第3話 silent - k
邸宅を出て、暗い森の中を彷徨っていた。
あの扉を開ける前と同じだ。
何を探している訳でもなく、何処に向かうとも知れず……ただただ歩を進める。
このまま歩き続ければ、また何か気づけそうなものでもあるのだろうか。
そう思いながらも、本気で探そうなどと思えていない。
歩き続ける中、白い靄のようなものがスウッと通り過ぎていく。
それは時に、戯れるようにも僕の周りをふわりと回った。
足を止めて辺りを見渡せば、ふわりふわりと踊るようにも靄が舞っている。
死者の世界、アンダーワールド……か。確かに、現実世界……オーバーワールドではあり得ないものを見ている。
靄が僕の周りを行ったり来たりする。
この靄が死者の魂だとでもいうのなら、肉体はなくとも姿を持った僕はなんなのだろう。
生きている時となんら変わりなく、見る事も聞く事も、感情だってある。
こうやって歩く事も出来ているのに……な。
大きな溜息をつく僕に、纏わりつくようにも靄がくるりと回った。
まるで僕に何か話し掛けているみたいだ。
ふと、彼女の言葉が脳裏を過ぎる。
『死んだ人間が生き返る事を奇跡と呼ばないで』
強い目を向けて言った彼女の言葉が、靄の中に見えるようだ。
その言葉を信じろというように。
「もう……なにがなんだか……」
深い溜息をつくとその場に座り、木に背をもたれた。
踊るように舞う白い靄を他人事のように遠目にも眺める。
今、こうして姿があっても、そのうち僕もあんなふうに姿を無くすのだろうか。
ただゆらりゆらりと漂って……いずれ消えていく……。
そう思うのも何処か他人事だ。
一つの塊を持った靄が戯れるように僕の前でゆらりと揺れる。
僕は、その靄の動きを見つめた。
(戻らないの?)
「え……」
女の子供のような声が聞こえた事に少し驚く僕は、靄を更にじっと見つめた。
(戻らないの?)
同じ言葉が繰り返された事に、空耳ではなかった事を確信する。
「戻るって……何処にだよ……あの邸宅にか?」
姿なきものに言葉を返すのは独り言のようだが、何をするにも能わずこの場に留まった僕には退屈凌ぎにもなるだろう。
(そっちもだけど、オーバーワールドにもよ)
またその言葉か……。
呆れたようにハッと息を漏らし、その声に言葉を返す。
「戻るったって……自分がどう生きていたかも覚えていないんだ。それって、生きるという事に執着なんかなかったって事だろ」
(そんなのずるい)
「ずるい? なんでだよ……僕が自分に思う事だ、キミには関係ないだろ」
(わたしは戻りたくても戻れない。あなたは戻れるのに戻らない。ずるいわ)
「あっ、そう。だったらキミにあげるよ。僕が戻れるっていう、その揃っている条件。まあ……僕はそれがなんなのか分からないけどね」
(それは無理なの。わたしにはその条件が当て嵌まらないもの……)
悲しげにも流れたその声に、自分もだと次々に、多くの声が僕に降り掛かる。
いつの間にか僕は、靄に埋もれていた。
「ちょっと……! ちょっと待てよっ……!!」
靄を大きく腕で振り払うと、彼らが距離を取る。
そう……彼ら……。
姿なきこの靄の数々は、死者たちの集まりだ。
「だからって僕がオーバーワールドに戻って何になるという? 戻ったら戻ったで、お前たちにとって僕が恨みの対象になるだけだろ……それは条件が揃えられている今の僕にしたって同じ対象なんじゃないのか。だったら恨んで取り殺せばいいだろ。それでお前たちの念が晴れるならな」
挑発するようにもそう言葉を発した後、靄の動きが止まり、しんと静まり返った。
死者たちの中で、同意でも出来たのだろう。
二度目の死とは、こういう事かと妙に納得してしまう。
これで僕も靄になって、消えていくのだろう……。
だけど……。
もう……どうでもいい。
肉体から離れたこの姿に、痛みなど感じはしないだろう。
残ったものが感情だけであるならば、苦しみは感じるかもしれないが。
それでもこの先に向かう希望などないのだから、そのまま消えてしまっても構わないと無気力になる。
こんな状態で何が出来るっていうんだ……。
(あなた……気づいてないんだね)
「だから……言っただろ……僕は何も覚えていないし、オーバーワールドに戻れるという条件も知らないって」
(知ってるはずだよ)
「知らないって言ってるだろ。取り殺さないならもうどっか行けよ……あれこれ言われるのはもうたくさんだ。一人にしてくれ」
頭を垂れながらも離れてくれと、払うように手を動かすが、悲しげに流れた声に顔を上げた。
(行けないの。わたしたちはこの場所から何処にも行けない。ただ暗い闇夜を彷徨うだけ)
「なんでだよ?」
(元々、持っていないから。だからここに留まるしかないの。あの家にも入れない)
「持っていないって、何をだよ? それを言うなら僕だって同じだ。ほら、見てみろ」
僕は両手を広げ、それをアピールする。
「な? 何も持っていないだろ?」
(違うの。あなたには、見えないけど持っているものがあるのよ)
「知るか。見えないなら持っていないのと同じだろ」
(わたしたちにはそれが見える。だからあなたの元に集まった)
「当人が何も分からないんじゃ、どうにもならないだろ。期待するなよ」
(じゃあ……手助けしてあげる)
「手助け?」
その靄は、怪訝に眉を顰める僕の肩にふわりと乗った。
……暖かいな……。
ほんのりとも伝わる熱に、意固地にもなっていた気持ちがなんだか和らいでいく。
肩越しに白い靄を見ると、靄はうっすらと赤い色を帯びていた。
「キミは……一体……」
(ケット・シーと呼んでくださって構いません)
急に言葉使いと口調が大人っぽくも変わった。
まるで、僕に触れる事で成長でもしたかのようだ。
いや……本来の姿を取り戻していっているのか……そんなふうに感じた。
「ケット・シー……」
呟くようにその呼び名を口にする。
(はい。サー)
「サー?」
(あなたは持っています)
彼女の言葉を聞きながら、僕はゆっくりと立ち上がった。
空っぽになっていたものが、少しずつ埋められていくみたいだ。
辺りに揺らめく白い靄たちが、僕を誘うかのように先へと進み始め、僕の足が歩を踏み出す。
一歩、一歩と進むごとに、足枷でも嵌められていたような重かった足が軽くなっていく。
オーバーワールドに戻れる条件……それは……。
ここに光はない。それでも光が見えるようだった。彼女の声を聞きながら足を進める僕は、その光へと導かれているみたいだ。
(あなたは夜に彷徨うだけのナイトではないのです……持っているのは『黙字』)
「黙字……」
その言葉を僕は直ぐに理解する。
ああ……そうだ。
それが僕の生きてきた世界だ。
ケット・シーがはっきりとその言葉を口にした時、前へと踏み出す足は力強く地を踏んだ。
(『silent - k』……『knight』の称号です)
そうだ僕は……。
『knight』だ。




