第13話「噂が先に着いていた」
本作は全35話予約投稿済みですのでエターなるはありません
朝の食堂は、いつも誰かが席についている頃に始まる。
カナトが扉を開けると、女将さんがこちらを見た。
珍しく、何かを言う前に一呼吸おいた。
「カナトさん。今日ね、別の町から来た商人さんが、あなたのこと聞いてるんだけど」
「……俺のこと」
「ゴルタっていう宿場町から来た人で、昨夜遅くに着いて。朝ごはんの後で話したいって言ってて」
カナトはパンに手を伸ばしかけて、止めた。
(別の町から。ゴルタって、ここから二日くらいの距離じゃなかったか)
「……俺のことを、わざわざ」
「名前を出してたから、同じ人だと思って」
女将さんはそう言い残して厨房に戻った。返事は待たなかった。
カナトはパンをちぎりながら、声が出た。
「広まり方が、遠い」
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食事を終えたあたりで、入口の方から人が来た。
五十がらみの男だった。荷馬車旅の格好をしている。日焼けして、顔の皺が深い。革のベストに荷物の記録らしき紙を何枚か持っていた。
「あんたが、カナト・ミレルさんかい」
「……そうですが」
「よかった。話に聞いてた通りの若さで」
男は自分から席を引いて、向かいに座った。名乗りは後でいい、というタイプの顔をしていた。
「テオっていう。行商をしてる。ゴルタから来た」
「はあ」
「ゴルタの宿でね、噂を聞いたんだよ。Bランクの魔物の巣を一人で片付けた腕利きが、このあたりの宿場町にいるって」
カナトは椀を置いた。
「……CランクとBは、だいぶ違います」
「ゴルタの酒場ではBランクって話だったけどなあ」
「Cランクです」
「でも一人で」
「一人ではなかったです」
「へえ」
テオは少し考えるような顔をした。
「そういや、別口の噂じゃ"Aランク相当の実力者"って聞いた気もするな」
カナトは黙った。
「……どこで変わったんですか」
「道中で聞いたんだけど、どこだったかなあ」
(Cが、Aになっている)
「断言しますが、Aランクではないです」
「謙虚だなあ」
テオは笑顔のまま、手元の羊皮紙に何かを書いた。
(謙虚の話をしていない)
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食事が終わって、テオが席を立とうとしたとき、女将さんが裏口の方から戻ってきた。
通り際にテオの荷馬車を見た。
「あら、車軸が緩んでるわよ」
テオが振り返った。
「え、そうか」
「カナトさん、ちょっと見てあげて」
「あの、俺は」
「金具の緩みなら早めに直した方がいいわよ、道中また締め直すのも大変でしょ」
テオはカナトを見た。
「……あの噂の人が直してくれるのか」
カナトは、もう断るタイミングがなかった。
(また、受け取った後から始まった)
「……見てきます」
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宿の前に荷馬車が停まっていた。
幌のついた二輪で、積荷はそれほど多くない。一人旅の行商としては標準的な大きさだった。車軸の金具を確認すると、確かに右側の締め具が斜めになっている。このまま走ると縄が緩む前に枠ごとずれる。
「少し離れてもらえますか」
「なんで」
カナトは止まった。
「……見ていない方が、作業しやすいので」
「なんで」
「……なんでと言われると、うまく言えないんですが」
「見てちゃまずいのか」
「まずいわけではないんですが」
「じゃあ見てていいか」
「……」
(説明できない)
「見るな!!」
思ったより大きく出た。
テオがびくっとした。
「……わかった、わかったよ」
「すみません」
「いや、いいけど。理由は」
「……ちょっと、見られると、あの、集中が」
「職人気質か」
(違う気もするが、それでいいかもしれない)
「……そういうことで」
テオが向こうを向きかけたとき、視界の端に灰色のローブが見えた。
ルナが荷台の脇に立っていた。手帳を開いて、ペンを持っていた。
「……なんで先に」
「おはようございます」
「なんで荷台の脇に」
「邪魔にならない位置を確認しました」
テオがルナを見た。
「あの人は何をしてるんだ」
「記録しています」
ルナが答えた。
「記録って、何を」
「あなたが何をしているかを」
「俺のことか」
「いいえ」
テオは首をかしげた。
「じゃあ何を」
「あなたが見ているものを見ていない人物が、どこにいるかを」
テオはしばらく考えた。
考えて、何も言えなかった。
「……向こうを向きます」
そう言って、荷台の反対側へ回った。
ルナは手帳に何かを書いた。
カナトは二人とも見なかったことにした。
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車軸の金具に指を当てた。
斜めになっている締め具を正しい角度に押し戻す。ただそれだけのはずだった。
指が馴染んだ。
金具が、あるべき位置に戻るときの感触が、手の先ではなくもう少し奥の方から来た。小さな、抵抗の消え方。
「……なんか、定位置に収まる感じがした」
声が出た。誰もこちらを向いていなかった。
締め具を締める。車軸を揺らしてみると、さっきまでのがたつきがない。
「直った」
それと同時に、全身に重さが来た。
突然ではなかった。じわっと、体の表面から染み込んでくる感じだった。
(……疲れた)
立ち上がって、荷台に手をついた。
「……なんで疲れた」
声が出た。
テオが振り返った。
「直ったのか」
「直りました」
「早いな」
「……疲れてるんですが」
「どこか悪いのか」
「いや、そういうわけじゃないんですが。なんで疲れてるのかが、わかりません」
テオはカナトを一度上から下まで見た。
それから車軸を揺らして、手で金具を確認した。
「確かに直ってる」
「直りました」
「金具を押さえただけだろうに」
「押さえただけです」
テオはしばらく車軸を触った。
「……確かに本物だ」
独り言のような声だった。
荷台の荷をひとつ締め直して、テオは馬の手綱を手に取った。
「助かった。次の町までは持ちそうだ」
「どちらへ」
「キルタを抜けてからもう一本北。ついでに話しておくよ、便利屋の話」
カナトは立ち上がった。
「……控えめにお願いします」
「謙虚だなあ」
テオは笑って、荷馬車を動かし始めた。
(謙虚と言い張っただけなのに、また謙虚評価が上がっている気がする)
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荷馬車が路地を曲がって見えなくなってから、ルナが手帳を閉じた。
「疲れていましたね」
「見てたじゃないですか」
「記録していました」
カナトはため息をついた。毎回この会話になる。
「今日の疲れは何ですか」
「……俺が聞きたいです」
「わかりません」
カナトは顔を上げた。
ルナが「わかりません」と言うのは、珍しい気がした。いつもは「記録しています」か「観察中です」のどれかだった。
「……珍しいですね」
「何がですか」
「わからないって言うのが」
「わからないことは記録できます」
「……記録したんですか」
「しました」
ルナはそれだけ言って、宿の方へ歩き始めた。
カナトも歩いた。石畳が始まるあたりで、ルナが手帳を少し持ち直した。
「次も記録します」
「聞いてませんよ」
「聞かれなくても言います」
「……」
(言うんだ)
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*【記録 / L.記】*
*13日目。旅商人テオ(ゴルタ出身)の荷馬車・車軸金具修繕。*
*発動確認。接触:車軸の締め具(金属)。発動タイミング:テオが荷台の反対側へ回った直後。*
*条件3:テオが向こうを向いた瞬間に「向いていない」が成立した可能性。私は手帳を開いており直視せず。*
*新規観察:発動後、被験者に全身疲弊あり。「疲れた」「なんで疲れてるのかわからない」と発言。*
*これまでの記録(8日目・9日目・11日目・12日目)に疲弊の記述はない。今日が初観測。*
*疲弊が今回初めて発現した理由として、前回(12日目)は金具の物理的な位置ずれが修繕の主要因であり、スキルの寄与が相対的に小さかった可能性がある。今回は締め具の歪みが微小で、修繕の大半をスキルが担った——と仮定できるが、判断保留。*
*疲弊の解釈:「コスト」の可能性。発動量に比例するか、回数によるか、条件の差異によるか——要確認。今日の修繕は金具一箇所のみ。単純な修繕量では判断不可。*
*噂の拡散状況:テオによればゴルタの酒場で「Bランクの巣を一人で片付けた」との情報が流通。さらに別口では「Aランク相当」に誇張されていた。ここから二日圏内の町に到達確認。*
*テオは「次の町でも話す」と明言した。*
*(どうすれば止まるのか、という問いに答えが出ない。止まらない前提で記録を進める。)*
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*【ズバンの報告書・第13報】*
*宛先:真銀の旗・ヴァルト殿(副官ドリス経由)*
*本日の行動記録:別の町からの旅商人テオが、カナトを名指しで訪ねて来た。*
*噂が二日圏内の宿場町まで到達したことを確認。内容は「Bランクの巣を片付けた腕利き」から「Aランク相当の実力者」まで複数のバリエーションで流通中。*
*本日の修繕:荷馬車の車軸金具。作業時間は短かった。(短いのに、金具の直り方が普通じゃなかった。押し当てただけだった。いつもそうだ。)*
*新規事項:修繕の後、カナトが「疲れた」と独り言を言っていた。今まで見てきた中で、修繕の後に疲れている様子を見たのは初めてだった。*
*旅商人テオは去り際に「次の町でも話す」と言った。カナトは「控えめにお願いします」と返した。テオは笑って行った。*
*(ヴァルト殿、「保留」の期間は長くないと思います。)*
*(噂が育ちすぎると、回収が難しくなります。そのことはわかっておられると思いますが。)*
*(俺が何をどこまで報告すればいいのか、最近わからなくなってきました。)*
*以上。*
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その夜、「真銀の旗」の野営地に、ドリスが戻ってきた。
篝火のそばに、ヴァルトが一人で座っていた。地図を広げていたが、ドリスが来る音を聞いて顔を上げた。
「何かあったか」
「……ゴルタの商人ギルドから情報が入りました」
ドリスは地図の横に、小さな紙を置いた。
「真銀の旗の旧所属、カナト・ミレルの名前が出てきました。修繕系の便利屋として動いているという内容です」
ヴァルトは紙を取って、一度目を通した。
「スキルの特定は」
「不明、とのことです」
「……そうか」
篝火が揺れた。
ドリスは続けた。
「ゴルタではBランク相当との噂でした。さらに別の商人の話では、Aランクという話も出ているようで」
「誰かが話を盛っている」
「はい。ただ、名前は確実に動いています」
ヴァルトは紙を地図の上に置いた。
「動きますか」
しばらく、炎の音だけがあった。
「……まだだ」
「はい」
「もう少し見る」
ドリスは何も言わなかった。
ヴァルトの「見る」という言葉が何を意味するか、ドリスは知っていた。見ている間に何かが起きる。それを待っている。そういうときの沈黙だった。
「カナトは今、何か気づいているか」
「ズバンの報告では、気づいていない様子だと」
「……そうか」
ヴァルトは地図に視線を戻した。
それ以上は言わなかった。
ドリスは一礼して、篝火から離れた。
足音が遠くなるまで、ヴァルトは地図を見ていた。




