4話
数日が過ぎても、月は姿を見せなかった。
セレステは毎晩、窓辺に座って空を見上げる。雲が厚い夜、星だけの夜、薄い靄がかかった夜——どれも、あの夜とは違った。
——月が出なければ、あの人は来ない。
そんな確証はどこにもないのに、何故かそう思っていた。
*
学園では相変わらずの日々が続いている。
特別クラスの講義中、教師が歴史書の一節を読み上げている。セレステは窓際の席でノートを取りながら、ふと視線を感じた。
振り向くほどではない。ただ、誰かがこちらを見ている気配がして——すぐに消えた。
休み時間、廊下を歩いていると、前方から令嬢達の一団が来た。セレステの姿を見ると、わざとらしく声を潜める。
「——ほら、氷の令嬢よ」
「目が合ったら凍るんですって」
くすくすと笑い声。
セレステは表情を変えずに通り過ぎた。
——慣れた。もう、何とも思わない。
本当に何とも思わないのなら、こうして心の中で言い聞かせる必要もないのだけれど。
*
その夜。
窓を開けると、冷たい風と一緒に、白い光が部屋に差し込んできた。
月だ。
雲の切れ間から、丸い月が顔を出している。セレステは思わず窓辺に身を乗り出した。
——出た。
胸が跳ねた。自分でも驚くほどに。
引き出しからブローチを取り出して、手のひらに乗せる。
銀が月の光を受けて、柔らかく輝いた。
あの人は、来るだろうか。
来るとしても、どこに? あの夜はボルジア家の庭だった。今夜は自分の屋敷にいる。場所も分からないのに、会えるはずがない。
——分かっている。分かっているけれど。
セレステはブローチを手に取ると、部屋を出た。
屋敷の裏庭なら、誰にも見られない。月が見える場所に行きたかった。ただ、それだけ。
*
裏庭の薔薇園は、夜になると人気がなくなる。
月明かりに照らされた白い薔薇が、まるで銀色に光っているように見えた。
セレステは薔薇の間を歩きながら、空を見上げる。
「綺麗……」
誰もいない場所で、ぽつりと呟いた。
学園でも、夜会でも、こんな言葉は口にしない。でも今は——
「月が綺麗な夜ですね」
心臓が止まるかと思った。
振り向くと、屋敷の塀の上に、黒いマントの人影が座っていた。白い仮面が月の光を受けて浮かび上がっている。
「……貴方」
「お久しぶりです。月が出るのを待っていました」
男は軽やかに塀から飛び降りると、セレステの前に立った。
「待っていた、って……ここが分かったの?」
「怪盗ですから」
悪びれもせずに言う。セレステは呆れたように、けれど口元が緩むのを止められなかった。
「……泥棒の自覚はあるのね」
「今夜は何も盗みませんよ。ただ、月が綺麗だったので」
男がセレステの手を見る
「それ」
「あ、これは……」
握りしめていた手を開くと、銀のブローチが現れる。
男がセレステの手からブローチを取ると、セレステの胸元にブローチを飾った。
ブローチをつけ終わった男が手を差し出す。
「一曲、いかがですか」
セレステは今度は迷わなかった。
「……ええ」
手を重ねる。あの夜と同じように、二人の呼吸が自然に合った。
音楽は流れていないのに、お互いの頭の中では、あの日の曲が流れているのが言葉にせずとも伝わった。
薔薇園の中で、月明かりだけを照明にして踊る。前回よりも少しだけ距離が近い。少しだけ、手に力がこもっている。
「貴方は、いつも月の夜に現れるのね」
「月が出ていないと、貴女に会う口実がありませんから」
セレステは思わず顔を上げた。男は仮面の奥で、穏やかに笑っているようだった。
「……口実なんて、いらないのに」
言ってから、自分の言葉に驚いた。
男の手が、ほんの一瞬だけ強くなった。
曲が遠くなり、やがて消えた。
二人の足が止まる。けれど、手は繋いだままだった。
「そろそろ戻らないと」
「ええ……」
男がセレステの手をそっと離す。
「次の月夜に」
「……次の月夜に」
男が塀の上に飛び上がり、振り返った。月を背にしたその姿が、まるで夜そのもののように見えた。
「おやすみなさい、月の女神」
マントが翻り、姿が消える。
セレステは暫くその場に立ったまま、自分の手を見つめていた。
まだ、温もりが残っている。
「……おやすみなさい」
誰もいない薔薇園で、小さく呟いた。
頬が熱い。今度は、夢ではないと分かっていた。
よろしければ是非、ブックマーク、評価をお願いいたします!
他にも、投稿しておりますので、ちらも読んで頂ければ幸いです♪
感想も頂ければ幸いです。
これからもどうぞ宜しくお願いします。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです!




