炎樹の実家
希愛中学入学前、幸磨は父親と共に炎樹の実家を一度訪ねている。そこで月冴と出会い、現在の
家で生活し始めたのがまるで昨日のことのようだと幸磨は思っていた。
衝突事故を逃れたその後は、特になんのアクシデントもなく、三人を乗せた車は○▲山の奥深く
へと進んでいった。道は綺麗に整備されているが、対向車はない。他の車は全く通っておらず、そ
れどころか人っ子一人の姿さえ見られない。そんな道を進むこと数分にして広い場所へと出ると、
大きな武家屋敷が姿を現した。
幸磨・月冴・炎樹の三人は車から降りると、武家屋敷の方へまっすぐ進んでいく。運転手は三人
が降りたことを確認するとすぐに車を発進。どこかへと消えて行った。
運転手がどこへ行ったのかなど気にも留めず、三人は屋敷の中へ。ここは炎樹の家であり、月冴
が育った家でもある。普通家へ帰って来たら『ただいま』と言って家の人を呼ぶが、二人はただいま
どころか黙って入る。驚かすつもりなのだろうかと敢えて何も言わなかった幸磨だったが、途中から
不安になって…。
「ねっ、ねぇ…誰か呼ばなくていいの?」
二人の背中に向けて幸磨が尋ねる。
その質問に対して答えたのは、月冴だった。
「ん~いいんじゃない?むしろ、言わなくても分かるでしょ」
淡々とした発言に幸磨の口は開けっ放しで塞げなかった。それではまるで自分が常識外れなこと
を言ったみたいだと捉えられ、幸磨の思考が一時停止する。だが、それも数秒後に解かれる。
「炎樹、月冴」と長い廊下の奥から一人の男性が二人の名前を呼び、こちらへと歩み寄る。
外見は30代ぐらい。彼らを呼び捨てにしていることから知り合いのようである。
「犬熊さん」
炎樹が男性の名前を呼ぶと月冴が少し間を置いて「ただいま戻りました」と頭を下げる。
「二人共、元気そうで何より。ん?…後ろにいるのは…」
犬熊が二人の後ろに隠れている幸磨に気づいた。
「どっ、どうも……おっ、お邪魔してます」
幸磨が犬熊の前にびくびくしながらも、彼に自己紹介をした。すると…。
「そうか…いや、こちらこそすまない。俺はあの時、別の仕事で屋敷にはいなかったんだ。
話には聞いていたが……そうか。お前が幸磨か。そっかそっか」
犬熊は意味の分からない謝罪をした後、笑いながら幸磨の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
それはまるで親戚のおじさんのように。
「犬熊さん。父は部屋にいますか?」
「あぁ、いるぞ。けど、今は…」
犬熊が炎樹の問いに答えようとした時、突如奥から女性の叫び声が彼らの耳に届く。先程の
雰囲気と違い、幸磨以外の三人は険しい表情となった。急いで声が聞こえてきた部屋へ駆けつ
けると、中から炎樹達と同い年ぐらいの少女が出てきた。
「炎兄様…?」
少女は炎樹の姿を見つけて、彼をそう呼んだ。それに対し、幸磨は違和感を覚えたが、他の
三人は全く動じていない。それが当たり前だった。
「炎兄様!」
彼女は涙を流してそのまま炎樹の腕にしがみ付いた。状況が全く読み込めずにいると、一人
の男性が炎樹達の前へ現れる。この男性が炎樹の父、鬼丸武志である。
「父上。彩萌に何をしたんですか!?」
「俺は何もしていない。ただ…彩萌に結婚の話をしただけだ」
この言葉を聞いて、炎樹だけじゃなく月冴達三人も驚いた。どう見ても彼女は未成年の少女。
結婚なんてまだまだ先でも問題はないはずなのに、武志は本人の意思に関係なく無理やり結婚の
話を進めていたようで、それを聞いた彼女に『ひどい』と言った言葉を言われ、泣かれてしまっ
たらしい。だが、武志は彼女の姉・有紗が16歳で結婚したのだから、その妹が少
し早めに結婚しても問題はないと考えている。
「炎樹。お前、結婚相手は自分で見つけるつもりでいるらしいが、時間はお前を待
ってはくれない。最後の時が来る前にお前には……幸せになってもらいたい」
「それはあんたと家の都合だろっ!?勝手にそんなこと決めんなよっ!」
「炎樹!落ち着けっ!」
「離せっ!…離せっ!」
炎樹が興奮して武志に襲いかかろうとしたところを月冴と犬熊が身体を張って彼を止める。
幸磨と彩萌は何もできず、ただ三人を見守ることしか出来なかった。
そんな光景を見て武志は何を思ったのか、ふと小さな笑みを浮かべてその場を去って行ったの
だった。




