第31話「世界が合わせているだけだ」
本作は全35話予約投稿済みですのでエターなるはありません
朝の仕事は雑貨屋の棚だった。
棚板の一枚が、左端から少しずつ沈んでいた。
重さの問題ではなく、支えている木枠の組みが数年かけてゆっくりずれたのだという。
「直せますか」と店主が聞いた。
「……見てみます」とカナトは言った。
---
ヴィオは店の入口そばで、木の柱に背をあずけて立っていた。
目が開いているのか閉じているのかわからなかった。
店主が奥へ引っ込んだのを確認してから、カナトは木枠に手をあてた。
(この手触り、去年もどこかで触った気がする)
声に出なかった。
しばらく、枠の角を指先でなぞった。
ヴィオが「木の音が変わりましたね」と言った。
棚板を置き直した。
動かなかった。
「……なんか、まとまった」
「そうですね」とヴィオが言った。
特に驚いていなかった。
---
雑貨屋を出たのは朝の終わりごろだった。
ヴィオが「食堂に寄りますか」と聞いた。
「……いえ、ちょっと」
カナトは交差点の手前で立ち止まった。
「先に行っていてください」
ヴィオはしばらくカナトの方を向いていた。
「わかりました」と言って、角を曲がった。
---
食堂の軒下に、ゴドルはいた。
昼前のこの時間にここにいるのはいつも通りだったが、カナトの方から来るのはいつも通りではなかった。
ゴドルがカナトを見た。
カナトはそのまま近づいた。
「……少し、いいですか」
ゴドルは何も言わなかった。
それが、いいという意味だとカナトは受け取った。
---
軒下の端に、空いた長椅子があった。
カナトはゴドルの隣より一人分空けて座った。
「……条件が、なんとなくわかりました」
ゴドルは湯呑みを持ったまま、動かなかった。
「それで」
「誰も見ていないとき、だと思っています。それと、触れていること。あと……なんか、ちゃんとわかってないといけない」
しばらく間があった。
「三つ全部揃うことは少ないので、大体は一個か二個で止まっています」
ゴドルは湯呑みをゆっくり置いた。
「わかったか」
「……なんとなく」
「なんとなく、か」
ゴドルは少し考えるような間を置いた。
「まあいい」
---
ゴドルが視線を遠くに向けたまま、低い声で言った。
「お前が壊れているんじゃない」
カナトは黙っていた。
「世界の側の、バグだ」
「……バグ」
「世界樹が、お前に合わせようとしている。それだけのことだ」
カナトはその言葉を聞いて、何かを言おうとして、やめた。
「……俺が壊れてないなら、なんで誰にも見られてないときだけ動くんですか」
「知らん」
即答だった。
「全部が俺にわかるほど、世界は親切じゃない」
---
しばらく二人とも黙っていた。
軒先を、風が一回通った。
カナトは膝の上で手を組んだ。
(バグ、か)
声に出なかった。
(欠陥品だと思ってたけど、欠陥品なのは世界の方だったのか)
声に出なかった。
カナトは組んだ手を、一度だけ開いた。
また閉じた。
ゴドルは何も言わなかった。
カナトも何も言わなかった。
---
少し間があって。
ゴドルが何かを言った。
小さかった。
明らかに独り言だった。
「……まったく。世界も、不器用なことをする」
声が出た。
カナトはゴドルの方を見た。
「……ゴドルさんも声出るんですか」
ゴドルはカナトを見た。
「……うるさい」
---
食堂の扉が開いた。
ルナが出てきた。
手帳を持っていた。
「……ずっといましたか」
「二十分ほど前から」
「聞こえてましたか」
「はい」
カナトは天を仰いだ。
(先回りが速すぎる)
声に出た。
ルナは手帳に何かを書いた。
表情は変わらなかった。
---
ズバンが横から現れた。
「いたのか」
「いましたよ」とルナが言った。
ズバンはカナトを見た。
「なんか、すっきりした顔してるな」
「……そうですか」
「そうだぞ」
ゴドルはすでに立ち上がっていた。
「飯の時間だ」
それだけ言って食堂に入った。
カナトはその背中を少し見た。
(あの人は、いつから知ってたんだろう)
声に出なかった。
答える人間は、もう食堂の中にいた。
---
*【記録 / L.記】*
*31日目。修繕:雑貨屋・棚板木枠一箇所。発動確認。疲弊:軽微。*
*特記事項:カナト氏、自発的にゴドルへ接触。スキル条件の自己言語化を報告。ゴドル発言——「世界の側のバグ」「世界樹がお前に合わせようとしている」。*
*(ゴドルも独り言が出る。記録した)*




