14話:北川天一の結婚
その頃、横浜信用金庫で、仲良くなった、20歳の佐藤清実さんとデートを重ねて、楽しい時間を過ごしていた。佐藤清実さんは、両親が、交通事故で亡くなり、10歳の頃から、叔母の家で育ち、早く、家を出たいと願っていた。そのため、1990年9月16日、日曜日、橫浜の小さな結婚式場で身内と会社の友達の合計14人で、質素な結婚式を挙げ、新婚旅行は、伊東と熱海温泉に2泊3日で出かけた。
そして北川天一は、母の住む、橫浜市営団地の近くに住もうと考えていて、橫浜市に申請を出した。その後、秋を待ち、10月、2DKのマンション作りの市営住宅に入った。そこは、母の住む2DKの住宅の2つ先の棟で、徒歩5分と、近い場所にあった。北川天一の母の北川米子は、何回か、佐藤清実と会って、彼女の生い立ちを聞いて、気に入ってくれ、頻繁に行き来して生活を続けた。
1990年11月5日、天一の奥さんの清実さんが体調が悪いと言い、近くの産婦人科に行くと、妊娠とわかり、出産予定日が1991年5月8日と言われた。その後も清実さんは、仕事を続けてた。やがて、1991年があけた。すると、天一と清実さんと、母の米子さんで、近くの神社に初詣でに行き、元気な赤ちゃんの誕生と株投資の成功を祈願して来た。
1991年も冬が終わり、桜が咲く頃には、北川清実さんのお腹が大きくなり、橫浜信用金庫に通っていたが、1991年4月29日に出産休暇に入った。その後、母の米子さんが、北川天一の家に来て、掃除、炊事、洗濯をやってくれた。そして、5月7日に近くの産婦人科病院に行き、翌朝、元気な男の子を出産し、北川初男と名付けた。そして、彼は、エクボのある可愛い子だった。
孫の誕生に、母の北川米子さんも、大喜びしてくれ、早速赤飯を炊いて、祝ってくれた。そして、母が、近くの商店で仕事をしていたので、時間を見つて、ちょくちょく、清実さんと子供の顔を見に来ていた。北川天一も、定時に帰ってきて、炊事、洗濯、掃除をしていた。やがて、梅雨となり、空けると、厳しい夏の到来となった。部屋の冷房を効かせて、奥さんと乳飲み子に良い環境をと気を使っていた。
9月になると、残暑が残るものの少しずつ涼しくなり、夕方、乳母車に乗せて、天一と母と奥さんの3人で、橫浜市営団地の近くの公園を散歩した。たまに、通りの喫茶店で、お茶を飲んで、ケーキを食べたが、奥さんの清実さんは、ケーキ2つをたいらげた。そして、なんで、こんなに、お腹が空くのかしらと笑って言うと、母が、天一を産んだときも乳をやるから、直ぐお腹が空いて困ったと言った。
そして1991年、年末になっても世の中では、不景気風が吹いて、土地の値段が急落して、バブル長者が一転して、借金に苦しんで、金策に走り回るようになっていた。やがて1992年があけた。1992年の春、著名なエコノミストのTK氏は「日経公社債情報」で「このままでは戦後最大の不況となる」と悲観的な経済見通しを公表した。




