第十章 再会
王都ヴェーラは、光に満ちていた。
白い石壁。高い尖塔。金の装飾を施した、大聖堂。行き交う人々は、ラドの町の連中とは違い、身なりがよく、顔つきも、明るかった。零れの影など、どこにもないように見えた。
だが、俺の眼には、視えていた。
華やかな大通りの、裏の路地。そこに、いくつもの、白い空白が、点々と、灯っていた。豊かな王都でも、零れは、人を抜き取っている。ただ、目立たぬ場所から、静かに。そして、誰も、それを口にしない。
「今日は、祭りらしいぞ」メルヴが、群衆の声を拾って、言った。「勇者王が、また、喪の主を討つ。その討伐の儀式を民に、見せるのだと」
俺は、大聖堂を見上げた。
その金の尖塔の、いちばん深い地の底に、三百年封じられた、本当の調書が、眠っている。碑文の符牒が、そう告げていた。だが、聖堂の門には、幾重にも、衛兵が、立っていた。正面から、忍び込むのは、無理だ。
「まずは、現認だ」俺は、低く、言った。「聖堂の、地下への、入り口を探す。落とし物の在り処が、わかれば、拾う道も、見えてくる」
だが、その前に。
俺は、この目で、確かめておきたかった。この世界を救っていると、みなに信じられている、あの男の、儀式を。それが、本当に、救いなのか。四十年、伝聞を信じず、自分の眼で見てきた、俺の、性分だった。
大聖堂前の、広場へ。人波に、押されるように、俺たちは、進んだ。
広場の中央に、高い、祭壇が、組まれていた。そのてっぺんに、一人の男が、立っていた。
白銀の鎧。緋色の外套。剣を高く掲げ、群衆の歓声を一身に、浴びている。
鷲塚統吾。
十二年ぶりに見る、その顔は、老いていなかった。こちらの世界の力が、そうさせるのか、あの世で見た、傲慢な壮年の顔の、そのままだった。
俺の、掌のなかで、鉛筆が、みしりと、鳴った。
◇
「見よ、我が民よ」
鷲塚の声が、広場に、朗々と、響いた。
「また、喪の主が、目覚めようとしている。世界を零れで、蝕もうとしている。だが、案ずるな。この私が、いる限り、世界は、救われる」
群衆が、沸いた。勇者王、勇者王、と、地鳴りのような、唱和が、起きる。
祭壇の上で、鷲塚は、剣を振り下ろした。
まばゆい光が、空へ駆け上がった。魔法の、光の柱。それが、西の空に向かって、放たれる。喪の主を討つ、光。
群衆が、歓喜の、悲鳴を上げた。救われた。今年も、勇者王が、世界を救ってくださった。
子どもが、親の肩の上で、手を叩く。老人が、涙を流して、祈る。物売りが、勇者王を象った菓子を飛ぶように売る。誰もが、幸福だった。誰もが、救われたと、信じていた。
だが。
俺の眼だけが、視ていた。
その光の柱が、西の空を貫いた、その瞬間。
広場の、裏の路地の、白い空白が――一つ。息をひとつ、吐くほどの間を置いて、また、一つ。光が、放たれるたびに、増えていく。歓声が、高まるたびに、深まっていく。
俺は、路地の奥に、視た。
さっきまで、飴を売っていた、小柄な女。その姿が、光の柱の余韻のなかで、すうっと、薄れ、消えた。あとに、売り物の飴を並べた盆だけが、地面に、ことりと、落ちた。
誰も、気づかない。誰も、その女がいたことをもう、思い出せない。歓声は、続いている。
零れが、深まっていた。
勇者が、救うと叫ぶ、その裏側で。
「……そういう、ことか」
俺は、呻いた。全身の、血が、冷えた。
あの光は、喪の主なんか、討っちゃいない。喪の主なんて、いないんだから。あれは、ただ、西の穴を無理やり、こじ開けている。派手な力で、蓋を殴りつけている。そのたびに、穴は、広がり、人が、余計に、吸い込まれる。
鷲塚は、救うふりをして、世界を壊していた。
しかも、たぶん、本人は、それに気づいてすら、いない。
◇
俺は、人波をかき分けた。
「ミノワ、どこへ」ノエが、慌てて、追ってくる。
止まれなかった。四十年、間違った初動を見過ごせない性分だ。それが、世界を壊しているなら、なおさら。
祭壇の、下まで、たどり着く。衛兵に、槍で、行く手を阻まれた。
「鷲塚ッ」
俺は、腹の底から、声を張った。四十年、雑踏で、人を止めてきた、おまわりの、声だ。
その声が、届いたのか。祭壇の上の男が、ふとこちらを見下ろした。
傲慢な目が、俺を捉える。
最初、その目には、なんの感情も、なかった。ただの、無礼な民。だが、次の瞬間。
鷲塚の、片眉が、わずかに、動いた。
「……ほう」
男は、剣を下ろした。そして、薄く、笑った。
「これは、驚いた。蓑輪、じゃないか。落とし物係の。まさか、貴様まで、こちらへ、流れてきていたとは」
覚えていた。あの男は、俺を覚えていた。十二年前、爪で、一行を弾いた、その相手を。
◇
鷲塚は、祭壇を悠然と、降りてきた。
衛兵に、囲まれ、群衆に、傅かれながら。俺の、目の前に、立つ。
「相変わらず、冴えない、面だな」鷲塚は、俺を上から下まで、眺めた。「あの世でも、この世でも、落とし物拾いか。よくもまあ、そんなみみっちい仕事に、しがみつけるものだ」
「あんたに、聞きたいことがある」俺は、その侮蔑を受け流した。「あの光。喪の主を討ってるんじゃない。西の穴をこじ開けてる。討つたびに、零れが、深まってる。……気づいてるか」
鷲塚の、笑みが、消えた。
「何を馬鹿な」
「遺留品が、そう言ってる。消えた者に、争った痕が、ない。喪の主なんて、いない。あんたが、討ってるのは、幻だ。そして、幻を斬るたびに、本物の穴が、広がってる」
一瞬。
鷲塚の、目の奥が、揺れた。図星を突かれた者の、揺れだった。
だが、それは、一瞬だった。
「……くだらん」男は、吐き捨てた。「仮に、そうだとして、それが、どうした。民は、私を崇めている。世界は、救われたと、信じている。誰も、不幸になっていない。それで、いいだろう」
「人が、消えてる」
「消えた者のことなど、誰も、覚えていない。覚えていないなら、いなかったのと、同じだ」鷲塚は、平然と言い放った。「私は、目に見える、勝利を与えている。貴様のように返らぬ落とし物を後生大事に、抱えているより、よほど、世のためだ」
周りの群衆は、俺と鷲塚の、やり取りを遠巻きに、見ていた。だが、その耳には、俺の言葉は、届いていないようだった。勇者王に、盾突く、頭のおかしな老人。連中の目は、そう、言っていた。
なるほど、と俺は思った。この男の強さは、剣でも、魔法でも、ない。「誰も、疑わない」という、その一点だ。真実を言っても、狂人に、されるだけ。四十年前も、そうだった。声の大きい、位の高い者の嘘は、小さな真実をいつだって、握りつぶす。
その言葉に。
俺の、十二年が、静かに、燃えた。
覚えていないなら、いなかったのと、同じ。この男は、十二年前も、そう言って、一人の子どもを見殺しにした。そして、この世界でも、同じ理屈で、何百、何千もの民をなかったことに、していた。
「――覚えてる奴が、いる」
俺は、低く、言った。背後の、ノエをそっと示す。
「あんたが、なかったことにした、その一人ひとりを。覚えてる奴が、ここにいる。そして、俺は、それを全部、書いてある」
鷲塚の、視線が、ノエの、首の鈴に、留まった。
その瞬間、男の顔が、初めて、はっきりと、歪んだ。侮蔑でも、余裕でもない。焦りに、近い、何かに。
「……その鈴は」
鷲塚の、余裕の仮面が、剥がれた。この男が、こんな顔をするのを、俺は、初めて見た。あの鈴を――還らずの民の紋をこの男は、何より、恐れている。
なぜだ。単なる、生贄の民の、忘れ形見。もう、なかったことにした、はずの相手。それをなぜ、勇者王ともあろう者が、これほど、恐れる。
そこに、この事件の、いちばん深い、闇があると、俺の勘が、告げた。
鷲塚は、衛兵に、鋭く、命じた。
「その娘を捕らえろ。――還らずの民の、生き残りだ」
衛兵の、槍の穂先が、いっせいに、ノエへ向いた。
ノエが、俺の背に、隠れる。その細い体が、震えていた。
俺は、ノエを庇って、両手を広げた。剣もない。魔法もない。ただの、おっさんの、痩せた背中一つで。
「――こいつは、俺が、預かってる落とし物だ」
俺は、鷲塚を睨み据えた。
「返す相手が、決まるまで。誰にも、渡さん」




