第十六章 立件
崩れかけた廃屋に、ラドの町の連中が、ぎっしりと、詰めかけた。
パン職人。鍛冶屋。行商人。子連れの母親。かつて俺が、落とし物を返し、繋ぎ止めた、名もなき者たち。剣を持つ者は、一人もいない。だが、その目は、みな、まっすぐだった。
「話は、道々、ガレトから、聞いた」鍛冶屋の男が、腕を組んだ。「勇者王が、実は、世界を壊してる。消えた連中をなかったことにしてる。……信じられねえ話だ。だが、あんたが言うなら、信じる。あんたは、俺たちの、なくし物をいつも、本当のことしか、言わなかったからな」
「そうだ」母親が、赤子を抱いたまま、頷いた。「うちの子が、迷子になったとき。零れだ、もう駄目だって、みんなが言った。でも、あんただけは、生きてるって、言い切った。……そして、その通り、見つけてくれた。あんたの言うことは、いつも、本当だった」
「掏摸に、財布を盗られたときも」商人が、続けた。「衛兵は、笑って、取り合わなかった。だが、あんたは、犯人の逃げた先まで言い当てた。あんたは、俺たちみたいな、下の連中の話をちゃんと聞いてくれる、たった一人の、お上だった」
俺は、みなを見回した。
胸の奥が、熱くなった。剣も、魔法も、権力もない。だが、俺には、この四十年ぶんの、信用が、あった。地道に、落とし物を返し続けて、一つずつ、積み上げてきた、信用が。
鷲塚は、剣で、民の歓声を買った。だが、その歓声は、忘却の上に、乗っていた。俺は、地道な足で、民の信用を稼いだ。この信用は、事実の上に、乗っている。
どちらが、脆いか。俺は、もう、知っていた。
これこそが、俺の、武器だった。
「よし。作戦を話す」
俺は、床に、王都の地図を広げた。現認で読み取った、この街の、隅々までの、道が、そこに、描かれていた。
◇
「満月の夜。勇者王は、西の穴の真上で、最終消去の儀をやる。国じゅうの民が、それを見に集まる」
俺は、地図の、西の一点を指した。
「そこに、二つ、俺たちの、探し物がある。囚われたノエと、奪われた原本だ。連中は、儀式の締めに、原本を焼き、ノエを供物にする気だ。……つまり、あの場所に、全部が、集まる」
「だからこそ、あそこへ、乗り込む」俺は、続けた。「派手な戦いは、しない。する必要も、ない。俺たちの目的は、勇者王を倒すことじゃない。三百年の、嘘を立件することだ」
「立件、ってのは、なんだ」ガレトが、聞いた。
「俺のいた世界の、言葉だ」俺は、答えた。「悪事を暴いて、逃げ場をなくすこと。証拠を突きつけて、誰の目にも、罪が、明らかになるようにする。……犯人を殴り倒すんじゃない。事実で、追い詰めるんだ」
俺は、懐の、控えの台帳を叩いた。
「証拠は、揃ってる。遺留品。消えた者の記録。碑文の符牒。そして、あの原本。……あとは、それを国じゅうの民の、目の前で、読み上げるだけだ。満月の光でしか読めない、最後の真実を。勇者王が、いちばん見せたい舞台の、ど真ん中で」
メルヴが、横たわったまま、掠れた声で言った。
「だが……原本は、敵の手の中だ。どうやって、読む」
「そこは、地取りで、詰める」
◇
地取り、というのは、足で、稼ぐ捜査だ。
俺は、その夜のうちに、ラドの連中を動かした。誰も、剣は使えない。だが、それぞれに、できることが、あった。
行商人は、儀式の会場へ、物を売りに入り込む商人たちに、紛れて、内部の様子を探ってきた。どこに、囚人が、留め置かれるか。祭壇の、造りは、どうか。原本は、どこに置かれるか。
鍛冶屋は、会場の、鉄柵や、鍵の造りを見てきた。
母親たちは、井戸端の、噂を集めてきた。儀式の、段取り。衛兵の、交代の刻限。
一つずつ、持ち寄られた情報を、俺は、台帳に書き留め、地図の上に置いていった。点と点が、線になり、線が、絵図になっていく。
四十年、俺が、やってきたことだ。派手さはない。だが、この地道な足の集積が、どんな魔法よりも、確かな、力になる。
「勇者王ってのは、たいしたもんだな」ガレトが、感心したように、言った。「一人で、化け物を斬るんだろ。俺たちにゃ、逆立ちしたって、無理だ」
「そこが、あいつの、弱みだ」俺は、鉛筆を止めずに、言った。「あいつは、一人で、全部やる。だから、あいつの見ていない場所のことは、何も、知らない。祭壇の上のことは、知っていても、祭壇の下で、物売りが何を話しているかは、知らない。囚人の房のことは知っていても、その房の、鍵の錆び具合までは、見ちゃいない」
俺は、絵図を指で、なぞった。
「俺たちは、逆だ。一人じゃ、何もできない。だから、みんなで、少しずつ、持ち寄る。一人の目には見えないものが、百人の目を集めれば、見えてくる。……英雄は、一人で立つ。おまわりは、みんなと、立つ。それが、違いだ」
連中の顔に、静かな、誇りが、灯った。自分たちの、地味な足が、勇者王の見落とした穴を埋めているのだ。
「わかった」やがて、俺は、顔を上げた。「筋が、読めた」
俺は、絵図の、一点を指した。
「原本は、儀式の、最後に、祭壇の火に、くべられる。その直前。祭壇の上に、原本が、置かれる、一瞬がある。……その一瞬を狙う」
「どうやって」ガレトが、身を乗り出した。
「囚われたノエを助け出す。ノエの、鈴を使う」俺は、言った。「あの鈴は、還らずの民の、本物の鈴だ。西の穴に、いちばん、響く。あの鈴をあの場所で、鳴らせば――三百年、呼ばれ続けてきた民の、魂が、応える。混乱が、起きる。その隙に、俺が、祭壇へ、上がる」
「役割を決める」俺は、地図の上に、指を置いていった。「ガレト。あんたと、力自慢の連中は、物売りに化けて、会場の東門から入れ。合図で、荷車をひっくり返して、騒ぎを起こす。衛兵の目をそっちに、引きつける」
「任せろ」ガレトが、拳で、胸を叩いた。
「鍛冶屋。あんたは、ノエの囚われてる房の、鍵をなんとかしろ。錆びた古鍵だ。あんたの腕なら、開けられる」
「朝飯前だ」
「母親衆は、子どもらと、会場の外周に、散ってくれ。衛兵が、動いたら、声を上げて、教えてほしい。あんたたちの声は、誰も、怪しまない」
みなが、頷いた。それぞれの、持ち場が、決まっていく。誰も、英雄じゃない。だが、一人ひとりの、地道な役割が、噛み合えば、勇者王の、鉄壁の舞台に、風穴を開けられる。
「そして、俺は」俺は、自分の胸を指した。「その混乱の隙に、祭壇へ上がり、原本を掴む。満月の光の下で、月光符牒を読む。……三百年の真実を国じゅうの民の、耳に、届ける」
無謀な、賭けだった。
だが、四十年の刑事の勘が、これしかない、と告げていた。
◇
夜が、白み始めていた。
俺は、廃屋の外に、出た。西の空に満ちかけた月が、白く、残っていた。あと、一日。明日の夜が、満月だ。
「ミノワ」
ガレトが、隣に、立った。
「勝てるのか。相手は、この世界を何度も救った、勇者王だぞ」
「勝ち負けじゃ、ない」俺は、月を見上げたまま、答えた。「あいつは、世界を救うふりをして、壊してる。俺は、壊されたものを拾って、返す。……ただ、それだけだ。おまわりの、仕事だ。勝ち負けなんて、初めから、関係ない」
俺は、懐の、台帳と、鉛筆を握りしめた。
思えば、この世界へ来て、俺は、ずっと、逃げていた。関わるまい、目立つまい、と。四十年、道の端で、身を縮めてきた癖が、抜けなかった。
だが、もう、端には、立たない。
明日の夜、俺は、この国じゅうが見つめる、舞台の、ど真ん中に、立つ。剣もない、魔法もない、ただのおまわりが。三百年の嘘の、真正面に。
「行こう。ノエが、待ってる。三百年、待ち続けた、村の連中も」
護送だ。
このたった一冊の真実を――やがて手にする原本をあの場所まで、守り抜いて、運ぶ。世界という大きな落とし物を持ち主に返すために。
俺たちの、世界一小さな帳場は、静かに、動き出した。
満月の夜まで、あと、一日。世界の、最後の初動が、始まろうとしていた。




