第17話「嘘をついた理由が、うまく説明できない」
本作は全35話予約投稿済みですのでエターなるはありません
朝の食堂に、手紙が来ていた。
カナトがパンを手に取る前に、女将さんが封を持って来た。
「ズバンさん宛ての書状よ。旅人が預かってきたって」
「……俺に言うんですか」
「ズバンさんまだ下りてきてないから、出てきたら渡してあげて」
返事を待たずに厨房に消えた。
カナトは封筒を受け取った。
(なんで俺が)
「声が出ていましたよ」
窓際の席から、ルナが言った。
「……いつからいるんですか」
「今朝から」
「今朝いつからですか」
「夜明け前から」
カナトは黙った。
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ズバンが階段を下りてきたのは、カナトがパンを半分食べたころだった。
「よう、カナト。朝から律儀だな」
「……手紙が来てます」
「手紙?」
カナトが封筒を差し出すと、ズバンの顔が一瞬固まった。
ほんの一瞬だったが、固まった。
「……ありがとう」
「どうぞ」
ズバンは封筒を受け取って、テーブルの端に置いた。そのまま椅子を引いて座り、女将さんに朝食を頼んだ。パンとスープを頼んだ。声は普通だった。
カナトはパンの続きをちぎった。
ズバンの手が、テーブルの端の封筒にちらと動いて、止まった。
(読みたいのか読みたくないのか、どっちですか)
「声が出ていますよ」とルナが言った。
カナトは残りのパンを口に入れた。
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ズバンが封筒を開いたのは、カナトが食堂を出て依頼の確認に行った後だった。
ルナだけが窓際の席に残っていた。
(ヴァルト殿より。)
(「第16報確認した。確認を要する。当該人物は本当に戦力外でないのか。再確認し、答えよ」)
ズバンは紙を折り直した。
(……再確認。)
(再確認して、俺は何と答える気だ。)
(答えは変わらない。だから聞かれているんだろう。)
スープが来た。
ズバンは匙を手に取って、スープをかき混ぜた。
飲まなかった。
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女将さんが食堂から顔を出した。
「カナトさん、今日ね、依頼が入ってるんだけど」
カナトは食堂の入口で止まった。出るタイミングだったが、女将さんが入口を向いていた。
「……何でしょう」
「旅商人の荷台よ。荷物を積み直したとき、荷台の側板の蝶番が緩んだって。修繕頼めないかって」
「大工さんは」
「今日は隣の村に出てる日なの」
「……わかりました」
「ルナちゃんとヴィオさんも来るって言ってたから」
「……そうですか」
「早い方がいいわよ」
すでに決まっていた。
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荷台は宿の裏手、馬を繋ぐ柱の近くに止まっていた。
旅商人は四十絡みの男で、足元を見ながら荷物の確認をしていた。カナトたちが来ると、顔を上げて会釈した。
「助かります。蝶番の一本が、ちょっとぐらついてまして」
「見せてもらえますか」
側板の右端、木枠と荷台を繋ぐ蝶番が一本、取り付け部分ごとわずかに浮いていた。打ち込んだ釘の一本が抜けかけている。木が割れているわけではない。填め直して固定し直せば動かなくなる。
「少し離れてもらえますか」
カナトが商人に言いかけると、商人は自分から荷台の反対側へ回った。荷物の確認がまだあるのかもしれなかった。
ヴィオは荷台から少し離れた場所に立っていた。馬の息の音を聞いているような顔をしていた。
ルナは手帳を開いていた。荷台を見ているのか手帳を見ているのか、どちらかわからない角度だった。
カナトは蝶番に手を当てた。
浮いた金具の縁に指を合わせると、木枠の繊維の向きが手のひらに伝わってきた。あるべき場所、という感覚が先に来た。力を込めるより先に、金具が落ち着いた。
(なんか、まとまった。)
隙間が消えていた。
カナトは指で叩いてみた。音が均一だった。荷台を少し揺らすと、蝶番は動かなかった。
「……終わりました」
商人が荷台の反対側から回ってきた。蝶番を確認して、荷台を揺らした。二回揺らした。
「ほんとだ。しっかりしてる」
「普通にやりました」
「いやあ、助かりましたよ」
商人は顔を崩した。人懐っこそうな笑い方だった。
「実は、ゴルタでも同じ話を聞きましてね」
カナトは手を下ろした。
「……どの話ですか」
「この宿場町に、腕のいい便利屋がいるって話ですよ。石畳の修繕とか、荷馬車の修繕とか。大工に頼むより早くて丁寧だって」
カナトは何も言わなかった。
「もう噂が出てるんですね」
商人は続けた。話しやすそうな声だった。
「街道を行き来する商人の間じゃ、もう知れてますよ。腕利きが宿場町に落ち着いたって」
(噂が歩いている。)
「声が出ていましたよ」とルナが言った。
「……わかってます」
少し、疲れた気がした。蝶番一本のせいではないかもしれなかった。
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食堂に戻ると、ズバンがいなかった。
席のスープが半分残っていた。封筒は見えなかった。
カナトは椅子を引いて座った。
ゴドルが奥の席でカップを傾けていた。
「……商人が噂を持ってきましたよ」
「そうか」
「ゴルタでも聞いたって」
「そうか」
ゴドルはそれ以上何も言わなかった。カップを置いて、窓の外を見た。
カナトは水を一杯もらって飲んだ。
(噂が先に着く。着いてから俺が来る。いつからそうなった。)
声には出なかった。
出なかったのを確認してから、少しだけほっとした。
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ズバンは宿の自室に戻って、返信用の紙を広げた。
書いた。
(訂正いたします。第16報の内容は、俺の判断が入りすぎていた。)
(再確認しました。当該人物の活動は、通常の修繕作業です。)
(蝶番一本、石畳の段差、金具の緩み。材料なしに直すように見えるが、これは手際がいいだけかもしれません。)
(特筆すべき戦力は、確認できません。)
手が止まった。
(……これは嘘だ。)
ズバンは天井を見た。
石造りの天井は、何も教えてくれなかった。
(嘘だとわかって書いている。なぜ書いているのか、うまく説明できない。)
(カナトを守りたいのか、という問いに、俺は今すぐ答えられない。)
(ただ、ヴァルト殿に「回収」という文字が続くのが、何かおかしい気がしている。)
(おかしい、という感覚を、うまく言葉にできない。)
封をして、ドリス宛に出す手順を頭の中で確認した。
今日の午後に出発する旅人に預ければ、三日もあれば届く。
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食堂の昼は、旅人が二組来て、また出ていった。
カナトはルナの隣の席に座っていた。
隣の席というのは、カナトが座ったら隣がルナだった、という話で、最初からそこにいたのかどうかは確認していない。
ルナは手帳を開いていた。
「何を書いてるんですか」
「今日のことです」
「蝶番の話ですか」
「蝶番と、商人の発言と、あなたの疲弊と」
「疲弊まで書くんですか」
「継続観察中です」
カナトは水を飲んだ。
「……商人が言ってたこと」
「聞きました」
「ゴルタでも噂になってるそうで」
「記録しました」
「広がりますかね」
ルナは手帳から目を上げた。まばたきをしなかった。
「広がっています」
「もう、ですか」
「もう、です」
カナトはため息をついた。
思ったことが口から出た。
「……噂は歩く速さが違う。人より先に着いて、人が来るころには家を作っている」
ルナが手帳を開いたまま静止した。
「今のは」
「……独り言です」
「記録します」
「しなくていいです」
「しました」
カナトはテーブルに領をついた。
ヴィオが食堂の入口から声をかけた。
「良い言葉でしたよ」
「……聞こえてましたか」
「よく聞こえました」
「……次の歌にしないでください」
「考えます」
「……考えないでください」
ヴィオは笑ったような声を出した。
女将さんが厨房から顔を出した。
「カナトさん、また依頼が」
「……わかりました」
返事が先に出た。
(口が先に動いた。)
声が出た。
「声が出ていましたよ」とルナが言った。
「……わかってます」
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*【記録 / L.記】*
*17日目。旅商人の荷台・側板蝶番(一箇所)修繕。*
*発動確認:商人が荷台の反対側へ回った直後。ヴィオは馬の方向を向き、私は手帳を開いていた。蝶番が「まとまった」とカナト氏本人が発言。疲弊:軽微。蝶番一箇所相当。*
*新情報:ゴルタで「腕利きの便利屋」の噂が確認された(旅商人の証言)。噂の拡散速度が上がっている。本人は認識したが「ため息」で処理した。*
*独り言記録:「噂は歩く速さが違う。人より先に着いて、人が来るころには家を作っている」*
*(この独り言は、本人の状況認識として正確である。本人はそれを認識せず、独り言だと思っている。矛盾が言語化されている。)*
*本日の観察所見:「返事が先に出た」という発言。断れない行動パターンが、意識より先に動き始めている可能性がある。継続観察。*
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*【ズバンの報告書・第17報】*
*宛先:真銀の旗・ヴァルト殿*
*第16報の内容を訂正いたします。再確認の結果、当該人物の活動は通常の修繕作業の範囲内と判断しました。特筆すべき戦力は確認できません。以前の報告に誤りがありました。*
*本日の動向:荷台の蝶番修繕。所要時間短め。*
*(以上が報告書の本文だ。)*
*(これは嘘だ。)*
*(俺は今、ヴァルト殿に嘘をついた。)*
*(なぜ嘘をついたのか、説明できる言葉を俺は持っていない。「カナトが心配だったから」と書けば正確かもしれないが、それを書く理由が、うまく説明できない。)*
*(スパイが情が移って報告を偽る、というのは、任務として最悪の結末だ。それはわかっている。)*
*(だが書いてしまった。送ってしまった。)*
*(今頃、矛盾しているかもしれない。)*
*以上。*
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ドリスが書類を持ってきた。
二通だった。
ヴァルトは一通目を見た。ズバンからの返信。訂正報告。「特筆すべき戦力なし」。
二通目を見た。
別ルートから来た情報だった。ゴルタの商人伝いで届いた話。宿場町に腕利きがいる。石畳、荷馬車、蝶番。大工より早い。材料なしで直す。
ヴァルトは二通を並べて、少し眺めた。
「……ヴァルト様」とドリスが言った。
「何でもない」
「ズバンは、訂正したと言っています」
「そうだな」
「……信じますか」
ヴァルトは二通の書類を重ねて、卓の端に置いた。
「急ぐな。ただし止まるな」
ドリスは何も聞かなかった。
ヴァルトは窓の向こうを見た。何も言わなかった。
ただ、静かに笑ったような顔をした。
表情は、すぐに元に戻った。




