第1話 喪服の少女
重い金属音を響かせて、玄関の鍵を閉める。
数日ぶりに触れる外の空気は、生温くて、ひどく現実的だった。
容赦なく降り注ぐ夏の陽光が、目を細めるほど眩しい。
けれど、その眩しすぎる光は私の纏う漆黒の喪服に吸い込まれ、どこかへ消えていく。
まるで、私という存在だけが世界から孤立し、黒い影絵になってしまったみたいに。
私はバス停に向かって、ゆっくりと歩き出した。
メールで指定した待ち合わせ場所は、府中駅近くにある喧騒に包まれたカフェ。
少し影のあるバス停の標識の下に立ち、バスを待つ間の手持ち無沙汰を埋めるように、私はポケットから小さく折りたたまれた紙切れを取り出した。
府中のある掲示板の裏から回収してきた、今回の悪夢。
そこに乱れた文字で書き殴られていた悪夢の内容を、もう一度目でなぞる。
『霧の深い森の中で、亡くなった人の背中を追いかけ続ける夢。追いつきそうになると必ず相手が振り返り、顔がないことに気づいて絶望して目覚める』
霧の森。顔のない人間。
フロイトの夢分析のセオリーに当てはめるまでもない、それは痛切なSOS。脳内に冷たく響く。
夢の中の霧は、現実を直視したくないという防衛機制――否認の表れだ。
そして、追いかけているはずの大切な人に顔がないという絶望。
それは、決してオカルトや幽霊の類ではない。彼自身の心が生み出した、罰の象徴。
彼は大切な人を失った悲しみよりも、何か取り返しのつかないことをしてしまったという自分自身の罪悪感に追い詰められている。
だから、許しを乞うために背中を追いかけ、顔がない、……絶対に許されないという罰を、毎晩自分の心に与え続けているのだ。
「……馬鹿みたい」
ポツリと、ひび割れた声が漏れた。
自分を罰し続けても、過去は絶対に変わらないのに。燃えてしまったものは、二度と元には戻らないのに。
……私のように。
これ以上考えても疲れるだけだろう、私は一枚の紙切れから、フロイトの言う顕在夢。……表面的なストーリーをなぞっているだけなのだから。
遠くから、重たいエンジン音を響かせてバスが近づいてくるのが見えた。
私は紙切れを再びポケットに押し込み、逃げ場のない現実が広がる街へと足を踏み出す。
冷房の効いたバスに揺られること数十分。
降り立った休日の府中駅周辺は、容赦ない日差しと人々の喧騒に包まれていた。
視線を上げると、いつの間にか見慣れない巨大な新しいビルが建っている。
少し目を離すと、街はすぐに形を変えてしまう。
あの新しいビルも、たまに足を踏み入れると迷路のように入り組んでいて、自分がどこにいるのかわからなくなって迷ってしまうことがあった。
けれど、今日の私には関係のないことだ。
街がどれだけ新しく生まれ変わって迷路を作ろうとも、私の時間はあの日焼け落ちた家の中で、溶けた非常階段の上で、完全に止まったままなのだから。
私は新築のビル群には目もくれず、駅の喧騒から少し外れた場所にある、目的のカフェのドアを押し開けた。
カラン、と乾いたベルの音が鳴る。
コーヒーの香ばしい匂いと、微かな話し声。
待ち合わせの時刻にはまだ少し早い。
私は店内を見渡し、入り口がよく見え、かつ周囲からは少し死角になりやすい奥のテーブル席を選んで、先に腰を下ろした。
テーブルの上に、先ほどバス停で読み返した『夢の書かれた紙切れ』を静かに置く。
精神分析において、第一印象は最も雄弁なデータだ。
依頼人がどんな顔をして、どんな歩き方でこの店に現れるのか。それを見逃すわけにはいかない。
運ばれてきたグラスの水滴がゆっくりと落ちていくのを眺めながら、私は漆黒の喪服に身を沈め、その時が来るのを静かに待った。
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R・D




