6話 縁を描く
透子ちゃんとの連絡がまた途絶え、僕の中にある不安がまた強くなる。でもそれを、僕は閉じ込めることにした。これまで透子ちゃんを思って距離を取ったこともあったけど、僕は僕のことに専念する──それで結果的に透子ちゃんとの距離が図れれば、最終的には良い結果になるかもしれないから。
でもそうしようと心に決めた時、僕は自分のことに無頓着になってたことを思い知った。直近の課題や、将来のためにしておくこと、……そもそも、将来どうなりたいのかってこと。目から鱗だった。僕はずっと立ち止まったままだったのかもしれない。
透子ちゃんと出会ってから、時間のことなんか深く考えたことが無かった。小学生の時に出会って、中学、高校、大学と進んできたけど、場所が変わったという感覚しか無かった。その都度いろいろ選択すべき事はあったんだけど、僕は選択の決定打を全部透子ちゃんにしてたから。時間は過ぎるものだけど、過ぎている実感が無い。遠い過去のことだって、つい昨日の出来事のような感覚だから。
この四年間は、それじゃ駄目なんだ。卒業したら僕らは何かにならなきゃいけない。僕はそういう選択肢を考えたことが無い。でもそれを真剣に考えて、結果的に透子ちゃんと距離を取る。そうすれば認めてもらえて、今度こそ関係が修復するのかも。
とりあえず直近の課題として、額縁のデザインを考えよう。この間見た透子ちゃんの絵にも似合うってことを軸にして、インテリアとしても最適なもの。出来れば、あの宇宙のような絵を引き立てるようなものがいいな。
相容れないけど、だからこそぴったりなものがいいかな? 真空の宇宙にあるものじゃなくて、そこで生きられないもので作るとか? 無機質な中に浮かぶ光のような熱を引き立てるのは、静かな有機的なもの? 例えば木や葉のような、生を感じるもの。 ……安直かな。
幸い、僕の家は母さんの趣味で植物に溢れてる。天井まで届きそうな大きな鉢植え、天井から吊るした蔦状のもの、その他、大小様々な植物用ラックに並べられたグリーンは、葉の形も色も異なるものばかりだ。
頭の中でデザインを組み立てられたら、最後に僕が育ててるサボテンの花を小さく添えよう。冠みたいに頭に咲かせる赤い花を、額縁の端っこに。
デザインが出来る頃には、透子ちゃんと話せるかな。イメージしたものを見てもらって……その頃には透子ちゃんの絵も完成してるかもしれないし、絵を見て最終調整したりして……
そう考えていると、だんだんとやる気が満ちてくる。けど透子ちゃんとは喧嘩別れみたいになったままだ。このまま僕は僕のことに没頭していいものかという不安も同時に襲ってくる。急激に気の抜けた炭酸みたいに。テラシマも何だか意味深な感じだったしな。
「──でも、やるしかない、か……」
透子ちゃんには一言メッセージを送っておく。多分既読は付かないだろう。誘われたメッセージグループは保留にしておく。今は、制作に没頭しよう。
そう心に決めて、僕は受けていた講義の教室を後にした。とりあえず今日は夕方からバイトだ。ひとまず仕事に集中しよう。
夜の時間帯は大体一人だ。閉店は二十時だけど、十九時を過ぎればお客さんはほとんど来ない。仕事終わりの常連さんとか、通りすがりの人とか、そんな人たちがちらほら来るぐらいだ。
窓に映る夜の景色は、街灯やネオン、車のヘッドライト、ブレーキランプでチカチカしてる。淡い暖色に満たされた店内から見える光は何だか眩しく感じる。ぼんやり眺めながらカウンター内で閉店作業を前倒ししていると、ドアベルが鳴った。少しだけ驚いて肩が跳ねたが、入ってきたお客さんを見て、見慣れた姿にほっとする。
「──やあ、彩くん」
「いらっしゃいませ、彰彦さん」
シャツにジャケットを羽織り、チノパンを履いたカジュアルな服装のその人は、透子ちゃんのお父さんだ。色褪せたキャメルの革靴が控えめに床を鳴らし、使い古した黒いブリーフケースをスツールに横たえながら、大体カウンターの端に座る。少し後ろに撫でつけただけの髪の下、いつも疲れた笑顔を浮かべてる。
「紅茶にします?」
「……いや、今日は仕事を持ち帰るから、コーヒーで」
「わかりました」
言いながらジャケットを脱いで鞄の上に乗せ、カウンターに肘をついてスマホを操作する。店内に流れるピアノの音色に、疲労の滲む溜息が重なった。
「忙しそうですね」
ポットを火にかけ、ミルで豆を挽きながら声をかける。眉を寄せてスマホ画面に視線を落としていた彰彦さんは、それを裏返してカウンターに置くと、のそりと顔を上げた。
「まあ、ね」
「お疲れ様です」
彰彦さんはフッと口角を持ち上げると、ポットの注ぎ口から上っていく湯気をぼんやりと眺めた。僕がそれを湯通しに使う時もずっと湯気を眺め続けて、なんだか遠い目をしてる。──おばさんを亡くしてから、ずっとそんな感じだ。
この人がフラッとこの店に立ち寄る時は、必ず目的がある。その目的のことで頭がいっぱいなのか、世間話は最小限だ。僕はフィルターに入れた豆を蒸らしながら、作業に集中するフリをした。
コーヒーの香りがカウンターに漂う。サーバーからカップに注ぎ、ソーサーに乗せ、カウンターの笠木に静かに置く。彰彦さんは礼を言ってソーサーを受け取ると、香りを嗅いだ後すぐ一口飲んだ。
沈黙のなか、器具を片付ける音が響く。しばらくすると、一息ついた彰彦さんが口を開いた。
「──透子は、大学でどうしてる?」
これが、彰彦さんの目的。大学では一人暮らしをすると言って聞かなかった透子ちゃんに負けてしまった彼は、時々こうやって僕に様子を聞きにやって来る。思い返せば高校生ぐらいからこんな感じだったかもしれない。マンションの一室にたった二人で住んでいるというのに、何で僕に聞くんだろうと当時は不思議に思ったものだ。
「……それが、今回はあまり──実は僕、今距離置かれちゃってて」
「そうなのか?」
「公募の締め切りが迫ってるからだと……思いたいんですけど」
思わず苦笑が漏れる。彰彦さんは短く相槌を打つと、またコーヒーを啜った。
「アートの世界っていうのは……俺にはわからない世界だからな」
そう呟いて、寂しそうに笑う。何だか、彰彦さんがこれまで何を悩んできたのか、今なら分かる気がした。
「でも、この前絵を見たんです。透子ちゃんはすごい悩んでてピリピリしてたけど、絵は斬新で……迫力がありました。なんかこう、透子ちゃんっていつも冷静だけど、こんな熱を秘めてたんだなっていうか」
「……俺からしてみれば、透子は直情的な子なんだがな。昔から彩君を弟かのように連れ回して」
「あれは、僕が透子ちゃんを付き合わせてたんですよ。──前にも言ったじゃないですか」
昔を懐かしんで、二人で小さく笑い合う。それしか出来ない。どっちも置いてけぼりを食らってるようで、何だかおかしかった。その後大学での出来事を言える範囲で伝えた。つい最近、怒らせてしまってから連絡が途絶えていることも伝えようかとも思ったけど、結局──言えなかった。
「──まあ、君から見て元気そうならいいんだ。生活出来てて、やりたいことに熱中出来てるなら……な」
連絡するとすればいつも彰彦さんからで、透子ちゃんからの返事は毎回業務的らしい。「普通」とか「ぼちぼち」とか「困ってない」とか、そんな感じ。透子ちゃんの心の中が遠いのだと、以前小さくぼやいていた。
あくまで僕から見た印象だけど、彰彦さんはおばさんを亡くしてからしばらく立ち直れなかったようだった。その間透子ちゃんは家に帰りたがらなくて、うちに遊びに来ることが多くなり──今に至る。伏し目がちな表情から感じるのは、”後ろめたさ”だ。
「君がいてくれて安心してるんだ。透子に君みたいな人がいなかったら……一人暮らしも最後まで許さなかっただろう」
「透子ちゃんは強い人だから、──僕の方がいろいろ助けられてるんです。子供のときから」
謙遜とかじゃなく思った事を言ったんだけど、彰彦さんは苦笑しながら首を横に振った。
「──……俺は、情けない父親だ」
そう呟いてコーヒーを飲み干すと、彰彦さんは空になったカップの乗ったソーサーを笠木に乗せた。そして気を取り直すようにジャケットを手に取って羽織ると、鞄から財布を取り出す。「会計を」と席を立ってレジへ向かう横顔は、父親から一人のサラリーマンに戻っていた。
「透子ちゃんが彰彦さんと連絡しないのは、心配させたくないっていうか……心配事はないってことなんだと思いますよ」
「──ありがとう。……そういえば君、腕が上がったんじゃないか?」
「コーヒーですか? まあ、もうなんだかんだで長いですからね」
「はは、そうか。そうだったな。──時が経つのは早いもんだ。……また来るよ。よかったらこれからも、透子と仲良くしてやってくれ」
「僕は全然、今でも昔と変わらずですよ」
会計を済ませ、寂しげな背中がベルの音と共にドアの向こうに消える。今日の最後のお客さん。背筋は伸びているのに俯いているような立ち姿に、僕は何だか既視感を覚えたような気がしていた。
バイト以外の時間はスケッチブックを開き、ラフを何枚も描いては消す。始めは家に飾られてる植物を片っ端から描いてみたけど、葉っぱが連なるのは主張が強過ぎると感じて削っていく。例えば木の幹とか植物の蔓、茎、蔦を連想させる形で作った方が絵を支える縁取りとして最適だろう。土台は木目より樹皮のざらつきがいい。何枚も描いたスケッチのページを捲りながら、あの日目に焼きついた透子ちゃんの絵を思い浮かべる。
カフェで時間を潰すことも無くなった。時間がある時は図書館でラフを描き、アトリエで組み合わせを試しながら正面図の線を描いてみる。本やネットで植物の画像を何枚も見ては描き写したスケッチブックはあっという間に埋まった。候補のページに貼っていた付箋は日が経つごとに減り、完成図の目処が立っていく。
「どうしてこういう形に?」
「──シンプルやミニマリズムが流行しているなかで、コンクリートや漆喰、木目とか……どんな壁を背にしてもアクセントになるようにと思ったらこうなりました。シンプルな背景なら浮かび上がるし、木目とか観葉植物なら馴染むようなデザインって感じで。それには、植物の持ってる生命感を取り入れるのがいいかなと思ったんです。中に入れる絵を引き立てつつ支える事ができるかな、と」
途中経過を見た先生に、ある日尋ねられた。僕はつらつらと浮かぶ言葉をそのまま返したが、先生は頷きながら顎を摘み、片眉を持ち上げて小首を傾げただけだった。
「それにしては、絵を壁に貼り付けるようなデザインに見えるけどな。ちょっと仰々しいっていうか。これ、素材は考えてあるの? 店舗のディスプレイとかじゃなくて量産するものとして進めてるなら、もう少し単純化してもいいかも」
確かにそうだった。夢中になって進めていたが、冷静になってみれば先生の言う通りだ。僕は透子ちゃんみたいに唯一のものを作るんじゃなくて、その唯一を現実に馴染ませるものを作らなきゃと思い直す。そうすると問題はコストだ。手間や時間、素材──全部のコストを考慮して、バランスを取らなければならない。
問題が浮かび上がると、僕の時間は溶けるように過ぎて行った。加速するような感覚のなかで遭遇したテラシマは目を丸くしていた。
「……なんかお前、最近別人みたいに忙しそうだな」
「そう?」
アトリエで実物大の正面図を描いてたとき、テラシマはひょっこり顔を出してきた。返事もそこそこに作業する僕に呆けてたみたいだけど、小さい溜息を吐くとそのまま黙って立ち尽くす。不思議に思って顔を上げると、テラシマは遠い目で図面に目を落としていた。
「──何か用だった?」
「いや、その後どうかなって、さ」
「その後?」
「カオリのこととか、……妹尾サンのこととか」
意外だった。偶然通りがかって声を掛けてきたのかと思ったけど、本題はそれだったんだと気付くと、テラシマっぽくない気がした。
「課題に取り掛かろうって決めたら何だか没頭しちゃってさ。透子ちゃんに見てもらいたくて、今はこればっかりなんだ」
「──ふうん。……じゃあ、ま、頑張れよ」
テラシマはそう言って、いつものポーカーフェイスで片手を振ってアトリエを出て行った。のんびりとした足取りの背中を見送る。不自然に思ったけど、気にするほどでも無かったのかな。とにかく僕は鉛筆を握り直した。逸る気持ちに従って脳みそを動かして、少しずつ形になっていく図を見るとさらに拍車がかかる。わくわくした。──ただ、夢中だった。
「──……出来た……!」
僕は家で、注視していたパソコンから目を離して体を伸ばした。画像ソフトを使って描いた、中間発表用のプレゼンボード。そこには、僕が作ろうとしてるものの想像図が並んでる。
木枠を覆うように一枚ずつ貼り重ねた樹皮の表面。樹皮の形に合わせるため、角の継ぎ目は敢えて不揃いにし、一点ごとに異なる表情が生まれるデザインだ。右上の角には蔓や蔦が這うような流線形を添え、左下には同じ流線形の先に数枚の葉と、小さなサボテンの花をあしらう。角の装飾だけは共通の彫刻パーツとして木枠へ接着する構造にし、量産性と一点物らしさの折り合いをつけた。色を入れるのは端に咲く小さなサボテンの花の赤だけ。これを印刷してスチレンボードに貼れば、中間発表用の図面は完成だ。
細かいディテールひとつ描くのにも高揚した。筆が走るってこういうことなんだって実感した。これを発表したら制作に入るけど、その時が待ち遠しい。
この図面を、透子ちゃんに見て欲しかった。透子ちゃんの意見が欲しいって口実で、僕が作り上げようとしてる作品の途中経過を見て欲しかった。僕が作ったものを見て、透子ちゃんは何を思うんだろう。どう感じるんだろう。知るのが怖い気もしたけど、そう思うと心が弾むようだった。
スクリーンショットをスマホに転送し、メッセージアプリを開く。透子ちゃんとのトークページを久々に開くと、最後に送ったメッセージはいつの間にか既読になっていた。返事は無かったけど、それだけで僕は湧き上がる喜びを抑えるのに苦労した。
画像を添付して、文章を考える。いろいろ悩んだけど、シンプルに”見て欲しい”と伝えることにした。端っこに添えたのは、僕が育ててるサボテンの花だよって。
”送信”の紙飛行機をタップしようとする指が震える。心臓も震えてる。
僕は音の無い深夜の部屋で何度も深く深呼吸をした。そして意を決し、紙飛行機に想いを託した。




