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谷戸物語  作者: 播磨王65
13/88

13話:日本製品の海外生産と株の儲け

 1987年2月22日にパリのルーブル宮殿で開催された先進7カ国財務大臣・中央銀行総裁会議G7で1985年9月に決められたプラザ合意によって始まったドル安に歯止めをかけるための合意だった。しかし、各国の協調が十分ではなかったため、ドルの下落を止めることはできなかった。ちなみにG7とは、G5にイタリアとカナダの2ケ国が加わりG7となった。

 

1987年は、金利は低く、土地バブルがおき始めた。こんな時は、商社株が面白と、関根先輩が北川天一に連絡してきた。北川が具体的にはと、聞くと、三菱商事、三井物産、住友商事、株価チャートを見ると三井物産が、最も面白いかも知れないと話してくれた。それを聞いた時点で、北川は、100万円を持っていて、母に、いくらかしてもらえるかと聞くと500万円まで言われ、貸してもらった。


 そして、1987年1月に520円で三井物産株を1万株を買い、残金が80万円となった。そこで、その年の夏のボーナスをを足して100万円を母に返した。1987年4月、関根先輩が、上昇した日本電気株、26000円で全株を売った。株数は、3回の分割で1200株になり税引き後利益が2750万円となった。1987年11月、三井物産を530円で4万株、2120万円で購入したと連絡が入った。


 やがて1988年になると、関根先輩の言う通り、日本電気株が徐々に上昇し、だんだんと上げ足を早めていった。その後、翌1988年10月には、北川天一が、1974年11月に購入した富士通株が上昇し19000円で全株売った。富士通株は、6回の分割をし700株が1130株に増えていたので税引き後利益が1900万円となった。


 これで、母に借りた金を替えそうとした時、母が、もっと資産を増やして、返してくれれば良いと言ってくれた。そして、1989年となり、三井物産株は、今年も上昇を続けた。そこで、関根先輩に、休日面会して、三井物産の売値を教えて欲しいと聞くと、下げ初めだろうと言われ、注意深く、株価を見ていろと言われた。


 そして1990年1月4日、大発会の朝、関根さんから電話で、成行売りの指示が出た。言う通り、三井物産株を成り行きで全株を売ると1410円で売れて、税引き後利益1300万円となった。そして資産合計が3200万円となった。1990年3月に大蔵省銀行局長、土田正顕から通達された、いわゆる「総量規制」となり、不動産への融資ができなった。


 さらに、日本銀行総裁三重野康による金融引き締めは急激なものとなり、信用収縮が一気に進んだ。景気についても、景気動向指数をみると、1990年10月をピークに低下傾向となた。地価は、1991年夏頃「東京、大阪の大都市圏では1990年秋頃から、地方圏では1992年、公示価格では、さらに1年遅れの1993年頃、路線価も1992年、初頭をピークに下落していった。

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