第2話 location of corpse
「『ナイト』の条件……?」
彼女の言葉に僕は眉を顰める。
一体、何の話だ。
彼女は全てを知っているのだろう、だが僕は言葉としては何も浮かんでこない。
だが、ただなんとなく感覚としては理解出来ていた。遠くにあって近くにある、近くにあって遠くにある……そんな妙な感覚ではあるが。
それは生きていた時に感じていた事だったからなのか、その身に受けてきたものが感覚だけを残したのか……。
思い出すべきものが、まだ浮かんでこない。掴めるようでいて掴めない、そんなもどかしい感覚だ。
それでも落ち着いていられるのは、ここにあるものが何か……僕と結びつくようなものがあるような気がしていたからだ。
「ええ、ナイトの条件よ。私の前にいるあなたは、その条件が揃っているという事ね」
笑みを浮かべながら言う彼女に、僕は無表情で答える。
「じゃあ訊くが、条件が揃っているという僕は、殺されるべくして殺されたって事か?」
「それは私にも分からないわ。ただ言える事は、あなたにはナイトの条件を満たす事で、オーバーワールドに戻る事が出来るのよ」
オーバーワールドに戻れる?
僕は死んでいるんだろ。条件を満たすって……一体、どんな話だよ……。
「はは。死んだ人間が生き返るって? 今、僕の体がどうなっているのかも分からないのに、それは奇跡だな」
ふざけた話だと笑い飛ばす僕に、彼女の目線が冷たく向いた。
「死んだ人間が生き返る事を奇跡と呼ばないで。私からしてみれば当然の事よ」
真顔でそう言った彼女に、僕も真顔になった。
僕に向ける彼女の真剣な目に、嘘を言っている訳じゃないと……そう感じた。
だが、こんな話をどう信じろというんだ。
確かに不可思議な現象を目にしているが……。
目線を重ね合ったまま、言葉の間が置かれた。
沈黙のまま、彼女が席を立つ。気を悪くしたのかと思ったが、彼女がどう思おうと、正直、僕にはどうでもいい事だ。
死んでいるという事実を受け止めている僕には、生き返りたいという執着はなかった。どうやったらそんな事が可能なのか、想像も出来ない。
死ぬ間際の苦痛が大きかった所為なのか、諦めたからでもあるのか。
死というものの先があるとは到底思えない。
彼女が言った事が事実だとしても、それが確実であるという保証はない。
そもそも、彼女が何者なのかも分かっていないのだから、信じろというのは無理がある。
僕の脇を通り過ぎると同時に、彼女は言う。
「ついて来て」
ちらりと向けられた、怒ったような冷たい目線に溜息をつき、僕は席を立つ。
ダイニングルームを出て、歩いて来た廊下へと戻る。
重厚感のある幾つもの木製の扉。扉の造りはそれぞれ違う。なんの部屋であるかを識別する為か……扉に掘られている複雑な模様の中にアルファベットのような形も見えた。
彼女が一つの部屋の扉へと手を掛けた。
そして僕を振り向くと、ゆっくりと扉を押し開ける。
中へと入る彼女の後をついて、僕も中に入った。
この一部屋だけでも十分に生活が出来そうな広々とした部屋だ。
部屋の奥には天蓋付きの大きなベッドが置かれていて、そこに寝ている人の姿が見えた。
あの人の部屋って訳か。
ここに僕を連れて来たって事は、僕を信用させる為にも重要な人物ってところだろうか。
もっと深い話でも聞かせてくれるとでもいうのか。
彼女は黙ったまま、ベッドで寝ている人物へと近づいていくが。
起こす気なのか?
僕は、少し呆れながら溜息をつく。
「なあ……眠っているんだろ、何も起こさなくても……」
「もっと近くに来て、見て」
僕の言葉を遮って、彼女は強い口調で言った。
「あ? 人の寝てるとこなんか見たって……」
ブツブツと不満を呟きながらもベッドを覗き込む。
……っ!!!
僕は、ベッドに身を乗り出した。
「なんだよ……これ……」
声が震える。
「これで分かったでしょう?」
「なんだよっ……! これっ……!!」
……ベッドに寝ているのは……いや。寝かされているのは。
僕だ。
僕は、自分を見つめたまま、彼女に訊く。
「ナイトの条件って……どういった意味のナイトを言っているんだ? 僕が殺されたって事もその条件に含まれているんだろう? そうじゃなければ、ここに僕の体がある訳がない」
「それは……」
「いや……ちょっと待ってくれ……今、それを聞いても僕は、あんたに応えられそうにない」
一気に現状が押し寄せてくる事に、頭が混乱してくる。
気づいている事もあるが、分からない事が多過ぎる。
僕は、ベッドに寝かされている自分の体を確認するようにもじっと見つめた。
眠っているようにも見えるが、両手を胸の辺りで組んだままの姿勢の、血の気のない硬直した体。
呼吸音など聞こえはしない。
やっぱり……僕は死んでいるのか。
改めてそう感じる僕は、脱力感に襲われていた。
この邸宅に迷い込んだのも、僕の体がここにあったからなのか……?
僕は無意識にも入って来た扉を振り向いた。
重厚な造りの扉には複雑な模様が彫られていた……その模様の中にアルファベットのように見える模様……。
僕は、その場に崩れるように膝をつく。
苦笑するしかなかった。
「は……はは……この部屋……まるで柩だな……」
そう呟きながらベッドを背もたれにし、彼女を見上げて問う。
「同じような部屋が幾つかあったな……その部屋もここと同じなのか?」
「ええ、そうね」
「全部で何人いるんだ?」
「あなたを含めて七人よ……」
「僕のように、ここに来た者は他にいるのか?」
続け様に問う僕に、彼女は困ったような顔を見せてはいたが、素直に答える。
「まだ……あなただけよ」
問いはしたが、ぼんやりと彼女の答えを聞いていた。
「……そうか」
僕は溜息混じりに答えながら、ゆっくりと立ち上がると部屋を出た。
足枷でも嵌められているかのように、進める足は重い。
部屋を出た僕を彼女は追っては来なかった。
僕はゆっくりとした足取りで、他の部屋の扉に触れながらエントランスへと向かった。
……確かに……七つ、部屋があった。
邸宅を出た瞬間、邸宅は廃墟と変わり、噴水の水も枯れていた。
……夢でも見ていたみたいだ。
再び、あの扉を開ければ、さっきのような光景が広がるのだろうか。
邸宅を振り向いたが、戻る気にはなれない。
あの中に……僕の体がある事を知っても。
僕は誰に殺されたのか、何故、殺されなければならなかったのか。
確かに理由は知りたいとは思っている。
だけど……。
僕は、混乱する頭を両手で抱えた。
……なんでかな。
ふうっと長い息をつき、月も星も見えない夜空を見上げた。
なんでかな……。
殺されたと知っても。
憎しみが湧かないんだ。
ただ……胸を締め付けるような思いが、この意識に傷をつけて。
涙なんか出るはずがないと思っているのに。
なんでかな。
感覚がそれを伝えてくる。
死を受け止めたら、その先に見るものなんかあるはずがないと。
僕は……生きるという意味を見失っていた。




