15話:不況の時こそ株を買えでソニー株を買う
この見通しがきっかけで株価が急落した。1992年8月、東証に上場されていた株式の時価総額は1989年末の611兆円から269兆円と半分以下となった。バブル崩壊を兆しを知った、関根先輩から電話が入り、バブル崩壊になれば、株を買うチャンスだと言われた。こういう時は、技術力のある先進メーカーが良いと言われ、具体的にはソニーだと教えてくれた。
ただ、今回は、下げ止まって、上げはじめを買えば良いと言われた。そして、1992年11月17日、早朝、関根先輩の電話で、ソニー株を成り行き買いと言われた。直ぐに、3730円で1万株、成り行き買いを入れた。そして、北川天一の資産は、ほとんどなくなった。しかし、チャンスの時に買う方が、良いと関根先輩から言われていたので、自分を信じて、買いを入れた。
そして、12月のボーナスを入れて、資産が約100万円となった。その後、ソニー株は、徐々に上昇してきた。関根先輩も1万株買ったと、後日、知らされた。その後、とにかく急上昇するまで、持ち続けろと関根先輩に、アドバイスされた。この頃には、長男の北川初男は、歩き出して、散歩に行くと、途中で転んで、泣いたり、落ちている、どんぐりを拾ったりしていた。
その後、1993年となった。しかし、ソニー株の上昇は、依然として続いていたが、上昇の勢いは、あまりなかった。その頃、北川天一の奥さんは、橫浜信用金庫に通勤して、仕事を子供で、大忙しだった。しかし、母の北川米子は、一緒に住みたいとは、言わなかった。孫の北川初男の顔を見に来るのを楽しみに、週に何回も、おかずを買ってきては、一緒に夕食を食べたりした。
その後、1993年も橫浜信用金庫と子供の面倒を見る生活で、忙しくしていると、春になり、桜が咲き、梅雨に入り、暑い夏、そして、秋から冬、12月も年末になった頃、北川初男が、風邪を引いて、熱を出して、真っ赤な顔となり、小児科へ行くと、風邪でしょうと言われた。その後、心配した、祖母の北川米子が、孫の初男を見るからと言い、商店を数日休んで看病してくれた。
そのお陰で、1週間足らずで、初男の熱が下がり、元気になった。やがて1994年となり、母の北川米子も60歳となり、商店の手伝いの仕事を辞めると言った。そして、孫の初男が保育園に入るまで、見てやると言ってくれた。その話を聞いて、北川天一、清実さんは、お礼を言って、ボーナスの時に、お小遣いとして、1割を渡すことにした。
1994年3月に、また、北川清実さんが、登庁が悪いと言い、産婦人科に行くと、妊娠とわかり、出産予定日が1994年9月10日と言われた。そして、8月のお盆休みから産休を取り、母の米子さんが、北川清実さんと長男、初男の面倒を見てくれるようになった。しかし、天一が帰って来ると、夕食を食べて、また来るよと言って、自分の家に帰っていった。




