29.裏組織の雇い方
■
駄目駄目。私は今こそ、あのド屑対策をしないといけないの。
何のためにこのくそ忙しい中、自室に閉じこもってこのノートに向かっていると思っている。図書室は危険だって分かったからね。自分の屋敷内で安心できないってどういうことって思うけど、相手は商人でじゃなくて王子様だった。それくらいの強権は発動できるのだろう。
「ふふん。でもね、私は学習できる女のよ」
さすがに令嬢の部屋には押し入ってこれないだろう。
なんて。ラインバルト殿下なんかに気を取られている場合じゃないのよ。
「油断しすぎなのよ、ターシャ」
留学してきたギャレット・フォールは、まるでターシャに近づいてこなかった。
というか、学園へ留学してきた時に、生徒会の一員として挨拶は受けた。けれど、それきりだ。
「地味で孤立している私は落とせそうだからターゲットにしたけど、周囲に人がいつもいる私には用はない、ということよね」
あの時の視線、獲物を狙う目だった。一目惚れの相手に向けるものなんかじゃない。値踏みする視線だった。
隣に立つラインバルト殿下が私の前に出てその視線を遮ってくれたから、獲物にするのを諦めたんでしょうね。面倒臭そうだと判断した。
そうして、あれ以降、私の前にギャレットは現れていない。
多分だけど、今回は他にターゲットになっている女生徒がいる、ということだ。
なんということだ。絶対に私に近づいてくると思ってたから、肘鉄を食らわせてやるイメージトレーニングしか積んでこなかったわ。
あと高笑い。思いっきり振ってやった後に、腰に手をあてて笑ってやるつもりだったのに。
「どうしよう。今からクレアに頼んで調べて貰うのは、無理よね。足が悪いし。侍従長に相談してみようかしら。うーん、でもなんて言って相談すればいいのかしら。『女を騙してお金にしようとしてる悪い奴がいるの』って? それって、どこの正義の味方よ。国へ情報を提供しようにも証拠なんてないし」
懐かしのこれから起きるこの国の噂話ノートを前に、ヴァロー侯爵家の図書室の端っこでひとり作戦会議をする。
けれど解決策なんてまるで思い浮かばない。
「口座のお金使っちゃう? でも、あれは領地をよくするために借りたお金で、悪い奴を成敗するためのお金じゃないのよねぇ」
何故か他領への援助に使って一時期はかなり残高を減らしてしまったけれど、今は返済されつつあるし、デュラム小麦とパスタ事業から入ってくるお金もすっごいことになってきているので、今すぐ出世払いで借りた分を返しても手元にかなりの資金が残る程度には口座にある。
「返済額+αだけ残した余剰金を使っちゃっていいものなのかしら」
けれど、そもそもとしてどうすれば雇えるのかも分からない。
それに厚意で貸して貰ったお金を裏の組織? を雇うために使っていいのかと思うと、やっちゃ駄目な気がする。なんとなく。倫理というか道義的に。
「私のお小遣いの範囲で、裏の組織を雇えるかしら。それだって、なかなかの予算だと思うんだけど」
「裏組織って。何をさせるつもりだい?」
頭の上で突然響いた笑い声に振り仰ぐと、そこにはこの二年ちょっとで見慣れてしまった美しい顔があった。
距離が近すぎてどきどきする。
「殿下?! 何で私の部屋へ勝手に入ってきているんですか?! 淑女の私室へ勝手に入ってくるなんて」
図書室じゃなくって、自室でもおかましなしってどういうことなの?!
半ばパニックになりつつ、慌ててテーブルへ覆いかぶさるようにしてノートを隠した。
けれど、悪い顔をした笑顔の王子様にはまるで効き目はなかった。
「私たちは、婚約者だからね。ヴァロー侯爵だけでなく神様も許してくれるさ」
「はぁ?! 私に婚約者なんて、いません!」
「あはは。相変わらず面白いね、ターシャは。私たちが婚約者でないなら、この侯爵家の邸内で私が一人で歩き回れる訳がないし、令嬢が一人でいる部屋に入ってこれる訳がないだろう? 今も、これまでも」
え、そこは王子様パワーとかそういうのではなかったの? え、本当に??
目を見開いたまま固まってしまった私は、あっさりとノートを取り上げられてしまった。
わーん。私のばかばか。
「返してください。こ、婚約者であろうとなかろうと、淑女の日記を取り上げるなんて。悪趣味だわ!」
正確には日記じゃないけど。日記よりずっと駄目なヤツだ。
あのハリケーンについて記した内容よりずっと、読まれたら駄目なのに。
あのド屑をとっちめるために築いた信頼と地位。それを、こんなところで失う訳にはいかない。
きっと、私以外にも彼奴らの餌食になった令嬢たちは沢山いるはずだ。
どう言い逃れをしようかあわあわしていると、取り上げたノートには目もくれず、王子様のまるで令嬢のように美しいほっそりとした指が私の顔を持ち上げた。
明るい琥珀色のきれいな瞳に、超超超至近距離で顔を覗き込まれる。
綺麗だ。見惚れるなと言われても無理な相談だ。だって、理想のお顔すぎる。つるりとした顔のラインも、形のいい眉も切れ長の瞳も。王子さまの顔面天才すぎでは?!
「そうか。君は、他の誰かのために力を使う時だけ、金の瞳になるのか」
「金の瞳?」
そういえば、何度かその言葉を言われたことがある気がする。どこで聞いたのだろう。
でも私の瞳は王族特有の金~琥珀色の瞳なんかじゃない。輝きも何もない、つまらない薄茶の瞳だ。
そんな私の疑問を余所に、ラインバルト殿下が確信を込めて聞いた。
「ターシャ・ヴァロー。君は、未来から戻ってきてやり直してるんだね」
確かに、バルはメーダ語が読める。
でも私はこれまであのド屑のことはノートに書いたりしてこなかったし、バルもハリケーンのことしか話していなかったから、安心してた。それ以外については何も知らないと思っていたのに。
安心しきっていたところだったから。心臓がぎゅっとなる。
「まだそのノートの中身を読んでもいないのに、どうしてそれを?! ハリケーンのことしか知らないんじゃなかったの? それ以外も読んでいたなら、なんで私に構うの? 娼婦に身をやつした挙句死んでしまった令嬢なんて、気持ち悪いだけでしょっ!?」
ハッとして口を押えたけれど、本当に今更だ。
すさまじい衝撃を受けたせいだろうか。思わず全部口に出してゲロった自分に白目をむく。
「あはは。君、本当に面白いねぇ、ターシャ」
先ほどまでの真剣な瞳から一転、いたずらっ子の顔に戻って、ラインバルト殿下が笑った。
くっ。こういう笑いはよくない。美形の王子様から微笑まれたって、こんなの、まったく嬉しくない。
口角を下げて睨む私に、手が差し出される。
「この先の会話は侯爵邸内では無理だ。王宮に来てもらおうか」
逃げる方法はなさそうだ。私はあきらめて、王子様のエスコートを受け入れた。




