第23話「好きにしろ、の意味が、わからなくなくなってきた」
本作は全35話予約投稿済みですのでエターなるはありません
朝の食堂は、いつも同じ順番で始まる。
女将さんが扉を開ける。
板の間に光が入る。
俺が端の席に座って、パンを一枚取る。
それだけだ。
「(今日は雲が少ない)」
声に出ていた。
誰にも聞かれていなかったので、それでよかった。
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パンをちぎって口に入れたとき、食堂の戸口に人が立った。
ヴァルト、だった。
「おはようございます」と俺は言った。
ヴァルトは軽く頷いて、隣の席ではなく、向かいの席に座った。
それから少しの間、何も言わなかった。
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「考えが決まった」
ヴァルトが言った。
「……そうですか」
俺はパンをちぎるのをやめて、その人を見た。
穏やかな顔だった。
いつもと変わらない顔だった。
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「お前は、戻る必要はない」
静かな声だった。
怒ってもいないし、残念がってもいないし、
ただそう言った。
俺は少し考えた。
「(そうですか)」
声に出た。
それ以外に何があるかというと、特になかった。
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ヴァルトが俺を見た。
少し、長い間、見た。
「……何か言いたいことはないか」
「(何か言いたいことがあるかというと……)」
声に出た。
俺は考えた。
ちゃんと考えた。
「……特には」
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ヴァルトが沈黙した。
怒った様子ではなかった。
失望した様子でもなかった。
ただ、沈黙した。
俺はパンを一口食べた。
食堂の外で鳥が鳴いた。
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朝の光が、テーブルの上を斜めに渡っていた。
ヴァルトはそれを見ていた。
俺は、見ていなかった。
「(何かを期待されていた気がするが、何を期待されていたのかがわからない)」
声に出ていた。
ヴァルトが、一瞬だけ、視線を動かした。
俺は気づかなかった。
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出発の時刻は昼前だった。
俺は頼まれていないのに食堂の前で立っていた。
断れずに流されたわけではなく、なんとなくそこにいた。
なんとなくそこにいるのは、たぶん、見送りというやつだった。
「(俺、見送りをしているのか)」
声に出た。
女将さんが横で聞いていたが、何も言わなかった。
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ドリスが先に出てきた。
荷物を背負って、俺を見つけて、少し立ち止まった。
「……また謝りに来るかもしれません」
ドリスが言った。
俺は考えた。
「(謝罪の着地点、見つかったらまた笑えるかもしれませんね)」
声に出た。
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ドリスが笑った。
小さく、でも確かに、笑った。
この前と同じ声で笑った。
俺は少し驚いた。
笑える人なんだな、と思った。声に出なかった。
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「……ありがとうございました」
ドリスが言った。
俺はその言葉の重さを、どこに置けばいいかわからなかった。
「何がですか」
聞いた。
ドリスは答えなかった。
少しだけ俺を見てから、路地の方へ歩いていった。
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俺はその背中を見ていた。
「(……笑えるなら、笑えばいいのに)」
声に出た。
でも、それは見送りのための言葉ではなかったので、
俺はそれ以上何も言わなかった。
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ヴァルトが出てきたのは、それから少ししてからだった。
俺に一度だけ目を向けて、何も言わなかった。
俺も何も言わなかった。
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二人が路地の向こうに消えた。
光が普通に降りていた。
空が普通にそこにあった。
「(……また来るのかな)」
声に出た。
「(来たら、また誰だっけってなる気がする)」
声に出た。
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「はいはい、次の仕事ね」
女将さんが言った。
俺の隣で、メモを広げながら、すでに次の話をしていた。
「……はい」
俺は言った。
路地の方は、もう見なかった。
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ヴァルトが去ったことを、ズバンはその場で見ていた。
見送りには出ていない。
宿の入口の陰から、二人が路地に消えるのを確認した。
それだけだった。
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ヴァルトと最後に話したのは、出発の一刻前だった。
廊下で、すれ違いざまに、ヴァルトが立ち止まった。
ズバンは気づかなかった。
気づいたときには、ヴァルトがもうこちらを見ていた。
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「……好きにしろ」
それだけだった。
ヴァルトは続けなかった。
歩いていった。
ズバンはその場に立っていた。
廊下の端から端まで、光が走っていた。
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「好きにしろ」が、命令なのか。
「好きにしろ」が、解放なのか。
ズバンは考えた。
長い時間、考えた。
廊下に人が通っても、考えた。
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答えは出なかった。
出なかったまま、部屋に戻った。
机の上に、報告書があった。
折り畳まれたまま、封をしていない報告書が、あった。
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ズバンはそれを手に取った。
しばらく持っていた。
それから、封をした。
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*【ズバンの報告書・第23報】*
*宛先:真銀の旗・ヴァルト殿*
*本日、ヴァルト殿はドリスと共にこの宿場町を発ちました。*
*カナトは食堂の前で見送りました。*
*特に何も言っていませんでした。*
*特に何も言わないのがカナトです。*
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*出発前、ヴァルト殿に廊下で一言いただきました。*
*「好きにしろ」*
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*それが命令なのか、解放なのか、わかりません。*
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*……わからなくていい気がしてきました。*
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*俺は今日、初めてこの報告書に封をします。*
*誰かに読ませるためではないかもしれません。*
*でも、封をします。*
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*【記録 / L.記】*
*23日目。修繕:なし。*
*本日、ヴァルトおよびドリスが出立。*
*滞在期間:3日。*
*回収は行われなかった。*
*理由は不明。*
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*ヴァルトはカナト氏と朝食堂で短く接触。*
*カナト氏は「そうですか」と「特には」のみ発言。*
*ヴァルトは沈黙した。*
*沈黙の種類は記録できない。*
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*(カナト氏は今日も、何が起きたかわかっていない)*
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*私にはわかる。*
*だから何だということは、まだわからない。*




