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第14話「歌になっていた」

本作は全35話予約投稿済みですのでエターなるはありません

食堂の扉を開けた瞬間、俺は一歩引き戻した。


カウンターのそばの椅子に、見覚えのある背中があった。

旅笠をテーブルの端に置き、細い杖を膝に立てかけて、湯気の立つカップを両手で包んでいる。


「……いつからいたんですか」


声が出た。


「昨夜から」


ヴィオは振り向かなかった。

声色は穏やかで、昨日もそこにいたかのようだった。


「……どこへ行っていたんですか」


「旅でした」


「旅から旅ですね」


「そうですね」


それ以上の説明はなかった。

旅笠が少し傾いている。それだけが、遠くから来たことを示していた。


俺は二歩入ってから気づいた。


窓際のテーブルに、灰色のローブがあった。


「……なんでルナさんもいるんですか」


ルナは手帳から目を上げた。

まばたきが一回。


「ヴィオさんが帰ったと、女将さんに聞きました」


「……女将さんに」


「昨夜、戻られたそうです」


俺はヴィオを見た。ヴィオはカップをゆっくり傾けた。


(女将さん、宿の全員の動向を把握しているな)


「声が出ていますよ」とルナが言った。


「……出てました?」


「はい」


俺は椅子を引いた。


---


朝食が終わるころ、女将さんが顔を出した。


「ちょうど良かった。カナトくん、東の廊下の柱が一本ゆるんでてね。今日中に見てほしいんだけど」


「……今日中というのは、いつまでですか」


「今日中」


「……承知しました」


断れていない。


いつものことだと思いながら立ち上がったところで、ヴィオが椅子から立った。


「ご一緒しますね」


俺は一拍止まった。


「……盲目は、見ていないに入りますか」


先に言った。


「前回からまだ答えが出ていません」


ヴィオは穏やかに微笑んだ。

声色は「覚えていますよ」というそれだった。


「……そうでした」


ルナが手帳を閉じながら立ち上がった。


「私も行きます」


(そうですよね)


「声が出ています」とルナが言った。


---


東の廊下は、宿の裏手に接した薄暗い通路だった。

小窓がひとつ、外の光を細く切り取っている。


柱の根元を指で押すと、くぐもった音がした。

木の芯ではなく、柱を固定している金具の緩みだとわかった。


「これですね」


声が出た。


ルナが後ろで手帳を開いた気配がした。


「カナトさん、始めますか」


ヴィオが少し後ろに退いた。壁に沿うようにして、杖を立て直した。


俺は道具袋を開いた。


(見ていない、見ていない、誰も見ていない)


ルナは手帳に向いていた。ヴィオは壁側を向いていた。


金具に手をかけたとき、いつもの感覚が来た。

合わせるべき位置が、手のひらに先に伝わってくるような感触。


(……なんか、落ち着いた)


道具を動かした。金具が、あるべき位置に収まった。


(なんかうまくいった)


しばらく手を当てたまま、その感触が引いていくのを待った。

今日は短かった。前回よりずっと軽い。


「手の音が変わりましたね」


ヴィオが言った。


「……また言いましたね、それ」


「前もそうでしたから」


声色は「当然のことを言っています」というそれだった。


「……参考にします」


道具袋を閉じながら、俺は(参考にしてどうするんだ)と思った。


声が出ていたかどうか、確認する気になれなかった。


---


廊下から戻る途中、ヴィオが言った。


「カナトさんの言葉を、少し歌にさせていただきました」


俺は足を止めた。


「……何ですか、それ」


「旅先で、少し。名前は出していません」


「……俺の言葉を?」


「ええ。旅の途中でいくつか聞いた言葉が、耳に残りまして」


俺はヴィオを見た。

ヴィオは先を歩きながら、杖で床を軽く鳴らした。


「……どこで歌ったんですか」


「いくつかの宿や酒場で。……コートの宿場、ベリス川沿いの町、それからゴルタでも一度」


「……ゴルタ」


俺は止まった。


ルナが後ろで手帳を開く音がした。


「……ゴルタって、昨日の商人が来た町じゃないですか」


「先週立ち寄りました」


「……先週」


「ええ。小さい酒場でしたが、好評でした」


(歌と噂が同じ町を通っていた)


声が出た。


ヴィオは少し首を傾けた。声色は「そうですね」というそれだった。


「……控えめにお願いします」


「もう歌ってしまいました」


「……そうですよね」


俺は歩き出した。足が重かった。


---


食堂に戻ってから、もう一杯お湯をもらった。

考えをまとめるつもりだったが、まとまる気がしなかった。


「……どんな内容を、歌にしたんですか」


聞かなければよかったかもしれないと思いながら、聞いた。


ヴィオはカップを持ち直した。

一拍、間があった。


それから、小さく、でも通るように歌った。


「 流れを断つより、流れに乗れ。

  乗った先に、また考えがある。

  考えたなら、また乗れる。」


食堂の空気が、少し変わった気がした。


ゴドルが奥の席でカップを傾けたまま止まった。


俺はヴィオを見た。


「……それ、俺が言ったやつですね」


「よく覚えていましたね」


「……覚えてないです。聞いたことある気がするだけです」


(どこかで聞いたな、と思ったが、誰の言葉かわからない)


ヴィオの声色が、穏やかに「そうですか」というそれに変わった。


「旅先で耳に残った言葉でした。誰かの言葉を歌にするのは、吟遊詩人の仕事のひとつなので」


「……そうなんですか」


「ええ。良い言葉でしたよ」


(良い言葉、か)


俺は湯気を見た。


(誰が言ったんだろう)


ルナが手帳に何かを書いた。


まばたきが一回。


表情は動いていなかった。


---


*【記録 / L.記】*


*14日目。宿の廊下、柱の修繕。ヴィオ同行(帰還確認)。*


*発動確認。ヴィオが近くにいる状態での発動。9話のパターンと同一条件と判断。*


*疲弊:あり、ただし13日目より軽度。修繕規模との相関の可能性がある。継続観察。*


*ヴィオの「手の音が変わりましたね」発言:9話と同一の文言。今話でも発動直後に発言。ヴィオが何らかの感知手段を保持している可能性が高い。視覚以外の経路。詳細不明。*


*噂拡散の新ルート判明。ヴィオが吟遊詩人として旅先でカナト氏の言葉を歌の一節として使用していた。到達確認済みの地点:コートの宿場、ベリス川沿いの町、ゴルタ(少なくとも3地点)。名前は出していないとのこと。ただし内容はカナト氏の独り言から引用されている。*


*被験者は自分の独り言が詩の元になっていることに気づいていない。自分の言葉として認識していない。「聞いたことある気がする」発言あり。*


*(噂と歌が同じ町を通っていた。これは記録としては非常に興味深い。しかし今のカナト氏にとっては、どちらも困ることに変わりない。)*


---


*【ズバンの報告書・第14報】*


*宛先:真銀の旗・ヴァルト殿*


*本日の業務:宿の廊下、柱の金具修繕。完了。同行者:ヴィオ(吟遊詩人・盲目・今日帰還)。ルナ(薬師・情報屋・いつもいる)。*


*本日判明した事項:ヴィオが旅先でカナトの言葉を歌にして広めていた。名前は出していない。ただし内容はカナトの独り言をそのまま引用した詩である。到達済みの町にゴルタが含まれている。昨日カナトを目当てに来訪した旅商人テオの出発地と一致する。*


*(……ヴィオさん、あなたもですか)*


*(行商人のルートと吟遊詩人のルートが重なっていた。噂の経路が二本になった。しかも両方、自然に広まっている。誰も意図していない。)*


*(ヴァルト殿。「保留」と言いましたが、これは俺の力では止められない話になってきました。)*


*(カナトは今日も、自分の独り言が詩になっていることに気づいていませんでした。)*


*以上。*


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