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マネキン男とサボテン女  作者: pochi.


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3話 僕らの”普通”

 一人でのランチが空虚に感じたのは初めてだった。今までも一人でカフェを使ったことはたくさんあるけど、頭の片隅にいつもの透子ちゃんがいれば問題はなかった。けど、はっきりと拒絶されたあの日から……僕の世界の透子ちゃんすら希薄になった。


 絵画学科の透子ちゃんと違ってデザイン学科の僕は、被る講義も少なくはないけど分野が違う。だから自然と、油彩基礎やデッサン系の講義も取っていた。それでも、僕を避けてる透子ちゃんと接する機会は無くなった。


 コーヒーを飲みながら、メッセージアプリの画面を開く。定期的にメッセージを送ってるけど、それはあの日から僕の一方通行になっている。既読もつかない僕の吹き出しは、虚しく言葉を吐き出すだけ。いつも透子ちゃんが座ってるカフェの奥、テラス席が見えるテーブルで、アプリを閉じて外を眺めた。


「天ケ谷、一人?」


 声をかけられて振り向けば、軽食が乗ったトレーを持った男が立っていた。同じ学科の、透子ちゃん以外で認識してる唯一といっても過言じゃない、数少ない人物だ。──名前は、テラシマ。


「──そうだけど」

「じゃ、ここいい? あっち煩くてさ。お前なら静かだし」


 僕の返事も待たずに向かいに座り、反対側を指差す。それを目で追えば、どこかのサークルの集まりらしい一団が声量も気にせず談笑していた。今更になってそれが耳に飛び込んで、知らず、溜息が漏れる。テラシマも小さく苦笑した。


「テラスの方が煩くないんじゃない?」

「馬鹿、テラスなんか一人で使えるかよ。なんか、気取ってるみてえじゃん」


 そういうもんかな、と思いつつ、僕はコーヒーを一口啜る。もうすっかり冷めて、ほとんど常温になっていた。テラシマは僕が返事をしないのも気にせず、スマホ片手にサンドイッチに噛り付く。僕が言うのもおかしいのかもしれないけど、テラシマは、変わってる。


 テラシマはサンドイッチを食べ終わると、椅子に寄りかかってスマホを閉じた。そして片耳に嵌めていたワイヤレスイヤホンを外し、ケースへと戻す。もしかしたら食事中、動画鑑賞でもしていたのかもしれない。


「……そういやお前ってさ、妹尾サンと別れたのか?」

「──え?」


 唐突な質問に思わず声が漏れる。僕が何か言う前に、テラシマは更に続けた。


「サークルの女連中が話してたの聞いたんだよ。──お前、気を付けろよ? またしつこく誘われるぞ」


 テラシマは確か、テニスサークルに入ってる。前に、「付き合いで入ったけど滅多に行ってない」と言っていた。だからきっと、あのサークルの女の子が僕を何度も誘ってくるのも、それを僕が何度も断ってるのも知ってるんだ。


「……ちょっと待ってよ。僕、別に透子ちゃんとは付き合ってないよ」

「は? そうなのか?」

「そうだよ。誰がそんな噂流してるの?」


 平然と首を傾げるテラシマに怪訝な目を向け、カップを下ろす。思ったよりも強くカップがソーサーに当たり、陶器の甲高い音が鳴った。


「いや噂っていうかさ……お前が唯一つるんでんのって妹尾サンだけじゃん? 妹尾サンも近寄りがたい雰囲気あるのにお前とだけはよく話してるし、付き合ってるって思われんのは自然じゃね?」

「それは、透子ちゃんとは小学校の時からの仲だから……」

「ああ、幼馴染ってやつか。……いやでも幼馴染とはいえ、大学まで一緒なことあるか? 俺にもそれっぽい女子いるけどさ、流石に大学は別になったぜ? だから近所だけど全然会わねえし」


 テラシマは心底意外という感じで目を瞠って、アイスコーヒーのストローを咥えた。そっちの方が意外で、僕は二の句を継げなくなる。だって、僕にとっては普通のことだったから──テラシマが驚く意味が分からない。透子ちゃんだって、そりゃ僕が同じ大学を受けたと言った時はびっくりしてたけど……最終的には「相変わらず」って笑っただけだった。


「……別に、そっちの”普通”が世の中の”普通”ってわけじゃないよ」

「まあ、確かにな」


 あっさりと僕の言葉を受け入れ、テラシマはストローで氷をかき混ぜる。カラカラと鳴る音が、やけに耳に響く。


「でも、二人でいる時のお前ら見たことあるけど……噂が立つのも仕方ないんじゃね? って思うっていうか──」


 悪戯な目が、僕を見る。単なる興味なのか、会話をつなげるためだけなのか──テラシマの真意は分からない。


「──実際、お前は妹尾サンの事、どう思ってんの?」


 とにかく、どう返事をしていいのか分からない、今まで考えたことも無かった質問を投げられて、僕は頭の中が麻痺するような感覚に陥った。


「どう、思ってるって……一緒にいたいから、一緒にいるってだけだよ」

「それって恋愛感情とは別モンなの?」

「恋愛感情? そんなこと、考えたことも無いよ」

「じゃあ妹尾サンのこと、別に好きではないってこと?」

「──そりゃ、好きだけど……でも」


 ”好き”であることの意味なんて、考えたこともなかった。誰かを”好き”だと思ったら、それは恋愛感情にされてしまうものなんだろうか? それが、周りにとっての”普通”? ”普通”じゃなかったら、”特別”なのか? 確かに透子ちゃんは特別だけど。


「男女の友情ってやつか? 俺はそんなの、あり得ねーって思うタイプだけど。小学生の時からずっと離れないって関係なら、尚更」


 そういうものなんだろうか? 確かにこれまで、透子ちゃんとの関係が噂になったことは何度かあった。それで揶揄われたりしたこともあったけど、ほとんどはしばらくして無くなった。僕らは一緒にいることが普通で、当たり前。言葉にしなくても、確認し合わなくても、実際問題”そう”だった。


 もしかして、透子ちゃんが僕を避け始めたのって、こういうのが原因なんだろうか? 噂になってて、それが嫌で、公募に集中できないから距離を取った? でもそんなの、今更だ。周りにいる人間が違うだけで、僕らの関係も変わってしまうのか?


「──まあどっちでもいいけどさ、もしお前が妹尾サンのこと恋愛感情で好きっていうなら、ちゃんとそれ伝えた方がいいぜ? じゃないと、妹尾サンと付き合いたいって思う奴が現れたら、取られるだけだぞ」


 それを聞いて、頭の中が今度こそ真っ白になった。僕と透子ちゃんの世界の中に、誰かが入り込んでくる──それを想像しただけで、言いようのない拒否感が湧き上がる。これが、本当の”好き”って意味なんだろうか? これが、”恋愛感情”? でもそれも、しっくり来ない。わざわざ分けて考える必要性も、見出せない。


 テラシマは、この話題はもう終わったとでも言うようにそれきり口を開かず、掛かってきた着信に応答した。目の前で繰り広げられる会話が、雑音となって耳に届く。僕はぼんやりと、その音に耳を委ねて過去に浸った。





 あれは、小学生の頃。僕が空っぽの下駄箱の前で茫然と立ち尽くしてた時。靴が無いならどうやって家まで帰ろうかとぼんやり考えてたら、突然背後から声をかけられた。


「アンタ、何してんの?」


 その時は、同じクラスにいる子だなって思っただけだった。ショートカットにダボダボのTシャツ、ジーンズ姿の透子ちゃん。その顔は明らかに怒ってて、僕はそれを不思議に思っていた。


「──靴、どっかにやられたの?」


 何も言わない僕の背後にある下駄箱を睨んで、透子ちゃんは吐き捨てるように言った。僕が頷くともっと怒ったような表情をして、今度は僕を睨みつけた。


「……どうやって、帰ろうかと思って」

「アンタこれ、なんとも思わないの?」


 怒られてる気がしたけど、何で怒られるのか分からなかった。僕と透子ちゃんはそれ以前に喋ったことは無かったし、本当に、突然だったから。


「アンタ、そんなだからナメられてんだよ、クラスの奴に」


 透子ちゃんは言った。そして自分の靴を履き替え、上履きのままの僕の手を取って、玄関扉へと早足で引っ張った。


「いつも何も言い返さないから、あっちが調子に乗るんだよ。バカな奴ってね、相手の──付け入る”スキ”を見つけるのだけは得意なんだよ。そうやって自分がすごい人間だって確かめて、周りを騙す嘘つきなの。それで、騙された同レベルの奴が同じことをする。……黙ってやり過ごしてるアンタ見てると、イライラしてくるんだよね」


 帰り道、透子ちゃんはぶっきらぼうにそんなことを言っていた。家がどっちか曲がり角のたびに聞いてきて、それに答えてるうちに家に着いて、あっという間の時間だった。透子ちゃんはそのまま、門扉を越えてポーチまで僕の手を引き、ドアの前で振り返った。


「親、家にいる?」

「……多分」


 ドアノブに手をかけて引こうとしたけど引ききれなくて、僕はランドセルから家の鍵を取り出して差し込んだ。そのときちょうど母さんは不在で、僕は無人の玄関で上履きを脱ぐ。そしたら透子ちゃんも玄関に入ってきて、ドアの内鍵を掛けた。


「いつ帰ってくんの?」

「多分、そんなに遅くならないと思うけど……」

「じゃあ、ちょっとお邪魔します」


 上履きを脱いで座ったままの僕の横をすり抜けて、透子ちゃんは廊下へと上がった。慌ててそれを追いかけて、リビングへ案内する。それからソファに座って黙っている透子ちゃんに、訳もわからずとりあえずお茶を出した。透子ちゃんは「おかまいなく」と言って、緑茶の入ったグラスを受け取った。


 買い物に出ていた母さんが帰ってくるまで、とんでもなく静かだった。そこかしこに飾られた観葉植物を無視して、コンクリートが剥き出しになった壁がやけに無機質に目に映った。いつもはおしゃべりな母さんがずっと喋ってるし、テレビが点いてることが多いから、リビングが静かだった事は無い。それでも、テレビを点ける気にはならなかった。


 玄関でエコバッグを下ろした母さんは、挨拶する透子ちゃんを見て驚いた後、嬉しそうに笑った。後から聞いたけど、初めて僕が友達を家に連れてきたことが嬉しかったらしい。しかも透子ちゃんは、僕が学校で同級生にされてることを母さんに打ち明けた。玄関の隅に揃えられた上履きの意味を知った母さんは僕を見て涙ぐみ、僕を抱きしめて透子ちゃんに何度もお礼を言っていた。──それから、僕の改造計画が始まったんだ。


「アンタは自分に興味ないのかもしれないけど、見た目さえちゃんとしたら今後ナメられることなんか無くなるよ。むしろ、虐められてるからってバカにしてた女子なんか掌返して近寄ってくると思う。……そうすれば、アンタをいじめてた奴なんて何にも出来なくなるに決まってる」


 透子ちゃんはそう言って、僕のボサボサの前髪を摘んで軽く引っ張った。すっかり透子ちゃんを気に入った母さんは、透子ちゃんと一緒にスマホを覗き込んで作戦会議を開始した。僕が出されたお菓子を半分平らげる間に話を纏め、二人は僕に向かって不敵に笑った。


 それから、母さんは間一髪のタイミングでヘアサロンを予約した。テーブルに出したものをそのままに三人で外に出かけ、駅前へ向かう。そしてお洒落なヘアサロンへ僕を押し込むと、スタイリストにスマホを見せながらあれこれ指定して、二人は店を出て行った。僕はスタイリストのお兄さんと何か会話をしながら、切りそろえられていく髪を鏡越しにボーッと眺め、床に散らばった残骸をぐるりと見渡した。終わった頃に戻って来た母さんの手には、いくつかの紙袋。その隣で透子ちゃんは、僕を見て得意げに笑っていた。


 不思議な感覚だった。僕はどうでもよかったのに、どんどん自分が変えられて、まるで別人みたいになっていく。僕はそれまで、自分をよく見て来なかった。でも全てが出来上がって、スマホの中の人物と同じような見た目になって、初めて鏡の中の自分と対峙した。あの時は戸惑いの方が勝ってたけど、実際に学校へ行くと、透子ちゃんの言う通りになった。僕にちょっかいかけて来たグループを、女の子たちが”ダサい”と言い始めたのだ。あの時は流石に驚いた。同時に、どこかスッキリした気分になった。──でも透子ちゃんはそんな僕を、”自分が作り上げた”とは決して言わなかった。


 それが、僕と透子ちゃんの出会いだった。





「──お前、この後講義無ぇの?」


 テラシマの声で現実に引き戻される。いつの間にか電話を終えていたらしく、目の前でほとんど空になったグラスの中身をストローで吸っている。テラシマは、見た目はいわゆる”草食系”だ。襟足を刈り上げたマッシュルームヘアの黒髪。──あれから僕は、そういうルックスに関するトレンドには少しだけ敏感だ。


「うん、まあ……」

「ふうん。俺、明日の課題まだ手つけて無いんだよなぁ……今日に限ってバイトあるし、マジ最悪」


 じゃあな、と言ってトレーを持って席を立つ。だるそうな背中を見送ってから、僕はスマホの画面で時間を確認する。テラシマが来てからどれくらい時間が経ったのか不明だが、時計の表示は十三時近くとなっていた。


「サボろうかな……」


 次の講義は透子ちゃんとは関係無いやつだ。何だかそれがものすごく虚しく思えて、僕は思わず呟いた。透子ちゃんとの思い出が、また僕の世界の透子ちゃんを確かなものにする。僕はテラシマとの会話を思い出しながら、冷たくなったコーヒーを飲み干した。





 結局、あれから僕は講義をサボって大学を出た。何かというとよく話しかけてくる同じ学科の男たちや、何回か見たことのある女の子たちとすれ違って声を掛けられたが、曖昧に笑って擦り抜けた。あの人たちは、僕の表面的な部分が必要なだけのマネキンだ。僕には良い顔を見せて寄ってくるけど、その裏では誰かの陰口で盛り上がってる。興味がなかったとはいえ、僕はそういう人たちを小さい頃からよく見てきた。


 駅前にあるアルバイト先のカフェは、透子ちゃんが働くバーからそれほど離れてない。本当はもっとあの雑居ビルの近くにあるカフェで働きたかったけど、チェーン店で忙しそうだから断念した。シフトの融通が利いて、縛りの少ないこっちの店の方が性に合ってたっていう理由もある。


 小さな店内にあるのは、五つのカウンター席と二人がけのテーブル席が三つだけ。古めかしくて、どちらかというと喫茶店と言った方がしっくりくる個人店だ。オーナーのササキさんは優しい雰囲気のお婆さんで、早くに旦那さんを亡くしてから店を引き継いで、それ以来、アルバイトを雇ったり雇わなかったりしてこれまで続けて来たらしい。最近は足腰が辛くなって来たので、男手が欲しいと思っていたそうだ。


 今はテーブル席が二つ埋まってる。一つには女性客が二人、もう一つにはパソコンを開いてるサラリーマンのおじさんが一人。注文の品を運び終わったら、次のお客が来るまでは暇な時間だ。僕はパソコンのキーボードを叩く音や、女性客の話し声を耳の片隅で聞きながら、洗い物に没頭した。


 今日もお客は少ない。この店は見た目が華やかな商品があるわけでもなく、価格が安いわけでもない。小ぢんまりとしてるし、外から窓越しに店内を覗いても、出入り口の木製扉が重く閉じている。それだからか、ちょっと入るのに躊躇う印象があるらしい。迷ってるうちに他の店が目に入り、選択肢から外れる──そんな店だ。


 洗い物が終わると暇になって、手持ち無沙汰にカップを磨く。そうすると、耳が自然に会話を拾った。


「──それって、告白待ちってこと?」

「うん。……いや、絶対の自信があるってわけじゃないけど、結構そんな雰囲気があるんだよね」

「じゃあ、自分から言っちゃえばいいじゃん。その方が早くない?」

「って思うじゃん? でもさ、いざその時のことを考えると、やっぱ告白は男の方からしてもらいたいっていうか」

「何それ、ダルぅ! そんな事言ってると先越されるよ?」

「だって部署同じなんだもん! あっち年上だしさ、なんか気まずいじゃん」


 女性客の声がやけに脳に響く。僕は必死に磨いてるカップを見下ろした。


「でもさ、実際どうなの? ほんとに脈ありなわけ?」

「結構飲みに誘われるしさ、こないだなんて週末どっか行く話まで出たんだよ。休日出勤が入ってダメになっちゃったけどさ、普通好きじゃなかったら休日に後輩誘うことなんて無くない? 私も誘われたら絶対断らないし、向こうも分かってると思うんだよね」

「ふーん、まあ、確かにそれはそうかもね。……相手が誠実な人間ならって話だけど」

「え、どういうこと?」

「遊び人かもしれないじゃん? 私は全く知らない人間だし、”絶対そうだよ”なんて言えないよ」


 僕はカップを棚に戻すついでに、テーブル席を盗み見た。片方の女性は食べかけのケーキをちまちまフォークで突きながら、口ばかりを動かしている。食べ終えたもう一人は話に相槌を打ちながら、カップに残った紅茶をスプーンで緩くかき混ぜていた。


 僕は棚から次のカップを取り出した。カップを磨きながら、その白磁の光沢の中に透子ちゃんを思い浮かべる。僕は出会って以来、数えきれないほど透子ちゃんを遊びに誘ってる。実は家も近いって分かってからはよく一緒に帰ったし、寄り道だってたくさんした。


 そうした理由のひとつに、透子ちゃんのお母さんが亡くなったからっていうのもある。──六年生になった時、交通事故で。共働きだった透子ちゃんのお母さんは、朝職場に向かう途中、交差点で暴走車に撥ねられた。他にも被害者がいたって話だけど、亡くなったのはひとりだけ。僕は落ち込んでどうしようもなくなった透子ちゃんを必死に誘って、何とかいつもの透子ちゃんに戻って欲しくて、毎日透子ちゃんの側にいた。僕に出来ることなんてそれくらいで、他に何も思いつかなかったから。最初は突っぱねられたけど、透子ちゃんは次第に僕に心を開いてくれた。


 透子ちゃんのお父さんが仕事に没頭するようになって、それから透子ちゃんはよく「家に帰りたくない」って言った。だから中学に上がっても高校に上がっても、僕らはずっと一緒だった。そしてそれが、僕らの当たり前だったんだ。


 透子ちゃんは特別。でも、特別に好きってことは、伝えなきゃいけないことなんだろうか? 特別な”好き”は恋愛に繋がるもので、新しく関係を結び直さなきゃいけないものなんだろうか?


 ”好き”って気持ちには、どうやらサインがあるらしい。それをお互いに読み取って、好き合った者同士は関係性を変えていく。どうやらそういうものらしい。世間は僕に、そう語りかけてくる。


 透子ちゃんは何て言うだろう? 透子ちゃんに聞いたら、正しい答えをくれるかな? きっと、「バカなこと考えるな」って言う気がする。でも透子ちゃんの”普通”が、僕の”普通”と同じとは言い切れない。もし違うのなら、僕らは関係を変えた方が──いいのかもしれない。


「──あの、お兄さん。お会計ってば」


 突然割り込んできた声に顔を上げると、レジで伝票を持ったサラリーマンが怪訝そうな顔をしていた。僕は慌てて笑顔を作り、レジに飛びつく。


「すみません、お預かりします」


 予めトレーに出されていたぴったりの小銭を受け取りながら、僕は必死に頭を切り替えた。





 次の日。西洋美術史の講義の後、僕はチャイムの音と共に席を立って、前の席への段差を降りた。ちょうど真ん中辺り、窓際の席。そこに透子ちゃんが座ってる。メッセージは無視されるだろうから、話したいと思ったら、透子ちゃんの頼みを無視して直接話しかけるしか方法は無い。


 最近メッセージすら送らなくなった僕に油断してたのか、偶然振り返った透子ちゃんは僕を見るとあからさまにギョッとしていた。慌ててテキストやノートを纏め、カバンに放り込み始める。逃げられると嫌だから、最後は小走りになった。


 透子ちゃんはペンをペンケースに仕舞おうとして焦ったのか、机の下に落とした。前の席の方に転がったのか、勢いよく椅子を弾くようにして立ち上がる。僕は大股に彼女の横を通り過ぎ、ペンの行方を追おうとした。斜め前に座った生徒の足元にあるのを発見し、手を伸ばす。だがそれより早く、ペンは拾われる。


「……これ、お前落としたやつ?」


 ペンを持って振り返ったのは、テラシマだった。屈みかけた僕に不思議そうな目を向けてから、立ち尽くした透子ちゃんを見上げる。


「──ありがと」


 透子ちゃんは短く礼を言って、引ったくるようにペンを受け取った。それをペンケースに入れる間も惜しいというように両方カバンに突っ込んで、閉じもせずに踵を返して教室を出ようとする。呆気にとられるテラシマを無視して、僕は透子ちゃんの背を追った。──どうしても、話したいことがあったから。


「待ってよ、透子ちゃん!」


 教室の中だと嫌がるだろうから、外に出て廊下を少し進んだところで透子ちゃんの手を取った。僕がそんなことをすると思ってなかったのか、透子ちゃんが驚いた表情で一瞬、振り返る。でもすぐその表情は鋭くなって、僕を睨み付けて来た。


「透子ちゃん、お願いだから、今だけ話させてよ」

「──話なんて無い」


 透子ちゃんは何度も僕の手を振り払おうとした。いつもの僕ならすぐ諦めて払われるけど、今回は譲れなかった。


「少しだけ。伝えたいことがあるんだ」

「聞きたくない!」


 あまり使われない階段の踊り場に、透子ちゃんの声が響く。廊下を歩く他の生徒が、ちらちらとこちらに視線を向けるのが分かる。──それを、透子ちゃんが嫌がることも。でも、それでも僕は伝えたいことがあって、聞きたいこともあって、……とにかく話がしたかった。それが叶わないなら、僕の思ってることだけでも伝えたかった。


「離しなよ」


 でも透子ちゃんの態度はあまりにも頑なで、僕の焦燥感はだんだんと萎れていった。透子ちゃんの否定の言葉がいつになく刺さるから。彼女の望む通りにしたくなった。


「じゃあせめて、メッセージだけは見てほしい。最後に送るやつだけでいいから。──返事もいらない。でも、どうしても見て欲しいんだ」


 透子ちゃんが僕を避ける理由。突っ撥ねる理由。これまでだって、無かったわけじゃない。大体は自然と元通りになった。けど今回は、自然に修復される前に伝えておきたいことがあった。


 僕は透子ちゃんが”特別”で、”好き”ってこと。それがどういうことなのか、透子ちゃんなら答えをくれる。答えが出たら、きっと僕らは新しい関係になる。そうなることが透子ちゃんの気持ちを軽くするんじゃないかと、そう思えて仕方がなかったんだ。

 


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