ローレライの想い~歌声に奪われゆく感情~
私は歌手を目指していた。
海辺の近くにある繁華街で私は歌い続けた。いつか、誰かの目にとまって夢が叶うと信じて…。
あの瞬間までそう信じていたの。
その日は朝から少し気分が悪くて、どうしようかと悩んだけど私は行くことにしたわ。
だって、チャンスがあるかも知れない。
もしかしたら…そう思ったら身体が自然に動いてしまったの。
いつもの場所、人通りの多い繁華街の近くの歩道で私はいつものように歌う準備を始めたわ。
日も陰り始めて涼やかな風が心地良くて、さっきまで気分が悪かったのが嘘のようにワクワクする。
青空に浮かんだヒツジ雲の隙間から射し込んだ光の筋が澄みきった青い海原へと何本も伸びていく。
まるで、ステージを照らすスポットライトのようで私は楽しくて仕方がない。
その現象は『天使の梯子』って言うらしい。
誰が言い出したのか分からないけど私はその名称が好きで自分の歌詞にも使ってる。
だって、想像するだけで素敵だから。
「うぅ~ん、最高のステージだぁ」
その光景を眺めながら思わず笑顔になる。
歌うなら気持ち良く歌いたい。
どんよりとした天気で歌うよりも、こっちの方が気持ち良いに決まってる。
私は小さく深呼吸して心を落ち着かせる。
行き交う人が訝しげに見てるけど気にしない。
プロになったら何万人の前で歌うんだから。
よしっ。
心の中で気合いを入れて私は歌い始める。
楽器は一切ない。アカペラで私は歌う。
誰も知らない私の唄を想いを込めて。
歌い始めると何人かの人が足を止めて私の歌を聴いてくれる。名前も知らない通りすがりの誰かだけど聴いてくれてる…。
私の唄に耳を傾けてくれる人がいる。
そんな人の心に届くように私は自分に出来る精一杯の気持ちを込めて歌い続ける。
切ない想いを乗せた歌
『ローレライの涙』
それが私の書いた唄。
私は幼い頃、ローレライの話を聴いていつも母さんに「なんで?」と問いかけていた。
なんで、好きな唄を歌っていただけで船乗りさん達は海に引きずり込まれちゃうの?
何でローレライのせいにされちゃうの?
可哀想だよ…ローレライはただ、好きな唄を好きな人のために歌っていただけなのに。
ぽろぽろと涙を流しながら縋りつく私に母さんは一瞬、驚いた表情を浮かべたけれど直ぐに優しい瞳になって私の頭を撫でてくれたの。
「そうね……あなたの気持ちが届くと良いわね」
多分、それが私が歌手を目指すきっかけだったと思う。誰も死なない、誰も苦しまない、ただ思いを込めたまだ見ぬあなたの唄を歌うために
いつも海を見ながら彼女は何を想って船乗りに歌を聴かせていたのだろうかと考えながら歌う。
誰でもないまだ見ぬあなたへと向けて。
そんな思いを込めて歌い終えた私は立ち止まって聴いてくれた人達に感謝を込めて頭を下げた。
パチパチッ、パチパチパチ。
私の耳にまばらな拍手音が聞こえた。
何人かが笑顔で拍手してくれたんだ。
嬉しい、私の唄を聴いてもらえた。
私は勢いよく顔を上げ高揚して少し赤くなった顔で満面の笑顔で聴いてくれた人達に応えたんだ。
だけど…。
次の瞬間、私の視界が奇妙に歪み始めた。
平衡感覚が分からなくなり自分が今、どう言う状況なのか分からなくなる。
…なにこれ?
喉の奥から不愉快な感触が湧き上がる。
「…うっ、気持ち悪い……」
立っていることも出来ずに私は座り込んだ。
「…大丈夫ですか?」
突然のことに周囲が騒然とする中で私の歌を聴いてくれていた人達が駆け寄ってきてくれた。
「…だ、だいじょ……」
呂律が回らない。ちゃんと話すことが出来ず気持ち悪さだけがハッキリと意識を刺激する。
なんなの…私どうしちゃったの。
何が起きているのか分からないまま私はその場で意識を失って倒れ込んだんだ。
ただ、その瞬間ーーー。
「ふにゃあ~」
猫の鳴き声を聞いた気がした……。
*
どれくらいの時間が過ぎたのか分からない。
私は暗い海の底のような静寂に満ちた場所で漂っていた。朦朧とする意識の中で私は自分の身に起きている事を理解しようとすけど何かが邪魔をする。
私どうしちゃったんだろ……。
何も判らない、思い出せない。
不安が心を押しつぶそうとする。
私は小さく身体を丸めて心を庇う。
誰かに傷つけられるような気がしたから。
この場所は穏やかで、とても静かで私は暖かな温もりに包まれているような安心感を感じたんだ。
けれど……どこか寂しい気もする。
誰もいないんだ…。
その事に気付いた私は急に不安な気持ちに襲われた。何も聞こえない、誰もいない静寂……でも。
微かに唄が聞こえた気がした。
それが何の唄か直ぐに判った。
さっきまで私が歌っていた唄、私の唄だ。
けど……何か違う、私こんな声じゃない。
私の耳に届く歌声はどこか懐かしくて…でも、それが誰なのか分からない。
でも、私はこの歌声を確かに知っている。
そう思った瞬間、私の意識が暗く深い海の底からゆっくりと浮上するのが分かった。
意識が目覚めようとしているんだって気付くと、私の耳に響いていた歌声が遠のき始めた。
待ってよ、まだ聴いていたい……。
私の願いに歌声の主が微かに微笑んだ気がした。それは、本当に微かだったけど私には分かる。
そして、分かったんだ。
この歌声が誰なのか。
私は無意識に泣いていた。だって嬉しかったから、恋しくて切なくて待ち焦がれたあの人にやっと逢えたから。
あぁ、やっとあなたに逢えた……。
私が手を伸ばした瞬間、瞼の裏に射し込む光に私の意識は現実へと引き戻されていった。
*
重い瞼をゆっくり開く。
真っ白な天井が私の視界に飛び込んできて、その眩しさに思わず目を細めてしまう。
ようやく光に慣れた私は自分のいる場所がどこなのか、少し朦朧とした意識の中で考えるけど分からない。
「ここ…どこだろう」
私は周囲を見渡す。
チャポンッ。
私が身体を動かしたことで点滴の袋が微かに揺れた。その袋からゆっくり視線を下げていくと私の右腕に繋がっている。
何で私ここにいるんだろう…。
思い出そうとすると意識に靄がかかるみたいにハッキリしなくて何だかもどかしい。
「…気がついた!?……私のことわかる?」
心配そうに私を見つめる瞳が優しげな表情を曇らせている女性の姿ーー見て分かるに決まってる。
「…お母さん?」
自分で発したはずの言葉に驚いてしまう。
……なんで?
分かっているはずなのになんで訊いたの?
目の前にいる人は私のお母さんのはず…。
でも、断言できない自分がいる。
「意識が戻って良かったぁ……」
泣きながら私に抱きつくお母さんに私は困惑しながらも微笑を浮かべた。
「…心配かけて、ごめんなさい」
これで合ってるはず…。
自信が持てない。
どこか客観的に見ている自分がいる。
あぁ、感情だ……今、分かった。
感情を表現する方法が分からないんだ。
淡々と自分の感情を分析する自分が嫌になる。けれど、理解できないんだ。
そんなことを頭の片隅で考えていると
バァン。
病室の扉が勢いよく開いて、白衣を着た男の人が病室に入ってくると私の姿を見て声を上げた。
「ーーーーー!?」
誰かの名前を呼んでいる。
……私の名前?
分からない。
ハッキリと私の耳に届いているはずなのに男の人が呼んだはずの私の名前が分からなかった。
私は誰なの……私は、あなたは誰?
そんな疑問が脳裏を過ぎった。
「アナタハ誰デスカ?」
何も考えず私は口に出していた。
「……っ!?」
男の人が絶句した表情を浮かべる。
その表情に私は思い出そうとしたんだけど思い出そうとすると頭に激痛が走った。
「…痛っ…頭が痛い」
苦悶の表情を浮かべながら頭を抑える私にお母さんは視線を逸らして哀しげな瞳を男の人に向けた。
「ーーー、俺が分からないのか?」
苦悩に満ちた瞳で私を見つめる男の人の表情がどんどん絶望に染まっていってーーー。
力無く床に座り込んだの。
その姿に私の心の片隅で何かがズキリと疼いた。
私が忘れているだけ…きっと、大切な人。
なんとなくだけど、そんな気がした。
でも、分からない……ごめんなさい。
私は言葉が出なくて俯くしか出来ない。
「…悪い、後は頼む」
そんな私の姿を見て男の人はお母さんに背を向けると項垂れながらそう言って病室を出て行った。
お母さんは泣いていた。
悲しませたくなかったけど、私にはどうすることも出来ない…だって分からないから。
何だか胸の奥がズキズキと痛む。
分からない感情ーーーー。
私が目覚めて数日が過ぎた。
病室での生活にも慣れてきた私はお母さんから色々と今の私の状況を教えてもらった。
繁華街で私が倒れたこと、脳に腫瘍があって手術での摘出が難しいこと、そして、あの人……あの白衣を着た男の人が私のお父さんだと言うことを知ったんだ。
どんな顔をすれば良いのか分からない。
何を言えば良いのか分からない。
私は主治医の先生に正直に話した。
「多分それは腫瘍が脳を圧迫しているせいだと思う。君の腫瘍はちょうど、感情を司る位置にあるからね」
少し哀しげな表情で説明してくれる先生、お母さんから聞いた話だとお父さんの友人らしい。
お父さんはあれから一度も姿を見せてくれてない。会うと私を苦しめてしまうからだって言っていた。
「…ねぇ、母さん」
私は知りたいと思っていたことを訊ねた。
「どうしたの?」
お母さんが優しい瞳で私を見つめる。
「私、あと何年、生きられるの?」
その言葉にお母さんは視線を逸らした。
たぶん、知ってるんだと思う。
私は知りたかった。
私に残された時間が後どれくらいなのか。
手術で摘出できないなら助からない、いつかは私は死ぬんだ…それを知りたかった。
残された時間で出来ることを見つけたいから。




