第1話 ヴェストバート寄宿学校
窓枠に肘を預け、少年は流れていく外の景色をぼんやりと眺めていた。
列車は一定の間隔で車体を揺らしながら、北へ向かって線路を走っている。
窓の向こうには、収穫を終えた広大な麦畑と、ゆるやかに起伏する丘陵がどこまでも広がっていた。
客車の中は閑散としており、乗客の姿もまばらだ。
少年の向かい側の座席には、厚手の外套を着込んだ労働者風の男が座っている。男は膝の上に使い古した革鞄を置き、退屈そうに車内を見回していたが、やがて少年の身なりを値踏みするように眺め、人懐こい調子で話しかけてきた。
「お前さん、その制服……あのヴェストバート寄宿学校の生徒かい」
少年は身にまとったばかりの制服に視線を落とした。
深い紺色の上着はまだ生地が硬く、肩のあたりにわずかな窮屈さを覚える。
唐突な問いかけに対し、少年は外に向けていた体をわずかに起こし、男に向き直った。見知らぬ相手ではあるが、邪意のある視線ではない。少年は礼儀正しく笑みを浮かべた。
「ええ、本日付けで通うことになりまして」
「おお!そりゃあめでたいな!あそこは人間種も吸血種も優秀なやつしか入れないって噂だろ」
男は感嘆の声をあげ、座席の背もたれに体を預けた。
ヴェストバート寄宿学校。
その名は、このあたりの地方都市や寒村に至るまで広く知れ渡っている。
人間種と吸血種という、異なるふたつの種族が共に机を並べる数少ない名門校であり、そこに集う生徒たちは家柄か才能のどちらかにおいて抜きん出ているとされていた。
平民出の乗客から見れば、その制服を着ているだけで特別な存在に見えるのも無理はない。
「自分は運が良かっただけですよ」
「そう謙遜すんな!ああ、でも近頃人間種の退学者も増えてるんだろ?世間じゃ吸血種の純血主義者がまた騒いでるって新聞にも載ってたし、気をつけろよ」
男は少し身を乗り出し、声を低くして言った。
少年もその記事には覚えがあった。先週の朝刊には、純血主義を掲げる吸血種の一派が各地で人間種との共存に反対する運動を起こしていると載っていた。
ヴェストバートでも人間種の退学が続いている——そんなことまで新聞に出回っているらしい。
「その記事、私も見ました。物騒ですよね」
少年は短く相槌を打った。
相手の懸念に同意を示しつつも、それ以上深く踏み込まないように。
男は少年の落ち着いた態度に興味を持ったのか、改めてその顔を眺めた。やがて何かに気づいたように首を傾げる。
「そういえばお前さん人間種——」
男が口を開いた瞬間、甲高い汽笛が鳴り響いた。
蒸気が吐き出される轟音が客車の隅々まで満ち、男の問いかけは音の壁に遮られてかき消された。
車体が前後に大きくきしみ、車輪が摩擦音を立てながら減速を始める。
列車の速度が急速に落ち、窓の外には煉瓦造りの低いプラットホームが見えてきた。
男は言いかけた言葉を諦めたように頭を掻き、苦笑いを浮かべながら立ち上がる。
「ついたみたいだな。こんなジジイの話につき合わせて悪かったな」
「とんでもない」
少年もまた立ち上がり、座席の上の棚から手荷物の鞄を降ろした。
「学校、たのしめよ」
男はそう言い残すと、網棚の荷物を手際よく抱えて出口へと歩いていった。少年はその後ろ姿へ軽く一礼し、男が見えなくなったのを確認してから、自分も客車を後にした。
◇
列車を降りると、冷え込んだ空気が肌を刺した。
吐く息がうっすらと白く染まる。
駅の改札を抜けて外へ出ると、駅前広場には数台の馬車が停まっていた。
そのうちの一台の御者が、少年の制服を見るなり軽く手を挙げる。少年が近づいて入学許可証を提示すると、御者は無言で頷き、少年の鞄を受け取って荷台へ積み込んだ。
馬車の座席に腰を下ろすと、扉が閉められ、すぐに発車の合図が響いた。
馬車は街中を通り過ぎる。
石畳の上を車輪が規則正しい音を立てて転がっていく。車窓から見える街並みは、古びた石造りの建物が整然と並び、落ち着いた静けさを醸し出していた。
通りを行き交う人々の中には、外套のフードを深く被った吸血種の姿もあれば、荷車を押して忙しなく歩く人間種の職人もいる。
街を抜けると、馬車はゆるやかな上り坂に入った。
建物は途絶え、道の両脇には深い針葉樹の森が広がり始める。木々の間から差し込む光は細く、湿った土と下草の匂いが車内まで漂ってきた。
坂を登るにつれて人家の気配は完全に消え去り、馬の蹄の音だけが静かな山道に響き続ける。
やがて森が開け、小高い丘の頂に巨大な影が現れた。
王国北部の片田舎に佇む寄宿学校――ヴェストバート寄宿学校。
灰色の石で築かれた校舎は、長い歳月を経た重厚さをたたえ、威圧感を放ちながらそびえ立っていた。
鋭い尖塔が空を突き刺し、高い鉄柵が敷地全体を厳重に取り囲んでいる。
馬車は重い鉄の正門をくぐり、砂利の敷かれた前庭を進んで、本館の正面玄関の前で止まった。
少年は馬車を降り、鞄を受け取って石造りの大階段を見上げた。
冷たい風が吹き抜け、上着の裾を揺らす。
少年は息をひとつ整え、階段を上がって重厚な木製の大扉を押した。
扉の先は、高い天井を持つ広々としたエントランスホールだった。
磨かれた大理石の床に少年の足音が響く。ホールの奥、階段の手前にひとりの人物が静かに立っている。その人物は少年が足を踏み入れたのを見届けると、穏やかな足取りで近づいてきて、正面で立ち止まった。
「ようこそ、ヴェストバート寄宿学校へ。君を歓迎しよう、シアン・ヘイル」




