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第10話「謙虚な人らしいです(本当によくわかりません)」

本作は全35話予約投稿済みですのでエターなるはありません

食堂に下りると、見知らぬ顔が三人いた。


行商人だった。荷台に布や乾物を積んで街道を行き来する人たちで、宿場町には定期的に立ち寄っていく。今日は荷崩れか何かで泊まりになったのかもしれなかった。テーブルを囲んで、何かを話していた。


俺はいつもの席に座った。


「いやあ、本当に助かった」


「街道が通れなかったら三日は遠回りだからな」


「あそこに巣を作っていたやつが消えたのは、何かあったとしか思えない」


パンが出てきた。食べた。


行商人たちの話が続いていた。


「強い人がいたんだろうな。ああいう場所を片付けるのは普通の冒険者じゃできない」


「誰かとは言えないんだが、あの辺りで何かあったのは確かだ」


「まあ、おかげで助かった」


視線が少し動いた。どこかで聞いた話だと思った。街道の、巣。


(あそこのことか)


街道の巣があった場所だった。造巣型の魔物が作っていたやつ。崩れた。確かにそうだった。


(でも誰がやったか知らないのか)


知らないなら知らないでいい話だった。


女将さんが厨房から顔を出した。


「カナト、今日の依頼は街道側の水路修繕。材料は昨日届いてる」


「わかりました」


「昼には終わらせてほしい。午後に別の用事がある」


「わかりました」


「一人でできるか」


「たぶん」


「たぶん、か」


「一人でできます」


女将さんが引っ込んだ。パンをちぎった。


行商人たちの話がまだ続いていた。


「本当に大したものだ。あの巣、去年から厄介だったんだ」


「しかも消えた翌朝には粘液が固まってた。あれだけ綺麗に固まるのは、普通じゃない」


「固まってたのか」


「ああ、見たか? 石みたいになってた。魔物の仕業じゃなくて、誰かが処置したとしか思えない」


俺はパンを食べ終えた。


(そういえば、固まっていたのか)


よく知らなかった。あの日は帰るので精一杯だった。


立ち上がった。


---


街道沿いに出ると、風があった。


水路修繕の現場は宿場町の外れから少し行ったところだった。街道に並行して走る古い水路の継ぎ目が割れて、水が滲み出ていた。石組みを詰め直す作業だった。道具と材料を一輪車に積んで押していった。


しばらく歩いた。


見えてきた。


道の端に、固まった粘液の塊があった。


大きかった。こないだの巣があった場所だった。昆虫と砂土を合わせたような匂いが残っていた。巣の残骸が、ひとかたまりになって道の脇に寄せられていた。形が変だった。押しつぶされたというより、中から圧縮されたような固まり方だった。


数人の通行人が横を通りながら眺めていた。


「すごいな、これ」


「硬さが尋常じゃない」


男の一人が塊を靴の先でつついた。


「びくともしない。岩みたいだ」


「こんな固め方ができる人間がいるのか」


別の一人が首を振った。


「あるいは、やっぱり何か別の力だろう」


俺は一輪車を止めた。


(あ、これ)


見覚えがあった。形の崩れ方が、俺がいた巣の内側から見た感じと重なった気がした。あの時、なんか外れて、粘液か何かが動いた。


(でも俺がやったのかどうかはわからない)


風が通りすぎた。


通行人たちがまた歩き出した。


俺も一輪車を押した。


水路の修繕場所に着いた。石組みを確認した。割れた継ぎ目が二か所あった。小さい方は詰め石で何とかなりそうだった。大きい方は石を削り直す必要があった。


道具を出した。


「失礼」


後ろから声がした。


振り返った。


行商人だった。食堂で話していた三人のうちの一人ではなかったが、似たような荷台を引いていた。別の行商人だった。


「あなたがこちらに来ると聞きまして」


「水路の修繕に来ました」


「ああ、いえ、そうではなくて」


男がやや遠慮がちに言った。


「あの、街道の巣を片付けてくださったのは、あなたですか」


---


俺は少し止まった。


「いいえ」


「違うのですか」


「よくわかりません」


男が首を傾けた。


「よくわからない、というのは」


「あの日あの場所にいたのは確かです。ただ、何をしたのかよくわかりません」


男がしばらく俺を見た。


それから、目を少し細めた。


「そうですか」


「はい」


「そういうものですか、あれだけのことができると」


「いや、そういうものかどうかもよくわかりません」


男が深く頷いた。何か納得したような顔をした。


「ありがとうございます」


「何のお礼かわかりませんが、どうぞ」


「謙虚な方ですね」


「そういうつもりはありません」


「それがまた謙虚ですね」


男が荷台を引いて行った。


俺は石組みの方に向き直った。


(謙虚? 本当にわからないのだが)


詰め石を持った。水路の割れた継ぎ目に当てた。角度を確認した。


「本当に何をしたのかわからないんだが」


声が出た。


路地側に人が通りかかっていた。


止まった。


俺は気づかなかった。石を削り始めた。


「……わからないほどの」


通りかかった人の足音が少し止まった。また動いた。


---


昼前にズバンが来た。


街道側の道を歩いてきた。手に羊皮紙を持っていた。丸まっていた。報告書か何かだった。


「よう」


「こんにちは」


「水路か」


「水路です」


ズバンが周囲を見回した。固まった粘液塊の方を少し見た。


「お前、あれ、やったのか」


「よくわかりません」


ズバンが俺を見た。


「よくわからない」


「はい」


「あの巣を消したのが」


「あの日そこにいたのは確かです。ただ、何をしたか記憶が断片的で、よくわからないです」


ズバンが口を閉じた。


腕を組んだ。


しばらく固まった粘液塊を見た。


それから俺を見た。


「そうか」


「はい」


「わかった」


「何がわかったんですか」


「……わからんけど、わかった」


ズバンが少し離れた場所に移動した。木の幹に背を当てて、羊皮紙を広げた。ペンを取り出して、何かを書き始めた。


俺は水路に向き直った。


詰め石の位置を調整した。石が水路の継ぎ目にしっかり収まった。


(ズバンは何を書いているんだろう)


まあ、関係ないか。


石を固定した。


---


「こんにちは」


別の声がした。


低くて静かな声だった。


ルナだった。


街道側から来ていた。薄い灰色のローブが風に少し動いていた。手帳を持っていた。


「こんにちは」


「修繕ですか」


「水路の修繕です」


「そうですか」


ルナが粘液塊の方へ歩いた。俺の脇を通り過ぎた。塊の近くで止まった。しゃがんだ。


手帳を開いた。


塊に触れた。


指で表面を押した。動かなかった。ペンで軽く叩いた。鈍い音がした。


「固化の密度が高いですね」


「そうらしいです」


「触れた時の感触はどうでしたか」


「俺の話ですか」


「昨日、ここで何がありましたか」


「よくわかりません」


ルナが俺を見た。


まばたきが少なかった。


「何もわからなかったのですか」


「あの日は動けなくなっていたので、気づいたら巣が崩れていました」


「気づいたら」


「はい」


「そうですか」


ルナがペンを持った。手帳に何かを書いた。


書き終えた。


「ありがとうございます」


「何の情報にもなっていないと思いますが」


「なっています」


ルナが立ち上がった。手帳を閉じた。


「もう少し調べます」


「どうぞ」


ルナが塊の反対側へ回った。


俺は水路に戻った。


大きい方の割れた継ぎ目を確認した。石を削り直す必要があった。工具を持った。


(ルナは何がわかるんだろう)


少し削った。石の感触が手に返ってきた。普通の感触だった。昨日の薪棚のときとは違った。


普通に削れた。


---


昼を過ぎた。


水路修繕は終わった。道具を一輪車に戻した。


帰り道に粘液塊の横を通った。


ルナはまだいた。塊の周囲をゆっくり歩きながら、ときどきメモを取っていた。ズバンはいなかった。いつの間にか消えていた。


宿場町に戻ると、行商人が広場の近くに荷台を止めていた。


また別の人だった。朝の食堂にも、街道にもいなかった人だった。


「あなたが便利屋さんですか」


「はい」


「今日も修繕仕事でしたか」


「水路の修繕でした」


「いつもお疲れさまです」


「ありがとうございます」


「実は聞いたんですが、あの街道の巣を処置してくださったのは」


「よくわかりません」


男が驚いた顔をした。


「あなたではないのですか」


「あの場所にいたのは確かです。何をしたかは、本当によくわかりません」


男がじっと俺を見た。


少し顔が変わった。


「そうでしたか。本当に、謙虚な方だ」


「謙虚とかではなく、本当にわかりません」


「そのお言葉が、またそうですね」


男が頭を下げた。荷台を引いて行った。


(どういうことだ)


俺は宿の方へ歩いた。


---


宿の入り口で女将さんと会った。


表の掃き掃除をしていた。箒を持った手が止まった。


「あ、帰った」


「終わりました」


「水路、どうだった」


「二か所直しました。午後は大丈夫です」


「そう」


女将さんが箒を再び動かし始めた。


「カナト」


「はい」


「あなた、すごいって話になってるよ」


俺は少し止まった。


「何もしていません」


「街道の話」


「あれも、よくわかりません。何をしたのか」


女将さんが俺を見た。


「それがまたすごいんだよね」


「何がですか」


「何もしていない、よくわからないって言える人が、すごいことをした人に見える」


「いや、本当に」


「わかってる、わかってる」


女将さんが箒を動かしながら言った。


動かし方がやや楽しそうだった。


「でもなあ、あなたが言うと、そう聞こえないんだよ。謙虚な人には謙虚に聞こえないもんで」


「どう聞こえるんですか」


「本物に聞こえる」


俺は返す言葉がなかった。


宿に入った。


廊下を歩いた。


「なんで謙虚ってことになるんだ」


声が出た。誰もいなかった。


「本当にわからないのに」


もう一度出た。


---


夕方、食堂に行商人が二人いた。朝の三人とは別の人だった。


俺が入ると少し声が下がった。


席に座った。


スープが出てきた。


「失礼ですが、あなたが便利屋のカナトさんですか」


「はい」


「今日、街道で聞きまして」


「何を聞きましたか」


「謙虚な実力者がいると」


「実力者ではないです」


「その謙虚さが、また」


「謙虚でもないです。よくわかりません、が正しいです」


行商人の一人が隣の人間に視線を向けた。隣の人間が頷いた。


「わかりません、と言える方です」


「そういう方なんですね」


「そういうことです」


何かが成立していた。何かはわからなかった。


スープを飲んだ。熱かった。


「よくわからないんだが」


声が出た。


行商人たちがまた視線を交わした。


俺は気づかなかった。スープを飲み続けた。


---


夜、食堂が静かになった。


行商人たちは引き上げていた。ズバンもヴィオもいなかった。


俺は一人でいた。


空になった器の前で座っていた。


「なんで噂になってるんだ」


声が出た。


食堂の隅に人影があった。


ルナが一番奥の席にいた。今日もそこにいた。手帳が開いていた。


今の独り言、聞こえていたかもしれなかった。


ルナは手帳から目を上げなかった。


俺は視線を器に戻した。


(聞こえていてもいなくても、関係ない)


静かだった。


食堂の灯りが風で少し揺れた。


「まあ、よくわからなくても、別にいいか」


声が出た。


ルナが少し手を止めた。


書いた。


---


廊下に出た。


宿の木の廊下に足音がした。俺の足音だった。


二階に上がった。


部屋に入った。


窓の外に宿場町の夜が見えた。たき火の光が一か所あった。行商人の荷台の近くだった。


「本当にわからないんだが」


声が出た。


窓が少し開いていた。


風が入ってきた。


廊下に人の気配があった。通行人かもしれなかった。


俺は気づかなかった。


窓を閉めた。横になった。


今日もよくわからなかったな、と思った。


そのまま眠った。


---


*商人の証言収集、完了。不特定多数が「謙虚な実力者」と認識。拡散中。*


*本人は否定している。*


*否定するたびに株が上がっている。*


*(どうすれば)*


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