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悪役令嬢は怪盗とワルツを踊る  作者: 洸夜 真琥


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6/11

6話

4日が、こんなに長いとは思わなかった。


星図鑑の暦を毎晩開いては閉じる。あと3日。あと2日。あと1日。

セレステは自分がこれほど月を待ち焦がれていることに、少し怖くなった。



*



学園では、小さな変化が起きていた。


アイリーンの噂が、以前より広がっている。「セレステ様に睨まれた」「すれ違っただけで震えていた」最初は些細な事だったが、セレステが何も言わないでいると、今度は「万年筆を壊された」「突き飛ばされた」とエスカレートしていった。

どれもセレステには覚えのないことだった。


廊下で令嬢達がこちらを見て囁く頻度が増えた。以前は無視すれば済んだ。今は、すれ違うだけで道を空けられる。まるで疫病のように。


——何が変わったのかしら。


変わったのはセレステではない。周囲の空気だ。


昼休み、食堂に向かう途中でユースとすれ違った。隣にはアイリーンがいる。もう隠す気もないらしい。


ユースはセレステを見ると、こちらを睨みつけてくる。


「……」


セレステは何も言わずに通り過ぎた。婚約者が他の女性と並んで歩いている。それを見ても、胸が痛まない自分に気づいた。


——いつから、こうなったのかしら。


答えは分かっている。月夜に、別の温もりを知ってしまったから。



*



その日の講義で、教師が課題の組み分けを発表した。


「——では、この課題はセレステ嬢とアルバート殿下の組で」


セレステは一瞬だけ目を見開いた。アルバートは教室の反対側で、穏やかに頷いている。


放課後、図書室で課題の打ち合わせをすることになった。


アルバートは時間通りに現れた。資料を広げ、必要なことだけを簡潔に話す。馴れ馴れしくもなく、冷たくもない。ただ、自然だった。


「この文献の解釈、セレステ嬢はどう思いますか」

「……三公爵家の役割は建国期と中興期で大きく変わっています。この箇所は中興期の記述と照らし合わせるべきかと」

「なるほど。僕もそう思っていました」


アルバートは頷きながら、別の資料を引き寄せた。


「ただ、中興期の記述にも矛盾があるんです。ヴァレンシュタイン家の記録と王家の記録で、星暦の解釈が食い違っている」


セレステは思わず身を乗り出した。


「……それは、星暦の改暦が中興期の途中で行われたからです。改暦前の記述をそのまま照合すれば、当然ずれます」


アルバートの手が止まった。


「——改暦」


少しの沈黙。それから、アルバートは小さく息を吐いた。


「そうか。改暦を挟んでいるなら、日付の換算をし直す必要がある。……気づきませんでした」


驚いた。

「完璧な第二王子」と呼ばれるこの人が、素直に「気づかなかった」と言った。


セレステは学園で、間違いを認める人間を見たことがなかった。ユースは決して非を認めない。令嬢達は体面を守ることしか考えない。教師でさえ、生徒に指摘されれば不機嫌になる。


「……セレステ嬢は、星暦に詳しいんですね」

「いえ、たまたま読んだことがあっただけです」

「たまたま読む人は、あまりいないと思いますよ」


嫌味ではなかった。ただ事実を述べただけの、静かな声。


セレステは返す言葉を探して、見つからなかった。褒められたのではない。ただ、認められた。それだけのことなのに、胸の奥が少しだけ温かくなった。


——この人は、私の言葉をちゃんと聞いている。


「完璧すぎて気味が悪い」と囁かれる教室で、セレステの答えに「なるほど」と返した人間は、この人が初めてだった。


課題の打ち合わせは四十分ほどで終わった。アルバートは資料を丁寧に揃え、「ありがとうございました」と軽く会釈して、先に図書室を出た。


足音が遠ざかるのを聞きながら、セレステは暫く席に座ったまま、窓の外を見ていた。


——穏やかな人。


ふと、月夜の男の声が重なった。同じように穏やかで、同じように——


——駄目。


セレステは首を振った。昼の王子と、月夜の怪盗。全く別の人間だ。重ねてはいけない。


なのに、胸の奥がざわついて止まなかった。



*



その夜。


窓を開けると、雲の向こうにうっすらと光が見えた。明日には、月が出る。


星図鑑を開く。暦の上では、明日が満月。


——明日。


胸が高鳴る。あの人に会える。

けれど同時に、昼間の図書室が頭をよぎった。「気づきませんでした」と素直に言った横顔。「たまたま読む人は、あまりいないと思いますよ」と返した静かな声。


二人の人を、同時に想っている?


——違う。あの人は怪盗で、アルバート殿下は王子で、全く別の人。


そう言い聞かせて、星図鑑を閉じた。

ブローチを手のひらに乗せる。銀はまだ光らない。でも明日には——


「……明日」


小さく呟いて、目を閉じた。

二つの穏やかな声が、まだ耳の奥で重なっていた。

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