プロローグ 悪夢
ジリジリと、鉄が焦げる不快な匂いが鼻腔を突く。
足元から這い上がってくる灼熱の波が、私の身体を芯から炙っていた。
――まただ。
私は、熱で飴のようにぐにゃりと曲がった鉄の非常階段を登っている。
下を見れば、すべてを飲み込む赤い炎の渦。
一段登るごとに足元の鉄がドロリと溶け落ち、逃げ場は少しずつ失われていく。
最上階の扉に手が届くことは決してない。やがて私自身の身体も熱に耐えきれず、どろどろに溶けて——。
「……っ」
喉の奥で引きつった息を吐き出し、私は目を覚ました。
じっとりと冷や汗をかいた背中を丸め、右手の甲に残る、引きつった火傷の痕を無意識にさする。
薄暗い天井。静まり返った部屋。
ここは、かつて両親が焼け死んだ家だ。
祖父母の手によって外観だけが完璧に元通りに修繕された、誰もいない、空っぽの箱。
ひどく、身体が重い。
全身の骨の髄まで鉛を流し込まれたように、指一本動かすことすら億劫だった。
ただ静かに、チクタクと無機質な時計の音だけが鼓膜を叩く。
カーテンの隙間から差し込む光の中で、埃がゆっくりと舞い落ちていくのを、私はただ虚無の底から見つめ続けていた。
一時間か、あるいはもっとか。
どれだけ時間が経ったかわからない。
永遠にも思える泥のような微睡みの中で、ふと、枕元のスマートフォンが短く震えた。
重たい腕をなんとか持ち上げ、画面を見る。
届いていたのは、たった一通の短いメール。
『府中のとある掲示板の裏に悪夢とメールアドレスを書き込むと、喪服の少女が現れる』
府中の街で囁かれる、くだらない都市伝説。
けれど、本当に暗闇の底に突き落とされた人間は、そんな蜘蛛の糸にすら縋り付いてしまう。
……私のように。
「……行かなきゃ」
ひび割れたような自分の声を聞いて、ようやく泥のような身体を引き剥がした。
重い足取りでバスルームへ向かい、熱いシャワーを浴びる。
肌を打つお湯が、悪夢に焼き付けられた冷や汗と不快感を少しだけ洗い流してくれたけれど、右手の火傷の痕だけは、熱に反応して微かにひきつるように痛んだ。
身体を拭き洗面台の鏡の前に立つ。
そこに映っていたのは、ひどく青白く、生気を失った十六歳の少女だった。
手早くファンデーションを叩き込んで血色のない肌を誤魔化し、悪夢のせいで色濃く落ちた目元の隈をコンシーラーで丁寧に隠していく。
これは、外の世界へ出るための最低限の儀式。
自室に戻り、クローゼットを開ける。並んでいるのは、黒一色の衣服だけ。
漆黒の喪服に袖を通すたび、私はこの空っぽの箱から、そしてあの日焼け落ちた過去から、一生逃げられないのだという事実を突きつけられる気がする。
それでも私は、重すぎる玄関の扉を押し開けた。
顔も知らない誰かの悪夢に、のめり込むために。




