05:マンガ肉……とは?
ララノーラが街での買い物を満喫した日の深夜。
バルトロは一人、執務室で書類に目を通していた。
彼が読んでいるのは、護衛騎士たちが書いたララノーラの街歩きの報告書だ。
そこには、楽しそうに街を歩く娘の姿が綴られていた。
──やはり、ララを外出させてよかった……。
そんな思いで胸がいっぱいになったバルトロの口元には、柔らかい笑みが浮かんでいる。
『青果店で買った果物を食べて、嬉しそうに微笑んでいました』
『果実を絞った色とりどりのジュースの前で、どれにするかを真剣に悩んでいました』
文字を見ただけでありありと娘の姿が目に浮かび、自然と笑みが深まる。
『野菜や果物の選び方を店主に教わりながら、真剣な表情で選んでいました』
『薬屋で、薬草やポーションを興味深げに見ていました』
なるほど。なるほど。
街の様々なものに触れて、刺激を受けたのだろう。
実に素晴らしい。いい気分転換になったようだ。
『屋台で肉串を焼く様子を楽しそうに見ていました』
『口の周りにソースをつけながら、肉串を美味しそうに頬張っていました』
「ははは……」
口にソースをつけるララノーラを想像し、思わず笑い声をあげた。
すっかり大人になってしまった娘だが、昔はそんなこともよくあった。
彼女がまだ小さな頃、お菓子を食べた後などに、汚れた口を拭いてやったことを思い出す。
『魔法屋で、楽しそうに魔導書や魔道具を見ていました』
『武器屋で、楽しそうに武器を見ていました』
「え?」
武器屋?
それは、バルトロの知るあの武器屋だろうか……。
魔法屋はわかる。
魔道具は美しい装飾を施したものもあるので、好きな女性がいるからだ。
しかし、武器……とは。
剣とか、槍とか。あの武器だろうか。
バルトロは自分の目がおかしくなったのかと思い、一度目頭を軽く揉んだ。
大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出す。
そうやって心を落ち着けてから、報告書を読み直す。
『魔法屋で、楽しそうに魔道具を見ていました』
『武器屋で、楽しそうに武器を見ていました』
そこには、確かにそう書かれている。
そのことに唖然とし、しばし呆ける。
しばらくして、彼なりの結論を出した。
──よっぽと、物珍しかったのだろう。色んなものに目を向けるのはいい傾向だ。
彼は自分を納得させるかのように、何度か首を縦に振った。
そして、報告書に目を戻す。
「はっ?」
思わず声が出てしまった。
バルトロは気持ちを落ち着けるために、温くなったお茶をひと息で飲んだ。
そして、もう一度、報告書に目を戻す。
──これは何かの間違いだろうか?
『肉屋やダンジョン産の食品を扱う店を、楽しそうに何店も巡っていました』
『大きな肉の塊をいくつも買っていました』
『肉の塊を片手で持ち上げられるか、何度も試しているようでした』
何度読み返しても、疑問しか浮かばない。
──何故、娘は肉を買ったのか?
──何故、娘は肉を片手で持ちあげようとするのか?
「料理人になりたいのか?」
多くの「?」を頭に浮かべたまま、バルトロの夜は更けていく。
「ララ、街は楽しかったかい?」
翌日の昼食後、バルトロはララノーラの元を訪れた。
午前中のうちに、ルーカスとイルマから街での様子を詳しく聞いたが、それでも娘の行動は理解できなかった。
彼らの主張はこうだ。
「『マンガニク?』という料理を作りたいそうです」
「『キントレ?』というものが必要だそうです」
「肉は片手で持てないと『かっこよくない』そうです」
それに焦れたバルトロは、ララノーラに聞いてみることにしたのだ。
お茶を飲みながら向かい合っている娘は、いつも通りの上品な笑みを浮かべている。
間違っても、生肉の塊を片手で持つようなことをするようには見えない。
そんな父の胸の内を知らぬララノーラは、満面の笑みで口を開いた。
「お父様。わたくし、食べてみたい料理がありまして……」
「ああ、どんな料理だい?」
バルトロは思った。
遂に「マンガニク」の正体がわかる、と。
娘の不可解な行動の意味がわかる、と。
「えっと……」
ここで、ララノーラは考えた。
──マンガ肉の料理名って何だったっけ?
マンガ肉。
そう当たり前に呼んでいたが、あの大きい骨付き肉を焼いた料理の正式名称。
……………………。
──知らないわ。そんなこと、考えたこともなかった。
グルグルと前世のオタク知識をフル動員する。
「……えっと、『マンガ肉』という料理です」
結局、彼女は面倒になってこう答えた。
マンガ肉はマンガ肉でしょう、という感じで。
彼女が上品に何かを考えている様子を黙って見ていたバルトロは、表面上は普段と変わらぬ紳士然とした柔らかい笑みを浮かべていた。
しかし、その胸の鼓動は早く、握りしめた手には汗が滲んでいる。
娘の口から「マンガニク」という言葉を聞くなり、彼は心の中で叫んだ。
──来た、来た、来たー。
そんな様子は露ほども見せず、バルトロは落ち着いた声を出した。
「初めて聞く料理だね? 外国の料理なのかな? どんな料理だい?」
少しだけ、早口になってしまった。
畳みかけるように、前のめりで質問を重ねてしまった。
しかし、聞きたいことは質問できた。
彼は何食わぬ顔で優雅にお茶をひと口飲み、娘の返答を待つ。
「ええ、ええ……。遠い遠い国の料理なのです。昔、本で読んだことがあって……。簡単に言うと、肉を焼いたものですわ」
全て間違っていない。
遠い遠い国である日本で、前世という昔に、漫画という素敵な書物を読んで知った料理だ。
──肉を焼いただけ?
バルトロは目を丸くした。
「それは、ステーキみたいな料理なのかな?」
そんな父の言葉に、今度はララノーラが目を丸くした。
彼女は頬に手を当てながら、何かをかみ砕くかのように考える。
その仕草は上品で、貴族女性のお手本のようだ。
「そう、ですわね……」
難しい顔をしながら、ララノーラはこの世界で得た知識をフル動員する。
しかし、この世界にはマンガ肉に似た料理は思い当たらない。
……というよりも、前世の日本でもマンガ肉に似た料理を口にした記憶がない。
──大きい肉の塊といえば……ケバブが一番形状は似ているかしら? でも、あれは薄切り肉を重ねたものよね? 塊で焼くとなると……ローストビーフ? でも、ローストビーフには骨が付いていないし。
悩みに悩んでよくわからなくなった彼女は、こう結論付けた。
──肉を焼いた、という意味ではマンガ肉もステーキの仲間ね。
難しいことを考えるのが面倒になったララノーラというより小春は、ニッコリと微笑んで口を開いた。
「……ええ、だいたいそんな感じですわ」
街に行ってからのララノーラは、前世の小春の思想や性格が強く反映されつつある。
二人の異なる人間の間で、ゆらゆらと揺れていた人格が定まってきたというべきか。
それとも、異世界に興奮したオタクの勢いに、ララノーラの上品さが負けていると言うべきか。
マナーや振る舞いは上品な貴族女性そのものだが、その内はただのオタクと化しつつあった。
結局、バルトロは「マンガニク」の正体も、娘の不可解な行動の理由も、よくわからなかった。
しかし、目の前で瞳を輝かせる娘を目にして、思ってしまった。
ララが楽しそうなら、なんでもいいか、と。
謎の「マンガニク」も、どんな料理か料理長に聞けばいいか、と。
結局、それ以上は深くつっこまず、彼は料理長に「マンガニク」を作ってもらう許可を出してしまった。
ついでとばかりに「作る様子を見たい」という、娘の願いも軽い気持ちで了承してしまった。
「ありがとうございます! お父様!」
目の前で満面の笑みを浮かべる娘の可愛らしさに、気をよくしたままで。
のちに、彼はこの日のことを少し後悔する。
もう少し慎重に返事をしておけば、と思ったりもする。
オタクという生物が暴走をし始めると危険だということを、身を持って知ったりもする。
しかし、今はそんなことを知る由もないのである。




