第7話 本日は手伝った(括弧が正直すぎる)
本作は全35話予約投稿済みですのでエターなるはありません
食堂に降りたとき、俺の定位置にすでに二人いた。
ルナが灰色のローブのまま手帳を開いている。ヴィオは弦楽器を膝に乗せ、弦には触れずにいた。
二人とも、俺が来たことに気づいている。でも特に何も言わなかった。俺も何も言わなかった。椅子を引いて、座った。それだけだった。
女将さんが厨房からパンと汁物を運んできて、「ゆっくりしてていいよ」とだけ言った。ゆっくりする予定があるかどうかは聞かれなかった。
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ルナがページを一枚めくった。
ヴィオが弦を指先でそっと弾いた。音が短く、消えた。
俺はパンを一口食べた。
三人とも朝の沈黙を持ち寄って、同じテーブルに広げているような時間だった。居心地が悪いわけではなかった。ただ、どう処理すればいいのかわからなかった。
「朝は静かな方が好きですか」
声が出た。聞こうとして聞いたわけではなかった。漏れた。
ルナが手帳から顔を上げた。まばたきをしなかった。
「はい」
ヴィオが弦楽器を膝の上で少し動かした。
「はい」
「そうですか」
(三人ともそうだった。だからこうなっているのかもしれない)
また漏れかけて、今度は自分で飲み込んだ。俺もそっちだった。
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食堂の扉が開いたのは、汁物を半分ほど飲んだあたりだった。
「おう、ここにいたか!」
朝の食堂には似合わない音量だった。
革鎧の男が入ってきた。カナトより頭一つ分高い。腕が太い。顔はいつも人懐っこそうで、今も変わらなかった。
ズバンだった。
三人が揃っているのを見て、一瞬だけ足を止めた。視線がルナに当たり、ヴィオに移り、俺に戻ってきた。
「依頼があるんだが」
「何の依頼ですか」
「鍛冶屋の道具を二か所に搬送したい。今日の午前中でいけるか?」
断る理由を探した。二秒かかった。出てこなかった。
「できます」
「助かる!」
ズバンが入ってきた。ルナの方にもう一度目をやった。ルナはペンを動かしていた。顔を上げなかった。
「その人は何を書いてるんだ」
「記録の人です」
「何の記録だ」
「聞いたことがないです」
ズバンがもう一度ルナを見た。ルナは顔を上げなかった。ペンが止まらなかった。
ズバンは次にヴィオを見た。
「こっちは?」
「吟遊詩人です」
「そうか」
何か言いたそうな顔だったが、何も言わなかった。隣の席に腰を下ろして、出てきた汁物を一口飲んだ。食堂が少しにぎやかになった。俺はパンの続きを食べた。
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鍛冶屋は宿からそこそこ歩く場所にあった。
荷台を一台借りた。道具箱が四つ。重かった。荷台に乗せると、車輪が石畳の溝に引っかかるようになった。
「こっちに来てどのくらいになる?」
移動しはじめてすぐ、ズバンが聞いてきた。
「二週間ほどです」
「宿場町は気に入ったか」
「静かなので」
「静かか」
ズバンが繰り返した。荷台の車輪の音が続く。路地を抜けると、少し風が出てきた。
「宿場町でずっとやっていくつもりか?」
「決めていないです」
「他に行く場所はあるのか」
「今のところは、ないです」
「そうか」
ズバンが少し間を置いた。石畳が途切れ、砂地になった。荷台が静かになった。
「最近、他に依頼は受けてるか?」
俺は一歩ぶん、余分に考えた。
「あります」
「どんな依頼だ」
「いろいろです」
「いろいろか」
「はい」
ズバンが前を向いたまま歩いた。横顔が見えた。口を開きかけて、閉じた。
「顔に出てます」
「なっ」
ズバンが止まった。荷台が揺れた。前後のバランスが崩れて、俺が手で押さえた。
「また出てましたか」
「いや、そっちじゃなくて、そもそも俺の顔のどこが——」
「全部です」
「全部って何だ」
俺は荷台を押しながら前を向いた。
「聞きたいことがあるのに、なかなか本題に入れないときの顔です」
ズバンが黙った。
三歩、四歩、五歩。
「わかった」
「そうですか」
「そうだ」
それ以上は言わなかった。俺も聞かなかった。何を聞きたかったのかは、たぶん聞いても教えてくれない。
(これで四回目か五回目か)
今度は確実に漏れなかった。
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最初の搬送先は薬師の店だった。
建物の脇に荷台を止めて、箱を二つ降ろした。薬師の主人が出てきて、中身を確認して、受け取りのサインをした。それだけだった。五分もかからなかった。
ズバンが「案外早いな」と言った。
「搬送先がちゃんとしていると早いです」
「俺がちゃんとしていないみたいな言い方だな」
「そういう意図はないです」
「そうか」
次は南側の修理屋だった。
通りに入ってすぐ、荷台が通れないとわかった。道が狭い。建物の角と角の間に、人一人が荷物を持ってようやく抜けられる幅しかなかった。
「手で持つしかないな」
「そうですね」
残り二つの箱を分けた。俺が一つ、ズバンが一つ。狭い道を縦に並んで歩いた。
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修理屋は奥が長かった。
扉を開けると棚が壁の両側にずらりと並んでいて、中央の通路だけが空いていた。工具と部品が所狭しに置かれていて、棚の端には削りかすが積もっていた。
「どこに置きますか」
主人が棚の一番奥を指さした。俺が先に入った。棚と棚の間を抜けて、指定の場所に箱を一つ置いた。戻ろうとしたら、ズバンがすでに入ってきていた。
「こっちか?」
「そこで合っています」
「よし」
二つ目の箱が置かれた。主人が「ありがとう」と言った。
搬送は終わった。
主人が棚の前に立って、何かを確認していた。荷物が着いたことで、棚の並びを変えたいのだろう。上の段の箱を両手で持って、足を踏ん張った。重そうだった。
「手伝いましょうか」
俺が言っていた。聞いてから気づいた。
「頼めるか」
「はい」
棚の上の荷物を受け取った。主人が指定する棚に動かした。重さは中程度だった。
隣でズバンが同じ作業をしていた。
主人から受け取った箱を棚に差し込んで、次の箱を取りに振り返る。その動作が俺と揃っていた。
「あなたも手伝ってますね」
「気づいたらやってた」
「依頼は搬送までだったと思いますが」
「わかってる」
ズバンが少し早口で言った。手は止めなかった。
「俺が頼んだ側なんだが」
最後の一言だけ、声が小さかった。
俺は棚の荷物に手をかけたまま、少し間を置いた。
「頼んだ人が手伝っている。逆になってます」
「うるさい」
ズバンが言った。
間があった。主人が別の棚から箱を持ってきて、三人で作業が続いた。しばらくすると、主人が「大体これで合ってる」と言って、礼を言った。
三人で棚を整えた。
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修理屋を出ると、風が出ていた。
さっきより冷たくなっていた。空は高かった。日が傾きかけているのか、影が少し長かった。
「報酬だ」
ズバンが革袋を渡した。
「ありがとうございます」
受け取った。手の中でずしりとした。想定より重い。
「少し多くないですか」
「棚の整理もやったから」
「棚の整理は、あなたもやってましたが」
「うるさい」
三度目だった。今度が一番柔らかかった。
俺は革袋をしまった。ズバンが荷台の方を一度見て、また俺に視線を戻した。
「また頼——」
途中で止まった。
口が閉じた。何かが引っかかったのか、言いかけた言葉を飲み込んだ。
俺は待った。
「何ですか」
「……いや。なんでもない」
「そうですか」
「そうだ」
「では、また何かあれば」
「ああ」
俺は歩き始めた。石畳の上を二歩、三歩。
後ろから声が来た。
「お前、また何か言ったか」
「言っていないと思いますが」
「……そうか」
「そうです」
振り返らなかった。
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ズバンは路地に一人で残った。
荷台はすでに返してある。修理屋の扉は閉まっていた。路地に人はいない。
壁に背を預けて、内ポケットを探った。折りたたんだ紙を取り出した。
広げた。
前に書いた行がある。
*特筆すべき戦力を持たない。監視継続を推奨。*
ペンを持った。
棚の整理を思い出した。カナトが上の荷物を受け取って、指定の場所に移した。主人が「頼めるか」と言ってから五秒もしないうちに始めていた。ズバン自身は少し遅れて手を動かしていた。
「俺が頼んだ側なんだが」と声に出たとき、カナトは棚の荷物を持ったまま、「逆になってます」と言った。特に笑っていなかった。ただ言っただけだった。
「うるさい」と返した後、自分でも何を怒っているのかわからなかった。
ペンが動いた。
括弧を開けた。
*(本日は荷物の仕分けを手伝った)*
括弧を閉じた。
紙を見た。
しばらくそのままだった。風が通った。遠くで子どもの声がした。
「……なんで括弧にしたんだ俺」
路地に声が出た。
返事はなかった。
紙を折った。内ポケットにしまった。ズバンは路地を出た。




