第3話 リンクの起点
私たちは示し合わせたかのように同時にグラスへ手を伸ばし、身の内にこもった熱を急いで取り除くかのように、冷たい飲み物を喉へと流し込んだ。
抹茶ティーの冷たさが、食道を通って胃に落ちるのを確認し、私はグラスから手を離す。
そして、テーブルを挟んで正面に座る彼を真っ直ぐに見据えた。
目の下のどす黒い隈。今にも折れそうなほど痩せこけた身体。
同じ地獄を知っているからこそ、痛いほどによくわかる。
「……ずっと、まともに眠れていないんですね」
私の静かな声に、彼はビクッと肩を跳ねさせた。
私は彼を安心させるように、ほんの少しだけ目元を緩める。
「辛かったですよね。……毎晩、顔のない人に追い詰められるのは」
その言葉を聞いた瞬間、彼は堰を切ったように深く、震える息を吐き出した。
そして、何かにすがるように両手でアイスコーヒーのグラスを包み込み、ゆっくりと視線を落とす。
私も彼に合わせるように、同じペースで小さく息を吐き、両手で自分のグラスに触れた。
――ミラーリング。
相手の姿勢や動作、呼吸のペースを静かに模倣し、無意識下の警戒心を解いて同調を築くための心理テクニックだ。
彼がグラスの結露を親指でなぞれば、私も同じように水滴を指で拭う。
彼の浅く震える呼吸に合わせて、私の呼吸も意図的に浅くしていく。
徐々に、同調していく。
彼が抱える、真っ暗で重たい絶望の淵へと。
プロのカウンセラーなら、自分を守る心の壁を保ったまま、安全にこれを行えるのだろう。
けれど、防護服を持たない私が彼の形に自分を合わせることは、自ら泥沼に足を踏み入れるような危険な劇薬でもあった。
彼の深い罪悪感とリンクするように。
テーブルの下に隠した私の右手の火傷の痕が、ズキリと、熱を持って痛んだ。
彼が口を開くのを、私はじっと待った。
けれど、彼は両手で包み込んだグラスを見つめたまま、ただ浅い呼吸を繰り返すだけだった。
やがてカラリと氷の音が鳴り、彼がグラスの中のアイスコーヒーを飲み切るまで、結局その口から言葉が紡がれることはなかった。
無理もない。ここは人が多くて、息が詰まる。
それに、真正面から見つめ合って座るこの形は、何かを暴かれるのを恐れている今の彼にとって、少し尋問のように感じられてしまうのかもしれない。
アメリカの心理学者スティンザーが提唱した、いわゆる『スティンザーの法則』においても、真正面から向き合う対面の座席配置は、無意識のうちに緊張感や対立の構図を生み出しやすいとされている。
逆に、隣に並んで歩けば視線がぶつかることはない。同じ景色を同じ方向から見る『平行の立ち位置』は心理的な安心感を生み、人は自然と心を開きやすくなるのだ。
最も、ミラーリングもこの法則も、不自然に行えば、逆効果になるが。
私は彼にこれ以上プレッシャーを与えないよう、ゆっくりと立ち上がった。
「……少し、歩きましょうか」
私がそう提案すると、彼は弾かれたように顔を上げ、戸惑いながらも小さく頷いた。
私たちは席を立ち、逃げるようにして喧騒のカフェを後にした。
再び外に出ると、容赦ない真夏の陽射しがアスファルトを焦がしている。
外の空気を吸って少しだけ呼吸が落ち着いたのか、彼はふうっと細い息を吐いた。
並んで歩き始めて、すぐに気がつく。
彼はやはり、私と並んで歩いているにもかかわらず、自分の『右側の空間』を不自然なほどぽっかりと空けているのだ。
まるで、かつてそこにいて、今はもういない誰かの居場所を、頑なに守り続けるように。




