店長はその子を眺めながら、その特徴について話してくれたんだ。
「ボイスレスキャットって言葉を知ってるか?」
「鳴かない猫…ですか?」
「そうだな、基本的にロシアンブルーは滅多に鳴かないんだけどな。ただ、お前さんには鳴くだろ?」
コクリと頷く。
「まぁ、好かれてるって事だ。警戒心の強い猫が懐くのは主人か信用した相手だけだからな」
「へぇ…」
その話を聞いて僕がマジマジと眺めていると見られるのが嫌なのか君は餌を食べるのをやめてツイッとそっぽを向いて店長の近くで丸くなった。
「まぁ、猫は気分屋だからな」
苦笑しながら店長は丸くなったその子を撫でると気持ちよさそうに身体を震わせたんだ。
それが可愛くて思わず僕も触れようとして手を伸ばすと、君は僕をジッと見つめてきた。
「あっ、嫌だったかな…」
その瞳に見つめられて僕は伸ばした手を引っ込めるけど、その瞳は何か言いたげな表情で僕を見詰め続けていた。
「どうしたんだろ?」
小首を傾げながら僕も君をジッと見つめると、その瞳が瞬いた。ほんの一瞬だったと思う。
その瞬間、景色がグニャリと反転してーー。
気が付くと僕は別の場所にいた。
見たことない景色が僕の目の前に広がっていたんだ。
「…えっ?なんで…ここはどこ?僕は喫茶店にいたはずなのに…」
目の前に広がる景色に僕は困惑して何が起きたのか分からず立ち尽くしてしまった。
澄みきった青空に陽光に照らされて銀色に靡く風のようにキラキラと輝く海原が当たり前のように目の舞うに広がっている。
僕の住んでいる街並みに似ているけれど、エメラルドグリーンの海の色は明らかに別の場所だと教えている。
「…ここはどこなんだ?」
何が起きたのか分からず僕はただ茫然とその美しい光景を見つめることしか出来ない。
こんな意味の分からない状況なのに僕は美しいと感じてしまった。
こんな景色を見たことがない。
そんな時ーー。
風が吹いた。
暖かくて優しい風が僕の頬を撫でた。
何だろう、懐かしい気がする。
忘れていた何かを思い出しそうな感じだ。
僕は周囲を見渡す。
何だか見たことのある景色だと思った。
どこだっただろう……。
オレンジ色の屋根とベージュ色の壁をした小さな家々が所狭しと並んでいて…それが迷路みたいに入り組んでいて。
「………っ!?」
僕はハッとして後ろを振り返った。
小高い丘が見える。
そして…そこには白い小さな教会。
気が付くと僕は走っていた。
今まで行ったとのないはずの場所で、こんなに入り組んでいる街道なのに僕は迷うことなくあの教会に向かっていた。
「はぁ、はぁ…階段だ。あれを越えれば…」
長い階段が見つめながら自然と鼓動が早くなる。
気の遠くなるような段数の階段を一気に駆け上がりながら僕は不安と期待で胸が高鳴っていく。もし、ここがあの場所なら……きっと。
答えはもう目の前だ。
あの階段を上りきればーー。
そう思って駆け上がろうとした僕の足が突然、動かなくなったんだ。まるで誰かに引き留められるようにーー。
ふいに不安が押し寄せてくる。
もし、彼女が居なかったら?
そんな考えが脳裏を過ぎった。
一歩、踏み出せば分かる答えの筈なのに僕はその一歩をどうしても踏み出すことが出来ない。
不安なんだ…。
自分で自分が嫌になる。
どうして僕は…。
肩で息をしながら僕は踏み出すことのできない自分の不甲斐なさに気が付いて無意識に俯いて階段を見つめていた。
「なんで…なんで踏み出せないんだ」
そう呟きながらも僕は分かっていた。
怖いんだ、不安なんだ。
彼女の瞳の見つめる先を知るのが怖くて仕方ない。だって、もし彼女の瞳に僕が居なかったら……だから踏み出せない。
両手を強く握りしめながら奥歯を噛みしめる。
俯きながら立ち尽くす自分の不甲斐なさが情けなかった。どうして僕はこんなに意気地がないんだろう。どうしようもない虚無感に襲われていく。
ーーそんな時だった。
「ふにゃあ~」
聞き慣れた君の鳴き声が聞こえて僕は思わず顔を上げて声のした方へと視線を向けるとーー。
君がいた。
「…何で、君がいるんだい?」
僕を静かに見つめている。
まるで、心の奥深くの弱い部分を見られているような気がして思わず視線を逸らしてしまった。
そんな僕に君は瞬きせずに僕を見つめながらゆっくりと近づいてきて足下で寄り添うように身体を擦りつけてきたんだ。
励ましてくれているんだろうか?
そう思って僕は苦笑した。
なんて都合の良い考えをするんだろうな……。
けれど、何だか気持ちが楽になった気がする。
不安や期待、色んな感情が僕の心の中で混ざり合っていて不思議な感覚だけど…。
僕は覚悟を決めた。
どんな結果になるのかなんて分からないけど前に進まないと何も始まらないから僕は先ずこの一歩を踏み出すことにしたんだ。
「よしっ、行こうか」
足下で僕を見つめる君に微笑を浮かべる。
「ふにゃあ~」
君は嬉しそうに鳴いてくれた。
そんな君の鳴き声に後押しされるように一歩を踏み出した僕は目の前に映し出された光景に時が止まるのをはっきりと感じたんだ。
息をするのも忘れるくらい僕は…目の前の光景に心を奪われてしまった。
「…やっと、やっと逢えた」
絞り出すように僕は呟く。
だって、目の前には彼女がいたから。
狂おしいほど求めていた彼女が、あの絵と同じように欄干に座り、風に靡く金色の髪を手で押さえながら遠くの海原を哀しげな瞳で見つめていたんだ。




