第15話「記録されていた」
本作は全35話予約投稿済みですのでエターなるはありません
朝の食堂は、いつも通りの匂いと光の中にあった。
カナトがパンに手をかけたとき、女将さんが扉の方を見ながら言った。
「カナトさん、ギルドの人が来てますよ」
「……ギルドの人」
「朝食の後でいいって言ってたから、ゆっくりしていいんだけど」
女将さんはそう言って、また厨房に戻った。
カナトはパンをちぎった。
(ギルドの人。ギルド、ギルド……俺、Cランクのまま何もしていないはずだが)
「何が来るんですかね」
声が出た。
ゴドルが奥の席でカップを傾けた。何も言わなかった。
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パンを食べ終える前に、入口の方から足音がした。
三十前後の男だった。革の鞄を肩から提げて、書類を数枚手に持っている。旅の格好ではなく、どちらかといえば事務所から来た人間の顔をしていた。
「カナト・ミレル様でいらっしゃいますか」
「……はい」
「ギルド支部の査定係、コウルと申します。突然お邪魔して申し訳ありません」
礼儀正しかった。声の高さも姿勢も、感情が入っていない。事務的に正しいことをする人間の立ち方だった。
「……どのようなご用件でしょうか」
「実は、こちらに記録がございまして」
コウルは書類を一枚取り出した。
「実績不明の便利屋・カナト・ミレル様として、ギルドの記録に登録されております」
カナトはパンを皿に置いた。
「……実績不明って」
「はい」
「……俺がギルドに、記録されているんですか」
「されています」
コウルは書類を読む目線のまま続けた。
「ただし、実績が確認できないままご本人の噂だけが広まっている状態です。これはギルドの管理上、好ましくないため、本日参りました」
「……実績がないので、記録を消してもらえませんか」
「それはできかねます」
間がなかった。
「ランク査定を受けていただければ、記録を正式化できます。その場合、現在の登録内容は更新されます」
(消せない、正式化できる、査定が必要。書類の話が速い)
「……Cランクのままでいいです」
「承知しました」
コウルは何かを書いた。
「なお、現在の登録はCランクです。噂の内容からBランク以上と推定されますので、査定をお勧めします」
「Cランクのままにしてください」
「承知しました。ただしその場合、実績確認のため、今後の活動に同行させていただく場合がございます」
カナトは黙った。
(どちらを選んでも同じだ)
「……Cランクのままで、同行なしにする方法はありますか」
「実績を提示いただければ」
「……実績がないので、それもできないんですが」
「そうしますと、査定をお勧めすることになります」
袋小路だ。
声が出た。
コウルは書類の続きを見ていた。表情は変わらなかった。
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そのとき、女将さんが食堂を通りかかった。
「……あの」
カナトは女将さんを呼び止めた。
「そもそも、このギルドへの登録は、誰が」
「住所変更はこちらの宿場町の女将様が手続きをされたと記録に」
コウルが書類を確認しながら言った。
カナトは女将さんを見た。
女将さんは持っていた布巾を肩にかけ直した。
「ギルドカードの住所、宿場町じゃなかったら何かあったとき困るでしょ」
「……俺の許可は」
「なかった」
「……」
「ちゃんとした宿場町の住民になったんだから、いいでしょ」
女将さんは笑顔のまま、厨房に戻った。
返事は待たなかった。
カナトはしばらく、厨房の扉を見ていた。
「……逃げ場がない、というのは」
声が出た。
「声が出ています」
窓際のテーブルから、ルナが言った。
(いつからいた)
「声が出ていますよ、と伝えました」
「……聞こえてました」
コウルが書類に何かを書き足した。
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「もし可能でしたら」
コウルが顔を上げた。
「実績確認のため、少し作業をご覧いただけますか。今すぐでなくても構いません」
「……今、すぐに?」
「ご都合が合えば」
女将さんが厨房から顔を出した。
「ちょうどいいわ。裏の物置の棚受け金具が一本ゆるんでるから、見てほしかったのよ」
「……俺に言うんですか」
「だって今いるじゃない」
女将さんはまた厨房に消えた。
(断るタイミングが消えた)
「声が出ています」とルナが言った。
「……わかってます」
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物置は食堂の裏手、石畳が途切れる手前にあった。
棚受けの金具が一本、壁から浮いていた。小さな緩みだが、棚に重いものを載せると落ちる。
「少し離れてもらえますか」
コウルに言いかけたとき、コウルが先に書類に目を落とした。
「承知しました。書類を確認しております」
事務的に、自分で目を逸らした。
(言う前に)
(それはそれで困る気がするが)
ルナがいつの間にか物置の入口に立っていた。手帳を開いている。こちらを向いていない。
「……なんで先に」
「近道があります」
「どこですか」
「私の道です」
カナトは諦めて金具に向き直った。
コウルは書類に向いている。ルナは手帳に向いている。
指を金具に当てた。
壁からわずかに浮いた金具の、あるべき位置が手のひらに伝わってきた。いつもの感触。金具と壁の接合部が、合わさるべき角度を先に示してくる。
「……なんか、まとまった」
声が出た。
金具が壁に収まった。
今日は短かった。昨日よりも、さらに軽い。
(疲れはある。でも少ない)
ルナが手帳に何かを書いた。
コウルが書類に「作業成果:確認」と書くのが、横目に見えた。
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物置から出たところで、コウルが書類を揃えた。
「所見を伺えますか」
「……特に何もないです。金具を直しただけです」
「記録上は」
コウルは書類を確認した。
「『謙虚な実力者、自己評価低め』とさせていただきます」
カナトは止まった。
「……評価が決まってる」
「スキル種別は不明のまま記録となります。ランク査定については、いつでも申請可能です」
コウルは書類をまとめた。きれいに揃えた。
「本日はお時間をいただきありがとうございました。今後ともよろしくお願いします」
一礼して、歩き出した。
足音が遠くなった。
石畳の向こうで、コウルの背中が路地を曲がって見えなくなった。
カナトはしばらくその場に残った。
「……記録されている」
独り言のつもりだった。
「そうだな」
横から、低い声がした。
ゴドルが物置の壁に背を預けて立っていた。
「……聞いてたんですか」
「聞こえた」
「いつからですか」
「最初から」
カナトは黙った。
ゴドルはカップを持ったまま、路地の向こうを見た。
「逃げるより早いことがある」
「……何の話ですか」
「記録されることだ」
カナトは何を言われているのかわからなかった。
ゴドルは何も足さなかった。
ただ、カップを傾けて、石畳に視線を落とした。
カナトはなんとなく悔しかった。うまく言葉が出なかった。理由がわからないのに、悔しかった。
「……強くないんですが」
「そういうことを言っているわけじゃない」
ゴドルは立ち上がって、食堂の方へ歩いた。
足音が遠くなった。
カナトはしばらく石畳を見ていた。
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物置の入口で、ルナが手帳を閉じた。
「記録、終わりましたか」
「はい」
「……何を書いたんですか」
「今日のことです」
「全部ですか」
「全部です」
カナトはため息をついた。ルナはまばたきを一回した。
「コウルさんも、記録していましたね」
「……していましたね」
「二つの記録があります」
「……そうですね」
(それが何を意味するのか、今はわからない)
声が出なかった。今度は出なかった。
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*【記録 / L.記】*
*15日目。コウル(ギルド支部・査定係)来訪。カナト氏が「実績不明の便利屋」としてギルドに登録されていることが本人に判明した。*
*本日の修繕:物置の棚受け金具(一箇所)。発動確認。コウルが書類に向いており、私は手帳を開いていた。*
*疲弊:軽微。14日目とほぼ同水準。修繕規模との相関、引き続き観察。*
*新情報:女将さんがカナト氏のギルドカードの住所を宿場町に変更していた。本人の許可なし。これによりギルドへの登録が確定している。本人にとって「逃げ場がない」状況だと認識したようだが、声が出ていた。*
*コウルの記録:「謙虚な実力者、自己評価低め」。スキル種別は不明のまま。ギルドの書類に対象者の評価が書かれた。*
*コウルは事務的に正確だった。感情の入らない記録者。私と、やり方が似ている。*
*(ギルドが動き始めた。これは対象者が記録の外にいることができなくなった、ということでもある。私の記録と、ギルドの記録が、同じ対象を追っている。どちらが先に何を確認するか。私はまだ条件を断言できていない。)*
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*【ズバンの報告書・第15報】*
*宛先:真銀の旗・ヴァルト殿*
*本日の動向:ギルド支部の査定係コウルが宿場町を訪問した。カナトが「実績不明の便利屋」としてギルドに登録されていることが本人に判明した。*
*女将さんがギルドカードの住所変更を本人許可なしに手続きしていたことも判明。カナトはしばらく厨房の扉を見ていた。*
*本日の修繕:物置の棚受け金具。作業時間は短かった。コウルが「謙虚な実力者、自己評価低め」とギルド書類に記録した。スキル種別は不明のまま。*
*(ヴァルト殿。ギルドが動きました。)*
*(ヴァルト殿が「もう少し見る」とおっしゃった間に、ギルドも「見始めた」ようです。)*
*(見ている人間が増えました。俺とルナさんとギルドが、同じ人間を記録しています。)*
*(俺はどうすればいいんですか。)*
*以上。*




