第10話「謙虚な人らしいです(本当によくわかりません)」
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食堂に下りると、見知らぬ顔が三人いた。
行商人だった。荷台に布や乾物を積んで街道を行き来する人たちで、宿場町には定期的に立ち寄っていく。今日は荷崩れか何かで泊まりになったのかもしれなかった。テーブルを囲んで、何かを話していた。
俺はいつもの席に座った。
「いやあ、本当に助かった」
「街道が通れなかったら三日は遠回りだからな」
「あそこに巣を作っていたやつが消えたのは、何かあったとしか思えない」
パンが出てきた。食べた。
行商人たちの話が続いていた。
「強い人がいたんだろうな。ああいう場所を片付けるのは普通の冒険者じゃできない」
「誰かとは言えないんだが、あの辺りで何かあったのは確かだ」
「まあ、おかげで助かった」
視線が少し動いた。どこかで聞いた話だと思った。街道の、巣。
(あそこのことか)
街道の巣があった場所だった。造巣型の魔物が作っていたやつ。崩れた。確かにそうだった。
(でも誰がやったか知らないのか)
知らないなら知らないでいい話だった。
女将さんが厨房から顔を出した。
「カナト、今日の依頼は街道側の水路修繕。材料は昨日届いてる」
「わかりました」
「昼には終わらせてほしい。午後に別の用事がある」
「わかりました」
「一人でできるか」
「たぶん」
「たぶん、か」
「一人でできます」
女将さんが引っ込んだ。パンをちぎった。
行商人たちの話がまだ続いていた。
「本当に大したものだ。あの巣、去年から厄介だったんだ」
「しかも消えた翌朝には粘液が固まってた。あれだけ綺麗に固まるのは、普通じゃない」
「固まってたのか」
「ああ、見たか? 石みたいになってた。魔物の仕業じゃなくて、誰かが処置したとしか思えない」
俺はパンを食べ終えた。
(そういえば、固まっていたのか)
よく知らなかった。あの日は帰るので精一杯だった。
立ち上がった。
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街道沿いに出ると、風があった。
水路修繕の現場は宿場町の外れから少し行ったところだった。街道に並行して走る古い水路の継ぎ目が割れて、水が滲み出ていた。石組みを詰め直す作業だった。道具と材料を一輪車に積んで押していった。
しばらく歩いた。
見えてきた。
道の端に、固まった粘液の塊があった。
大きかった。こないだの巣があった場所だった。昆虫と砂土を合わせたような匂いが残っていた。巣の残骸が、ひとかたまりになって道の脇に寄せられていた。形が変だった。押しつぶされたというより、中から圧縮されたような固まり方だった。
数人の通行人が横を通りながら眺めていた。
「すごいな、これ」
「硬さが尋常じゃない」
男の一人が塊を靴の先でつついた。
「びくともしない。岩みたいだ」
「こんな固め方ができる人間がいるのか」
別の一人が首を振った。
「あるいは、やっぱり何か別の力だろう」
俺は一輪車を止めた。
(あ、これ)
見覚えがあった。形の崩れ方が、俺がいた巣の内側から見た感じと重なった気がした。あの時、なんか外れて、粘液か何かが動いた。
(でも俺がやったのかどうかはわからない)
風が通りすぎた。
通行人たちがまた歩き出した。
俺も一輪車を押した。
水路の修繕場所に着いた。石組みを確認した。割れた継ぎ目が二か所あった。小さい方は詰め石で何とかなりそうだった。大きい方は石を削り直す必要があった。
道具を出した。
「失礼」
後ろから声がした。
振り返った。
行商人だった。食堂で話していた三人のうちの一人ではなかったが、似たような荷台を引いていた。別の行商人だった。
「あなたがこちらに来ると聞きまして」
「水路の修繕に来ました」
「ああ、いえ、そうではなくて」
男がやや遠慮がちに言った。
「あの、街道の巣を片付けてくださったのは、あなたですか」
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俺は少し止まった。
「いいえ」
「違うのですか」
「よくわかりません」
男が首を傾けた。
「よくわからない、というのは」
「あの日あの場所にいたのは確かです。ただ、何をしたのかよくわかりません」
男がしばらく俺を見た。
それから、目を少し細めた。
「そうですか」
「はい」
「そういうものですか、あれだけのことができると」
「いや、そういうものかどうかもよくわかりません」
男が深く頷いた。何か納得したような顔をした。
「ありがとうございます」
「何のお礼かわかりませんが、どうぞ」
「謙虚な方ですね」
「そういうつもりはありません」
「それがまた謙虚ですね」
男が荷台を引いて行った。
俺は石組みの方に向き直った。
(謙虚? 本当にわからないのだが)
詰め石を持った。水路の割れた継ぎ目に当てた。角度を確認した。
「本当に何をしたのかわからないんだが」
声が出た。
路地側に人が通りかかっていた。
止まった。
俺は気づかなかった。石を削り始めた。
「……わからないほどの」
通りかかった人の足音が少し止まった。また動いた。
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昼前にズバンが来た。
街道側の道を歩いてきた。手に羊皮紙を持っていた。丸まっていた。報告書か何かだった。
「よう」
「こんにちは」
「水路か」
「水路です」
ズバンが周囲を見回した。固まった粘液塊の方を少し見た。
「お前、あれ、やったのか」
「よくわかりません」
ズバンが俺を見た。
「よくわからない」
「はい」
「あの巣を消したのが」
「あの日そこにいたのは確かです。ただ、何をしたか記憶が断片的で、よくわからないです」
ズバンが口を閉じた。
腕を組んだ。
しばらく固まった粘液塊を見た。
それから俺を見た。
「そうか」
「はい」
「わかった」
「何がわかったんですか」
「……わからんけど、わかった」
ズバンが少し離れた場所に移動した。木の幹に背を当てて、羊皮紙を広げた。ペンを取り出して、何かを書き始めた。
俺は水路に向き直った。
詰め石の位置を調整した。石が水路の継ぎ目にしっかり収まった。
(ズバンは何を書いているんだろう)
まあ、関係ないか。
石を固定した。
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「こんにちは」
別の声がした。
低くて静かな声だった。
ルナだった。
街道側から来ていた。薄い灰色のローブが風に少し動いていた。手帳を持っていた。
「こんにちは」
「修繕ですか」
「水路の修繕です」
「そうですか」
ルナが粘液塊の方へ歩いた。俺の脇を通り過ぎた。塊の近くで止まった。しゃがんだ。
手帳を開いた。
塊に触れた。
指で表面を押した。動かなかった。ペンで軽く叩いた。鈍い音がした。
「固化の密度が高いですね」
「そうらしいです」
「触れた時の感触はどうでしたか」
「俺の話ですか」
「昨日、ここで何がありましたか」
「よくわかりません」
ルナが俺を見た。
まばたきが少なかった。
「何もわからなかったのですか」
「あの日は動けなくなっていたので、気づいたら巣が崩れていました」
「気づいたら」
「はい」
「そうですか」
ルナがペンを持った。手帳に何かを書いた。
書き終えた。
「ありがとうございます」
「何の情報にもなっていないと思いますが」
「なっています」
ルナが立ち上がった。手帳を閉じた。
「もう少し調べます」
「どうぞ」
ルナが塊の反対側へ回った。
俺は水路に戻った。
大きい方の割れた継ぎ目を確認した。石を削り直す必要があった。工具を持った。
(ルナは何がわかるんだろう)
少し削った。石の感触が手に返ってきた。普通の感触だった。昨日の薪棚のときとは違った。
普通に削れた。
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昼を過ぎた。
水路修繕は終わった。道具を一輪車に戻した。
帰り道に粘液塊の横を通った。
ルナはまだいた。塊の周囲をゆっくり歩きながら、ときどきメモを取っていた。ズバンはいなかった。いつの間にか消えていた。
宿場町に戻ると、行商人が広場の近くに荷台を止めていた。
また別の人だった。朝の食堂にも、街道にもいなかった人だった。
「あなたが便利屋さんですか」
「はい」
「今日も修繕仕事でしたか」
「水路の修繕でした」
「いつもお疲れさまです」
「ありがとうございます」
「実は聞いたんですが、あの街道の巣を処置してくださったのは」
「よくわかりません」
男が驚いた顔をした。
「あなたではないのですか」
「あの場所にいたのは確かです。何をしたかは、本当によくわかりません」
男がじっと俺を見た。
少し顔が変わった。
「そうでしたか。本当に、謙虚な方だ」
「謙虚とかではなく、本当にわかりません」
「そのお言葉が、またそうですね」
男が頭を下げた。荷台を引いて行った。
(どういうことだ)
俺は宿の方へ歩いた。
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宿の入り口で女将さんと会った。
表の掃き掃除をしていた。箒を持った手が止まった。
「あ、帰った」
「終わりました」
「水路、どうだった」
「二か所直しました。午後は大丈夫です」
「そう」
女将さんが箒を再び動かし始めた。
「カナト」
「はい」
「あなた、すごいって話になってるよ」
俺は少し止まった。
「何もしていません」
「街道の話」
「あれも、よくわかりません。何をしたのか」
女将さんが俺を見た。
「それがまたすごいんだよね」
「何がですか」
「何もしていない、よくわからないって言える人が、すごいことをした人に見える」
「いや、本当に」
「わかってる、わかってる」
女将さんが箒を動かしながら言った。
動かし方がやや楽しそうだった。
「でもなあ、あなたが言うと、そう聞こえないんだよ。謙虚な人には謙虚に聞こえないもんで」
「どう聞こえるんですか」
「本物に聞こえる」
俺は返す言葉がなかった。
宿に入った。
廊下を歩いた。
「なんで謙虚ってことになるんだ」
声が出た。誰もいなかった。
「本当にわからないのに」
もう一度出た。
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夕方、食堂に行商人が二人いた。朝の三人とは別の人だった。
俺が入ると少し声が下がった。
席に座った。
スープが出てきた。
「失礼ですが、あなたが便利屋のカナトさんですか」
「はい」
「今日、街道で聞きまして」
「何を聞きましたか」
「謙虚な実力者がいると」
「実力者ではないです」
「その謙虚さが、また」
「謙虚でもないです。よくわかりません、が正しいです」
行商人の一人が隣の人間に視線を向けた。隣の人間が頷いた。
「わかりません、と言える方です」
「そういう方なんですね」
「そういうことです」
何かが成立していた。何かはわからなかった。
スープを飲んだ。熱かった。
「よくわからないんだが」
声が出た。
行商人たちがまた視線を交わした。
俺は気づかなかった。スープを飲み続けた。
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夜、食堂が静かになった。
行商人たちは引き上げていた。ズバンもヴィオもいなかった。
俺は一人でいた。
空になった器の前で座っていた。
「なんで噂になってるんだ」
声が出た。
食堂の隅に人影があった。
ルナが一番奥の席にいた。今日もそこにいた。手帳が開いていた。
今の独り言、聞こえていたかもしれなかった。
ルナは手帳から目を上げなかった。
俺は視線を器に戻した。
(聞こえていてもいなくても、関係ない)
静かだった。
食堂の灯りが風で少し揺れた。
「まあ、よくわからなくても、別にいいか」
声が出た。
ルナが少し手を止めた。
書いた。
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廊下に出た。
宿の木の廊下に足音がした。俺の足音だった。
二階に上がった。
部屋に入った。
窓の外に宿場町の夜が見えた。たき火の光が一か所あった。行商人の荷台の近くだった。
「本当にわからないんだが」
声が出た。
窓が少し開いていた。
風が入ってきた。
廊下に人の気配があった。通行人かもしれなかった。
俺は気づかなかった。
窓を閉めた。横になった。
今日もよくわからなかったな、と思った。
そのまま眠った。
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*商人の証言収集、完了。不特定多数が「謙虚な実力者」と認識。拡散中。*
*本人は否定している。*
*否定するたびに株が上がっている。*
*(どうすれば)*




