6話
4日が、こんなに長いとは思わなかった。
星図鑑の暦を毎晩開いては閉じる。あと3日。あと2日。あと1日。
セレステは自分がこれほど月を待ち焦がれていることに、少し怖くなった。
*
学園では、小さな変化が起きていた。
アイリーンの噂が、以前より広がっている。「セレステ様に睨まれた」「すれ違っただけで震えていた」最初は些細な事だったが、セレステが何も言わないでいると、今度は「万年筆を壊された」「突き飛ばされた」とエスカレートしていった。
どれもセレステには覚えのないことだった。
廊下で令嬢達がこちらを見て囁く頻度が増えた。以前は無視すれば済んだ。今は、すれ違うだけで道を空けられる。まるで疫病のように。
——何が変わったのかしら。
変わったのはセレステではない。周囲の空気だ。
昼休み、食堂に向かう途中でユースとすれ違った。隣にはアイリーンがいる。もう隠す気もないらしい。
ユースはセレステを見ると、こちらを睨みつけてくる。
「……」
セレステは何も言わずに通り過ぎた。婚約者が他の女性と並んで歩いている。それを見ても、胸が痛まない自分に気づいた。
——いつから、こうなったのかしら。
答えは分かっている。月夜に、別の温もりを知ってしまったから。
*
その日の講義で、教師が課題の組み分けを発表した。
「——では、この課題はセレステ嬢とアルバート殿下の組で」
セレステは一瞬だけ目を見開いた。アルバートは教室の反対側で、穏やかに頷いている。
放課後、図書室で課題の打ち合わせをすることになった。
アルバートは時間通りに現れた。資料を広げ、必要なことだけを簡潔に話す。馴れ馴れしくもなく、冷たくもない。ただ、自然だった。
「この文献の解釈、セレステ嬢はどう思いますか」
「……三公爵家の役割は建国期と中興期で大きく変わっています。この箇所は中興期の記述と照らし合わせるべきかと」
「なるほど。僕もそう思っていました」
アルバートは頷きながら、別の資料を引き寄せた。
「ただ、中興期の記述にも矛盾があるんです。ヴァレンシュタイン家の記録と王家の記録で、星暦の解釈が食い違っている」
セレステは思わず身を乗り出した。
「……それは、星暦の改暦が中興期の途中で行われたからです。改暦前の記述をそのまま照合すれば、当然ずれます」
アルバートの手が止まった。
「——改暦」
少しの沈黙。それから、アルバートは小さく息を吐いた。
「そうか。改暦を挟んでいるなら、日付の換算をし直す必要がある。……気づきませんでした」
驚いた。
「完璧な第二王子」と呼ばれるこの人が、素直に「気づかなかった」と言った。
セレステは学園で、間違いを認める人間を見たことがなかった。ユースは決して非を認めない。令嬢達は体面を守ることしか考えない。教師でさえ、生徒に指摘されれば不機嫌になる。
「……セレステ嬢は、星暦に詳しいんですね」
「いえ、たまたま読んだことがあっただけです」
「たまたま読む人は、あまりいないと思いますよ」
嫌味ではなかった。ただ事実を述べただけの、静かな声。
セレステは返す言葉を探して、見つからなかった。褒められたのではない。ただ、認められた。それだけのことなのに、胸の奥が少しだけ温かくなった。
——この人は、私の言葉をちゃんと聞いている。
「完璧すぎて気味が悪い」と囁かれる教室で、セレステの答えに「なるほど」と返した人間は、この人が初めてだった。
課題の打ち合わせは四十分ほどで終わった。アルバートは資料を丁寧に揃え、「ありがとうございました」と軽く会釈して、先に図書室を出た。
足音が遠ざかるのを聞きながら、セレステは暫く席に座ったまま、窓の外を見ていた。
——穏やかな人。
ふと、月夜の男の声が重なった。同じように穏やかで、同じように——
——駄目。
セレステは首を振った。昼の王子と、月夜の怪盗。全く別の人間だ。重ねてはいけない。
なのに、胸の奥がざわついて止まなかった。
*
その夜。
窓を開けると、雲の向こうにうっすらと光が見えた。明日には、月が出る。
星図鑑を開く。暦の上では、明日が満月。
——明日。
胸が高鳴る。あの人に会える。
けれど同時に、昼間の図書室が頭をよぎった。「気づきませんでした」と素直に言った横顔。「たまたま読む人は、あまりいないと思いますよ」と返した静かな声。
二人の人を、同時に想っている?
——違う。あの人は怪盗で、アルバート殿下は王子で、全く別の人。
そう言い聞かせて、星図鑑を閉じた。
ブローチを手のひらに乗せる。銀はまだ光らない。でも明日には——
「……明日」
小さく呟いて、目を閉じた。
二つの穏やかな声が、まだ耳の奥で重なっていた。
よろしければ是非、ブックマーク、評価をお願いいたします!
他にも、投稿しておりますので、ちらも読んで頂ければ幸いです♪
感想も頂ければ幸いです。
これからもどうぞ宜しくお願いします。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです!




