第18話 accursed marksman
開いた扉の向こうは、雨が降っていた。
「後ろを振り返ってはダメよ、カイ」
グラディスは扉の手前に立つと、扉の先に広がる光景をじっと見ている僕を待った。
中々、足を踏み出さない僕にグラディスは言う。
「カイ……あなたが望むなら、この扉は閉じるわ」
「いや……」
僕は、扉の向こうへと歩を踏み出した。
|Forsake all hope《フォーセイク オール ホープ》……こんな場所に希望も救いもある訳などない。
濡れた地の感触が足に伝わる。踏み出せば踏み出す程に、呼び起こされるものがある。
雨音を割って響く剣を交える音は、剥き出しの闘志の耳を裂くような大声にも馴染んでしまう。
泥濘んだ地は、足音を大きく響かせ、崩れゆく体は泥水に埋もれる。
死者の体を生者が踏みつけ、それでも僅かにも息の残った者はその最期の最期までも生者の足を取り、引き摺り落とそうとする。
僕は、ゆっくりと歩を進め、目の前に広がる戦場の中を進んだ。
空を切る剣は、僕には当たらず、ただ通り抜ける。
走る来る兵士も僕を通り抜けて行った。
僕は……ここにいて、ここにはいない。
これはあの時の残像だ。
戦闘が繰り広げられる中を、ただただ進んで行く……ゆっくりとした足取りで。
立ち止まり、深い溜息をつくと空を見上げた。
僕は、雨を掬うように空へと手を伸ばす。
……こんなにも……雨に濡れているのに。
この雨の冷たさも、泥濘んだ地を踏む感触もあるのにな。
肉体から離れた意識が象っているこの存在を、悔まずにはにはいられなくなる。
突然、耳に馴染む事のない音が甲高く響いた。
銃声。
ハッとして音の行方を目で追うが、ドッと鈍くも埋もれた音に意識が向く。
「カイっ……!」
ああ……そうだ。
「おいっ……!! カイ!! しっかりしろっ……!!」
遠くなっていく意識の中で、状況を捉えていたのはラドの声だけだった。
銃弾に倒れた僕を、ラドは助け起こそうとしている。
ダメだ。
ラド……ダメだ。
ダメだ、ラド……!!
僕の事などいい。
僕の事などいいからっ……!!
ああ……これは僕の後悔だ。
立ち上がる事も出来ず、ラドを助ける事も出来なかった。
目を閉じる事なく、見る事が出来ていたなら、ラドをそんな危険に晒す事はなかったかもしれない。
回避出来ていたかもしれない。
僕は、ラドの元へと向かう。
激しく降る雨で掠れる視界。雨を含んだ地を蹴る足は重く、思うように進めない。
ああ……まるで、夢の中を走っているみたいだ。
意識が、意識だけが彷徨う……夢の中のように。
「ラ……ド……!」
声も思うように吐き出せない。
落ち着け。
これは過去の残像だ。
介入など出来る訳もなく、過去を変える事など出来ない。
あの時、意識が遠のいていった僕は、何も見る事が出来なかった。
この後には、あの声が響くんだ。
「ラド! 後ろっ……!!」
ルーファス!!
ラドの剣が敵とぶつかり合う中に響く銃声。
そうだ……一体、何処から……撃ったのは誰だ……!
音が聞こえた方を見るが、そこにはルーファスが立っているだけだった。
だが、それこそがルーファスへの疑念を決定的にしていたんだ。
この戦場にはシオドアのknightly orderとして来た。
何故、戦わない。
何故、加勢しない。
それだけじゃない。
倒れた僕には、見る事が出来なかった。
その時の光景を今、見ている。
ルーファスと共に残った者たちが、ルーファスの背後に次々と並んだ。
ラド一人が戦っている。
ラドは強いからと静観している訳じゃない。
……そういう事かよ、ルーファス。
『キミを狙うのは意味があったと納得出来るだろ? キミが欠けた後のknightly orderがどうなったか……知りたい?』
もう一度、この時の状況を冷静に把握しよう。
僕は目を閉じ、深呼吸すると再び目を開けた。
聞こえた銃声は二回。
その音は、ルーファスのいる方から聞こえた。
だが、ルーファスは銃を手にしていない。
ラドに注意を促すように張り上げた声は、その方向から銃口を向けられていた事ではなかった。
確かに、敵は目前に迫っていた。ラドが剣を交えていた音は、あの時も耳にしている。
そして今、僕が倒れた後の状況がどうであったかをこの目で見たが。
ルーファスが声を張り上げた後、ラドは即座に剣を交え、銃声が響き、剣を交える音のリズムが乱れた。
あの時は痛みと苦しさ、立ち上がる事が出来ない悔しさで一杯で、銃声を耳に捉える事が出来なかった。
槍兵の中にでも混ざった奴かと思っていたが、銃弾は正面からじゃなかった。
銃声はルーファスの更に後ろの森林からで、射撃兵の姿は見えなかった。銃声が聞こえた辺りを考えれば、その距離は約一キロ程……。
マスケットの最大射程距離ではあるが、それは有効射程ではない。
それで重傷を負わせる程、命中するか……? そもそも、命中するか?
命中率と威力が期待出来るのは、五十メートル程度。精々、百メートルが限界のはずだ。
それも、こんな激しく降る雨で、視界さえはっきりしないのに。そんな距離から僕やラドだけを狙えるのか?
だが……銃弾は確実に命中している。
僕の上に被さるように倒れたラドを敵兵が引き摺っていく。
雨音を掻き消す笑い声は、ルーファスたちだった。
敵兵がラドを連れ去ると、ルーファスたちもその場を後にしていく。
僕はその場に置き去りのままだ。ルーファスにしてみれば、僕を確実に殺せたと思ったのだろう。まあ……確かに死んだのだが。
多少の息はあったとしても、こんな雨の降る中で放置すればいずれ死ぬだろうし、森から狼などの野獣が現れ、食い殺される事だろう。
この後、僕はアンダーワールドへ堕ちていった……。
僕は、地に倒れたまま雨に打たれ、動く事もない自分の姿をじっと見つめた。
「グラディス・ファーリー……お前は……僕に何をさせたい?」
「何って……?」
笑みを含んだ声で問い返すグラディスは、僕の背にそっと寄り添った。
僕は、グラディスを振り向く事なく、目の前に広がる光景を見つめながら言う。
「振り向くなと言ったくらいだ、過去をやり直す事が目的じゃないだろう。まあ……やり直せるとも、やり直したいとも思っていないが。僕が見る事が出来なかったものを僕が見る事で、お前に何の利がある?」
「そうね……あなたの力になれる事かしら」
「馬鹿を言うな。お前が力になるのは、ルーファスとクリスティアンだろ」
「あら……? 嫉妬してるの?」
「話にならないな」
僕は、グラディスから離れる。
「知りたくはないの? 当たるはずのない銃弾が当たる理由……」
グラディスは僕の前へと、くるりと踊るように回り、抱きつくように両腕を僕の首に絡めた。
レミュが苦しそうに小さく鳴く。
「離れろ、グラディス・ファーリー」
「知らなくてもいいって事……?」
「聞く必要はないって事だ」
「このままだと、クリスティアンに辿り着いても勝てないわよ?」
僕は、グラディスの腕を解き、倒れたままの自分の姿へと歩を進めた。
歩を進めていく途中で、何かを踏んだ感覚を拾い上げる。
僕を貫いた銃弾だ。
銃弾についた泥が雨に流され、刻まれている文字が一部だけだが読み取れた。
……ルーン文字。
『ᛇ』……Eihwaz。
「カイ……!」
思いに応える事を急くようなグラディスの呼び声に、僕は手にした銃弾をグッと握った。
……成程。
必ず命中する銃弾。
魔弾……だ。




