108 クラン『冬景色』その10です。
「いっくぜー!」
「「「おー!」」」
無限術師の分身が4、50人ほどナディアに突撃してきた。
なんのひねりもない力押しだが、この人数とパワー相手には、ほとんどの冒険者が押しつぶされるだろう。
「いくわよ」
短く呟いたナディアは、スタスタと足を進め、それに応えた。
まずは、斬りかかってきた1番手前の兵隊を右手の剣で斬り払った。スキルを使わない、純粋な剣術の技量による一撃で首筋を掻き切りながら前に出て、別の分身に左の一撃を走らせる。
二人を切り捨てたナディアに剣と槍の群れが迫った。その数8。
ふた振りの刃では到底防げぬはずの攻撃に更に前に出る。
ステップにより狙いをずらし、それでも迫り来る剣先を左右のつららで受け止める。
そのままこう着状態――にはならなかった。
スキル、伝波。
自分の闘気を衝撃波に変え、剣から剣へ、剣から腕へ、腕から胴体へ流すことで相手を昏倒させた。
自由になった両腕で横薙ぎに一回転、それだけで5人仕留めた。
更に、もう、一回転しようとして、盾を装備した兵隊に止められた。
勢いが止まった処へ、四方から押し寄せてくる。その勢いは身を守ることなど考慮されていない。
――そりゃそうね。あっちは差し違えればいいんだから。
得心しつつ、そんな捨て身の特攻兵を魔法で迎え撃つ。
「アイスニードル!」
10本の氷の針が、特攻兵を襲いかかった。これが、ナディアの絶技。剣を振りつつ、魔術も行使できる。魔法剣士は数多いても、それができるのは5人、いや、3人もいないだろう。
「うわ!」「げっ!」「つめた!」
氷の針に貫かれ、連携が乱れた所に踏み込んで、二つの刃で斬り伏せていく。そして、更に魔法による水流が一方の分身たちを押し流した。
流れるような連撃がナディア独特のスタイル。双剣とスキルと魔法による圧倒的な手数で押して押して押しきる。
たった一人で、何十人という敵を打ち倒すナディアに周囲のギャラリーが歓声を上げたが、ナディア自身は誇る気にはなれない。
既に20人以上倒しているのに、奴らは全く怯えもせずに、変わらぬ突撃を繰り返してくる。
――くっ。
それに対して、ナディアも押すしかない。受け身に回ったら、あっという間に潰される。
津波のごとく押し寄せる兵隊たちを、剣と魔法で迎え撃った。
斬って、潰して、凍らせて、更に斬る。
息をつく間もなく、剣を振り続け、魔法を出し続け、全力を振り絞り続け、襲いくる最後の一人をスラッシュで切り裂いたナディアが、呼吸を荒げながら前を向くと、そこには何ら変わることのない奴らの姿があった。
「お姉さん、すげー!」
近くの兵隊からの、感心するような賞賛が、彼我の戦力差を明確に示していた。
4、50人、減らしたぐらいじゃ、まるで効果がない。それどころか、ずっと突っ立っているだけのガキの周囲では、ポコポコと分身が呼び出されていて、むしろ『冬景色』の面々が減らした分まで補充されている。まさか永遠に呼び出せもしないだろうが、今のところ……。
まるで底が知れない。
でも、そんな奴と戦うことは初めてではない
第1陣を斬り伏せたナディアに、奴らは、再び突撃の気配を見せる。今度は100近い規模だ。
――今度は凌げないでしょうね……。
数が増えたからというのもあるが、問題はむしろナディアの方にある。
最近、前線を退いていたナディアは、動きのキレこそ衰えていないが、スタミナは確実に落ちた。先ほどまでの動きはいつまでも出来ないだろう。
絶望的な状況だが、降参する気は全くない。無傷で負けを宣言する位なら、ズタボロにされて地面に這いつくばる方を選ぶのがナディアだ。
――それに、勝ち目が全くない訳でもないしね……。
今までの戦いぶりを見て、剣を交えて見て分かった。
この無限術師は数の暴力と呼べるような凄まじい力を有する反面、まだ未熟な所も数多い。
奴らの剣や槍の腕前は初心者そのものだし、連携もなってない所があった。おそらく対人戦の経験がほとんどない。
何より、繰り出される攻撃に殺気がない。それどころか、殺さないように配慮しているようにすら思える。
じゃなければ、『冬景色』が誰一人として死んでいない説明がつかないし、今だって馬鹿正直に切り結ぶのではなく、先ほどのように四方八方から矢なり炎なりを撃ち込めばいいのだ。
――まだまだ、甘っちょろいわね。
こいつは、まだ若く未熟だ。
とはいえ、それは裏を返せば、こいつの伸び代とも言える。
これだけの強さを持ちながらまだまだ発展途上とか、冗談にも程があるが、今の時点では只の隙だ。
遠慮なく、つけ込ませてもらう。
ナディアは両手の双剣を地面に突き刺した。
武器を手放すという行為に奴らが戸惑っている間に詠唱を始めた。
「彼方より此処へ、乞い願うは氷雪の主、……」
ナディアの最大の切り札、精霊召喚。中級魔法までならともかく、流石に上級魔法クラスやそれ以上を、剣を振りながら発動することは出来ない。
そんなナディアの意図を察した奴らが、呆れた声と共に動き出した。
「いや、前衛も無しに無茶でしょ?」
その言葉と共に振り回される槍を、回避することが出来ずに吹っ飛ばされた。
ナディアは空を飛んだが、クスッと笑った。
――やっぱり、刺してこなかった。
ぶん殴れば充分だと、無防備の自分にそこまでしないと読んだ。実際、普通ならそれで魔法は止まる。
でも、かつて、この迷宮都市において5本の指に入ると言われた事は伊達じゃない。
自分は殴られた程度で魔法を止めない。
地面をゴロゴロと転がりながらも、次元の向こうの存在に告げた。
「来なさい、スザナイル」
変化はすぐに訪れた。自分の魂とでもいうべき場所に、とてつもない力を秘めた存在が重なっていた。
そのとてつもない力は、とても自身の体内に留めて置けず、凍てつく波動となって外に漏れ出した。
止めとばかりに近づいていた奴らが、その波動を受けて動きを止めた。体の7割以上が凍り付いていた。
「えっ……ええ⁉︎ まさか精霊召喚⁉︎ ぶん殴られたのに⁉︎ 嘘でしょ⁉︎」
「ほんとよ」
ナディアは軽口を返しながら軽業師のようにひらりと立ち上がると、無限術師本人を見定めながら、精霊の力を顕現させた。
どこからともなく水が集まり大蛇を形作ると、氷の鱗が隙間なく体を囲う。
『ヒュィィィィィィィィ!』
生まれ落ちた大蛇が咆哮を上げた。視界をリンクさせると、巨人になった気分だ。とりあえず尻尾を一振りして半径5メートル内にいた分身たちをなぎ倒す。
そのままナディアを中心にしてとぐろを巻き、鉄壁の盾となると同時に、大きく息を吸った。
出し惜しみはしない。ナディアの数多ある技の中でも最強の技。
――ここで決める!
その決意と共に、大蛇がドラゴンすら凍らせる極北の息吹を吐き出した。
一方、やつらも、いつまでも動揺はしておらず、ヒビキ本人と副隊長の前に人垣で壁を作って盾となり、残りは人差し指を突き立てて、炎弾を大蛇めがけて打ち出した。
冷気と炎。相反する力がぶつかり合い、冷却と沸騰を繰り返した大気が破裂する音が闘技場に響き渡った。
――……これですら押し切れない!
氷精の息吹と無尽の炎弾は奇妙な具合に拮抗していた。
互いが互いを打ち消しあって、どちらの攻撃も相手に届かない。
僅か30秒にも満たぬ押し合いはナディアを著しく消耗させていた。精霊を自分の中に入れるのはそれだけ酷なのだ。
極度の疲労で幻聴が聞こえた気がした。
『まったく、意味のない戦いで意地を張りおって、愚かじゃの……』
違う。幻聴ではない。この冷めた声は自分の内側から発せられている。魂が重なることでテレパシーのように繋がっている。
『そんなことないわよ、年寄りは訳あり顏で達観したようなこと言うから、やーね』
いつまでも、自分を子供扱いする爺いを軽くディスってみたが、相手は揺るぎもしなかった。
『嘘を吐くではない。お前自身が、もはや冒険者としての自分の存在価値を認めておらんだろうが』
『…………』
心が繋がっているとも言える今の状況で偽証は不可能だ。
言い返せないナディアに相手は更に続けた。
『自分がクランのリーダーに居続ける事で、冒険者の安定を守る……か? お前如きの影響がどれほどあったかはともかく、最早その必要はなかろう? 目の前の奴らを見よ、奴らの強さは既に龍を越えている。そして今、衆目の前でその力が示された』
まったくもって正論だ。何一つ言い返せない。クランの間で、賢帝の誓約を撤廃しようなんて動きがあったのは、ようするに誰もその基準が越えられなかったからだ。こうして、龍を殺せる存在が現れた以上、撤廃しようなんて動きは。弱者の戯言として消え去るだろう。
『それともクランのリーダーとしての責任か? それこそ無用だ。自らの足で立つのが冒険者であり、それができぬ部下はおらんのだろう?』
それも、爺様の言うとおり。『冬景色』の連中は有能だ。クランがなくなった所でそれぞれの道を行く。
弟にせよ、また一からやり直せばいいだけの話だ。なんだかんだいってここ数年、ナディアの代わりにリーダーとしてやっていたのだ。見放す奴もいるだろうけど、ついて行く奴もいるだろう。
『子供がいるのだから、あまり無理をするな』
『…………』
嘘がつけないのはお互い様だ。結局、爺様はこれを伝えたかったのだろう。まったく、年寄りは回りくどくて困る。
――ごめんね、ルーちゃん。ママ、もう少しだけワガママするわ。
心の中で息子に謝りつつ、より力を解放する。
少しずつ、氷結の息吹が勢いを増していく。同時に、ナディアの精神が削れていく。
『おい』
『ごめん、爺さま。……まあ、爺さまの言うとおりなんでしょうよ。もう私が冒険者として居続ける理由なんてない。この勝負、勝っても負けても私は引退するわ。……でもね』
そこで一息入れて、それでも自分が譲れない理由を告げた。
『でもね、爺さま。自分より一回り年下のガキに、余裕しゃくしゃくで勝たれるのも、むかつくじゃない?』
『……』
『……』
何度も繰り返すが、今のナディアと水精スザナイルの間で偽証は不可能である。つまり、ナディアの今の言葉が真実だと、スザナイルには伝わるわけで……。
『こ、この馬鹿が! ちょっとは大人にならんか!』
『うっさいわ、爺さま! 今日で冒険者を止めるにしても、今はまだ冒険者なのよ! なら最後の最後まで全力を尽くすのが筋ってもんでしょう! 大体、元から私は負けず嫌いでしょうが!』
呆れてものも言えなくなったスザナイルに、ナディアは更に続けた。
『ねえ、爺さま。私はもうちょっと息子が大きくなったら、きっと私が冒険者だった頃の話をするわ。その時に、最後はやる気がなかったなんて言いたくない。負けたことも失敗したこともあったけど、最後まで全力だった、そう話したいのよ』
『…………』
『それに爺さまだって、私が引退したら、次に召喚されるまで出番なしでしょ? だったら派手に暴れといたら?』
『…………全く、初めて会った頃から、変わらぬ馬鹿娘よの』
そのセリフとは裏腹に、乗り気になったことが伝わってきた。
更に精霊の力を引き出した。
「いっけええええ!」
その言葉と同時に、更に勢いを増した息吹が炎を凌駕し始めた。少しずつ押していく。
そして、遂に奴らの前衛にまで届いた。
シールドをうち破り、その身を凍らせていく。
「うわ!」「おわ!」
一列目を凍らせて、二列目も凍らせて、三列目も凍らせていく。
奴らが次々と氷の彫刻に変わりゆく様に、――いける。そう確信した。
だが、次の瞬間、大蛇の頭上から奴らが降ってきた。
――はっ?
意表を突かれたし、意図がわからなかった。
転移で移動してきたことはわかるのだが、武器も防具も持っていない。至近距離からファイヤーボールをぶっ放すにしても、数十人で氷の鱗を突破できるとも思えない。
一体、どういうつもりなのか? 疑問に思いつつも、大蛇の上にへばりついている奴らを振り落とそうとした瞬間、大爆発が起きた。それも至る所で。
至近距離の大爆発は、氷の大蛇を呑み込んだ。
全方位から、大蛇の体を破壊しながら襲いくる衝撃にナディアは全身を揺さぶられた。
暗転。
一瞬、意識を失って、気がついたら地面に転がっていた。
――まだ、手札を残していたのね。
感覚的に五体満足であることはわかったが、立ち上がる力は残っていなかった。スザナイルとの繋がりも切れていた。
『じゃあの』
幻聴が聞こえた気がした。
「じゃあね、爺さま」
虚空に呟いたナディアの元に、分身が1人、近づいて来た。
いや、隣に空間術師もいる。分身じゃない、無限術師本人だ。
「正直、今日の決闘で自爆を使う気なんてなかったのに……いやー、お姉さんはんぱねーわ。さっすが、雪の女王様」
初めて聞く、無限術師本人の言葉は、ナディアへの賞賛だった。
その噓偽りのない賞賛が、勝者と敗者を明確に表していた。
悔しいし、むかつく。
それでも、言わなければならない言葉がある。
「私たちの負けよ。『冬景色』も今日で解散するわ」
「よっしゃ! ……じゃあ決闘も終わったから、お姉さん、手を貸そうか?」
「いえ、いいわ、むかつくから」
ナディアがはっきり言うと、ヒビキは気まずそうな顔をした。
「うえ! ……まあ、だよねー……じゃ、じゃあお姉さん、俺まだやることあるから、さようならー」
そそくさと去っていくその後ろ姿は、怒られて逃げ出すガキそのもので到底、強者の背中とは思えない。
だが間違いなく、これからの迷宮都市の中心になるだろう。
――あいつと、どっちが強いかしら?
ふと気になったが、ナディアは頭を軽く振って、その考えを追い払った。
もう自分は冒険者ではない。そして、冒険者以上に大変な母親という役目に専念しなければならない。
――でも、その前に休憩ね。
限界だった。爆発の衝撃以上に精霊召喚の精神的疲労が酷かった。ナディアは睡魔に身を委ねた。
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「決着がつきましたね。ヒビキ君たち、蒼の軍勢の勝利です」
「強い! 強い! ありえないぐらい強いです! クランを丸ごと! 雪の女王と呼ばれるナディア=ララバイの精霊召喚すらうち破りました! いや、ほんと、どうなってん無限術師⁉︎」
「そうですね……本人の資質か、それとも無限術師が大器晩成型のジョブだったのか、いずれにせよ、これまでの常識を覆しましたね」
「もしかしたらもしかして、ヒビキ君、迷宮都市で最強なんじゃないでしょうか?」
「その可能性は大いにありますね。そもそも、ナディアさんの精霊召喚が攻撃力において、都市最強と呼ばれていたので、それを打ち破ったヒビキ君は現時点で最強と呼ばれてもおかしくは無い……なんですかね?」
「うん? あっ! ヒビキ君こっちに手を振っています! もしかして、私のファンなんでしょうか⁉︎ ありがとう!」
「いえ、ヒルヒルダさん。そうではなくて、拡声器を貸して欲しいんじゃないですか? あっ、頷いていますね」
「そうですか、残念です。……遠慮なくファンになって貰ってもいいんですよ? それはともかく、ヒビキ君、はいパス!」
「とっと……おけ、ありがとう! ……えー、無限術師のヒビキです。見ての通り『冬景色』に勝ちました。その上で、見物に来ているだろう、他所のクランに言っときたい事があるので聞いて下さい。もしいないのなら、誰か伝えて下さい」
「最近、クランに入れとか、うちのフルル君を譲ってくれだの、そういった勧誘がうっとうしい。いや、ほんと、こっちの都合も考えずにマジでうっとうしい。そんな奴らに、もう何回も言ったが、あらためてもう一度言うぜ? 俺は天位の座を目指して忙しい。だから、クランのあれこれに関わる気はまるで無い! フルルを譲る気もさらさら無い!」
「だから、勧誘はもう止めてくれ。そして、空間術師の育て方は領主の息子のアーレストさんに託すから、知りたい奴はそっちへ行ってくれ! その他の面倒ごとも、全部アーレストさんに言ってくれ!」
「ここまで言っても、それでもうっとうしくクランの勧誘に来るなら……そんときゃ戦争だ! 俺と俺の軍勢でクランごと叩き潰すからな! 以上!」
ヒビキの宣言に観衆は一瞬静かになって、次の瞬間歓声で答えた。
「これは凄い。他のクランに堂々の宣戦布告。よほどの大物か、もしくは馬鹿か、いずれ……」
「凄い! 凄い! この強さなら本当に天位の座に届くかもしれません!」
「ちょ、ヒルヒルダさん、私の拡声器……」
「もしかしたら、歴史上、9人目の天位が生まれるかもしれないぞ! いや、見逃せません! 見逃せないぞ! みんなも注目するように!」
「ヒルヒルダさん! 私の拡声器!」
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タワワ=リンゴレッドは観衆に紛れて椅子に座っていた。
基本、彼女はこういった大勢の前だと周囲の視線を集めてしまうし、実際、クラン決闘が始まる前は視線が集まっていた。
でも、今は誰もタワワを見ていない。
全ての人間がヒビキを見て歓声をあげている。
「凄え! 『冬景色』を一人で全員倒しやがった!」
「無限術師、全然使えるじゃねーか! むしろ怪物だろ⁉︎」
「マジであいつ、天位になんじゃねーの⁉︎ クランを一人で倒す奴なんて聞いたことねーよ⁉︎」
周囲のざわめきに、タワワはぎゅっと小さな拳を握った。
心配で見に来たが、結果として心配する必要などなかった。
――ヒビキは強くなった。
初めてヒビキに出会った日、あいつは天位の座に就くと宣言した。
その時、周囲の人間はヒビキをあざ笑っていた。
今日、あの時より、遥かに大勢の前で同じことを宣言して、認められている。
認められる程にあいつは強くなった。
そう、自分よりも……。
今のタワワに、自分がヒビキと正面から戦って勝てる光景が思い浮かばない。
周囲の人間が熱狂するなか、タワワは複雑な気持ちを抱えながら闘技場を後にした。




