第八章 遺留品は嘘をつかない
喪の主など、いなかった。
俺が、その確信に至ったのは、集めた遺留品を卓の上に、ずらりと並べた、その朝のことだった。
零れで消えた者たちの、遺留品。俺の眼が拾い、ノエが掘り起こした品々。テオの前掛け。マヤの洗濯板。片脚の兵士の、木の義足。木彫りの鳥を渡しそこねた男の、彫刻刀。
それらを消えた順に、並べる。
「何、してるの」ノエが、覗き込んだ。
「遺留品は、嘘をつかない」俺は、答えた。「人は嘘をつく。記録も、書き換えられる。だが、現場に残された品だけは、その瞬間に、本当にあったことをそのまま、覚えてる。だから、俺たちは、物に、話を聞く」
俺は、品を一つずつ、指さした。
「もし、喪の主って怪物が、人を襲って喰ってるなら。遺留品には、必ず、争った痕がある。血。破れ。焦げ。逃げようとした、傷が、残る」
俺は、品を一つずつ、手に取った。目を閉じ、現認の眼で、その品が「最後に見た光景」をなぞる。
テオの前掛けは、綺麗に、畳まれていた。粉を払い、紐を揃え、竈の前に、そっと置かれていた。まるで、明日も焼くつもりだった男が、店じまいの、いつもの手つきで、外したかのように。
マヤの洗濯板は、井戸の縁に、立てかけられていた。濡れたまま、投げ出されたのでもなく、乾かすために、日の当たる場所へ、寄せてあった。
片脚の兵士の、木の義足は、寝台の脇に、揃えて、外してあった。眠る前に、外すのと、同じように。
彫刻刀は、鞘に収められ、布に包まれていた。
どれもが、静かで、丁寧で、まるで――行き先を知っていたかのように。
「争った痕が、ない」俺は、言った。喉が、乾いていた。「傷も、血も、破れも。まるで、みんな、自分から、身支度を整えて、静かに、出かけたみたいに、消えてる。怪物に襲われたんじゃない。……呼ばれて、応えて、行ったんだ」
「争った痕が、ない」俺は、言った。「まるで、みんな、自分から、身支度を整えて、静かに、出かけたみたいに、消えてる。怪物に襲われたんじゃない。……呼ばれて、応えて、行ったんだ」
ノエの顔が、青ざめた。
「じゃあ、喪の主は……」
「いない」俺は、断言した。「少なくとも、人を喰う怪物は、どこにもいない。零れは、化け物の仕業じゃない。あの西の穴が――ソルナの民が、身を投じた穴が、いまだに返してもらえないまま、人を呼び続けてる。それだけだ」
◇
俺は、その見立てを台帳に書き留めた。
喪の主、実在せず。零れの原因、西方ソルナ跡の穴。争闘の痕、遺留品に認められず。
落とし物係の、事件見立てだ。派手さはない。だが、遺留品という動かぬ物証に、裏打ちされている。
その一行を書いた、まさにその日の、夕暮れだった。
交番の戸が、乱暴に、蹴り開けられた。
灰色の外套の男たちが、十人あまり、なだれ込んできた。教会の、私兵だ。先頭には、あの審問官が、冷たい顔で、立っていた。
「異端の記録を押収する」
審問官の目が、卓の上の、遺失物台帳に注がれた。
「その忌まわしい書き付けを渡せ。ありもしない村、ありもしない過去を記した、異端の書だ。焼き捨てる」
ノエが、とっさに、台帳を胸に、抱え込んだ。
「駄目! これは、みんなの……消えた人たちの、名前が……」
私兵が、ノエに、手を伸ばした。
俺は、その前に、立ちはだかった。
◇
「――押収、と言ったな」
俺は、審問官をまっすぐ、見た。声は、あくまで、静かに。
「なら、令状は。どこの誰が、何の権限で、押収を命じた。それをまず、示してもらおう」
審問官の、動きが、止まった。
「令状、だと……?」
「そうだ。人の物を取り上げるには、手続きがいる。誰が見ても、正しいと言える、手続きがな」俺は、一歩、踏み出した。「それがないなら、あんたのやってることは、ただの、押し込み強盗だ。教会の名を騙った、な」
私兵たちが、顔を見合わせた。
剣も魔法もない、ただのおっさんが、十人の私兵を前に、一歩も引かない。その異様さに、連中は、気圧されていた。
その時、交番の外に、人が、集まってきていた。
零れかけたところを、俺に繋ぎ止められた男。迷子を見つけてもらった母親。掏摸を捕まえてもらった商人。俺が、この町で、落とし物を返してきた、その一人ひとりが、私兵の背後に、静かに、立っていた。
誰も、剣を持っていない。誰も、声を上げない。ただ、じっと見ていた。
「……おまわりさんに、手ェ出すのか」
ガレトが、酒場の戸口から、太い腕を組んで、低く言った。その後ろに、町の男たちが、鍬や、麺棒を手に、続いていた。
「そのおまわりさんは、俺たちの、落とし物を返してくれた人だ」
私兵たちの足が、また一歩、退いた。数では、勝っている。だが、この空気は――町ぜんぶが、たった一人のおまわりの、後ろに立っているという、この重さは、剣では、斬れなかった。
俺は、四十年、修羅場を見てきた。声の大きい奴が、強いわけじゃない。手続きと、道理を握った者が、最後は、勝つ。それを知っている。
「それに」俺は、台帳を抱えたノエの肩に、手を置いた。「この台帳を焼いたところで、無駄だ。ここに書いてあることは、全部、俺の頭のなかにも、ある。焼くなら、俺の頭ごと、焼くしかない。……できるか? 勇者王に、告げ口されずに」
審問官の、こめかみが、引きつった。
俺は、賭けていた。この男は、勇者王・統吾の、意向で動いている。だが、事を大きくはできない。辺境の落とし物屋を大勢の私兵で、公然と殺したとなれば、消したい過去のほうが、かえって、目立つ。連中がいちばん恐れているのは、暴力じゃない。「注目」だ。
案の定、審問官は、しばらく、俺を睨んだのち、忌々しげに、手を振った。
「……引くぞ」
私兵たちが、ぞろぞろと、退いていく。
戸口で、審問官は、一度だけ、振り返った。
「覚えておけ、落とし物屋。次は、令状を持って、来る。統吾様の、名の入った、な」
◇
嵐が、去った。
ノエが、台帳を抱えたまま、へなへなと、座り込んだ。
「……ミノワ。すごい。剣もないのに、追い返しちゃった」
「はったりだ」俺は、正直に言った。膝が、少し、笑っていた。「四十年ぶんの、はったりだ。……だが、次は、通じない。統吾の名の入った令状が出れば、俺には、止める手立てがない」
俺は、卓の上に残された、一つの品を拾い上げた。
私兵の一人が、揉み合いのなかで、落としていったものだ。教会の、内部の者だけが持つ、通行証のようだった。
その裏に、見慣れない、記号の羅列が、彫り込まれていた。
文字ではない。絵でもない。規則的に並んだ、点と、線。
俺の、四十年の勘が、ぴくりと、動いた。
「……符牒だ、これは」
身内だけに通じる、隠語。教会が、何かを隠すために使っている、暗号。
そして、その記号の並びの、いちばん端に。
俺は、見覚えのある紋を見つけた。
鈴の紋だった。
「メルヴ」俺は、通行証を老人に、突き出した。「これに、心当たりは」
メルヴは、それをひと目見て、息を呑んだ。
「……これは、教会の、古い記録符牒だ。書庫の、どの棚に、何が封じられているかを示す、目録の暗号。儂も、現役の頃、少しだけ、習った」老人の指が、震えながら、記号をなぞった。「この鈴の紋は……封印指定。触れてはならぬ、最も古い記録の、在り処を指しておる」
「読めるか」
「一部なら」メルヴは、目を細めた。「これは、たぶん――王都、ヴェーラの、大聖堂。その地下。……いちばん深い、書庫を指しておる」
俺は、ノエと、顔を見合わせた。
なかったことにされた村の、本当の記録。三百年、封じられてきた、最初の調書。それが、勇者王の膝元、王都の大聖堂の、地下に、眠っている。
符牒は、その場所への、地図だった。
「――行くしか、ないな」
俺は、通行証を握りしめた。落とし物の在り処が、わかった以上、おまわりのやることは、一つだ。
拾いに、行く。




