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第2話:スライムの賢者と初めてのスタック



巨木が消し飛び、霧が綺麗に払われた奇妙な空間で、龍騎は自身の両手を見つめながら息を整えていた。体に異常はない。むしろ、細胞の一つ一つが歓喜の声を上げているかのように、力が満ち溢れている。

「それにしてもお兄さん、本当に凄いです! ボク、何百年もこの森の近くにいますけど、付与魔法を自分に何重にも重ねるなんて人間、見たことも聞いたこともありませんよ!」

肩の上で、グリーンスライムのポムが興奮したようにぷるぷると身体を波打たせている。その可愛いらしい声が、ダイレクトに龍騎の脳内へと響く。

「ああ。俺自身、さっきポムに言われるまで気づかなかった。他人に弾かれるなら、自分にかければいい。理論としては単純だけど、普通は肉体や魔力回路が拒絶反応を起こして破綻するらしいな」

「そうなんです! 通常の人間は、他人の魔力はもちろん、自分の魔力であっても許容量を超えて付与されれば、器である身体が壊れてしまうんです。でも、お兄さんの肉体は、まるですべてのバフを底なしに吸い込むブラックホールみたい。これ、戦術的に考えたらとんでもないことになりますよ?」

ポムは小さな身体をきゅっと縮め、まるで偉い学者のような口調で念話を続けた。

「いいですか、お兄さん。さっきは筋力上昇だけを百回重ねましたけど、付与魔法には他にも種類がありますよね? 俊敏、防御、感覚強化、属性耐性……それらをお兄さんのさじ加減一つで、必要な分だけ、必要な時にスタックできるんです。たとえば、敵が素早ければ俊敏を五十回、一撃が重ければ防御を百回、という風に!」

「なるほどな。状況に合わせて、自分だけの最強のステータスをその場で作る、か」

「その通りです! 戦闘の主導権は常にお兄さんが握ることになります。ボクが周囲の索敵や魔力探知を担当して、お兄さんに最適なスタック数をアドバイスします。これなら、どんな凶悪な魔獣相手でも遅れはとりません!」

頼もしい相棒の言葉に、龍騎の胸が高鳴る。ハズレと蔑まれた魔法が、戦術の天才であるスライムの知恵によって、恐るべき可能性へと昇華されていくのを感じていた。


ポムを肩に乗せ、龍騎はさらに森の奥へと進んでいた。夜の静寂を切り裂くように、突風が木々を揺らす。白樺の白い幹が、立ち込める霧の向こうでまるで幽霊のように浮かび上がっていた。

カツン、と鋭い金属音が響いたのは、それから間もなくのことだった。

「助けて、くれ……っ!」

若い男の悲鳴が聞こえる。

龍騎が気配のする方へ視線を向けると、少し開けた低木地帯で、新米の狩猟者らしき少年が地面に尻餅をついていた。手にした粗末な短剣は折れ、恐怖に顔を歪めている。

少年の目の前にそびえ立っていたのは、異常な姿をした植物型の魔獣だった。太い蔓が何本も蛇のようにうねり、中央には人間を丸呑みできそうなほど巨大な、牙の生えた捕食花が咲いている。蔓の表面は硬い樹皮で覆われ、不気味な緑色の粘液を滴らせていた。

「お兄さん、あれはツイン・ヴァインです! 植物型の魔獣ですけど、あの蔓の打撃は並の戦士の盾を木っ端微塵にする威力があります!」

ポムの警告の念話と同時に、魔獣の蔓が鋭い音を立てて少年に振り下ろされた。

「チッ、させるか!」

龍騎は瞬時に魔力を練り上げる。今回はさっきのような一撃の破壊力ではなく、少年を救い出すための速さと、万が一の相打ちに備える硬さが必要だ。

「付与魔法――俊敏上昇、五十重スタック。さらに、防御上昇、五十重スタック!」

体内を駆け巡る魔力の術式が、龍騎の脚の筋肉、そして皮膚の表面へと急速に重なり合っていく。彼の身体から、青白い火花のような魔力粒子が激しく弾け飛んだ。


魔獣の蔓が少年の頭部に直撃する――その直前、世界が完全に静止したように見えた。

いや、静止したのは世界ではない。五十倍に跳ね上がった龍騎の速度が、周囲の時間の流れを相対的に遅く感じさせているのだ。

「はっ!」

地面を蹴った龍騎の身体は、文字通り光の矢となって空間を駆けた。足元の土が爆発したように弾け、次の瞬間には、少年と魔獣の間に龍騎が割り込んでいた。

ドゴォォォン!!

激しい衝撃音が響き渡る。魔獣が全力で叩きつけた樹皮の蔓は、龍騎の掲げた左腕の数センチ手前で、まるで見えない鉄壁にぶつかったかのように完全に停止していた。五十回重ねられた防御バフの効果は伊達ではない。衝撃波が周囲の霧を円形に吹き飛ばしたが、龍騎の腕には一本の傷はおろか、痛みすら生じていなかった。

「な、なんだって……!?」

地面に倒れていた少年が、目を丸くして絶句する。

「悪りぃが、その蔓はもう使わせないぜ」

龍騎は冷徹に言い放つと、今度は右拳に意識を集中した。すでに発動している俊敏バフの勢いをそのまま拳に乗せる。

目にも留まらぬ速さで繰り出された、ただのストレート。

ズ、ドォォォォン!!

空気が悲鳴を上げるほどの風圧と共に、龍騎の拳が魔獣の強固な幹へと突き刺さった。筋力バフはかけていない。しかし、五十倍の速度から生み出される運動エネルギーは、それだけで天災級の破壊力を持っていた。

巨大な植物魔獣の身体が、打撃の瞬間から歪み、次の瞬間には風船が破裂するように木っ端微塵に弾け飛んだ。緑色の体液と樹皮の破片が、雨のように周囲へ降り注ぐ。

「う、嘘だろ……拳一つで、あんな化け物を……」

少年は腰を抜かしたまま、ただ呆然と龍騎の背中を見つめていた。

「お、お兄さん……。俊敏と防御だけで、まさかあんな風に粉砕しちゃうなんて。ボクの計算を遥かに超えてますよ、その破壊力!」

肩の上のポムが、驚愕のあまり細かく振動しながら念話を送ってくる。龍騎は小さく息を吐き、付与魔法を解除した。身体から魔力の光が消え、心地よい高揚感だけが残る。


怯える少年を近くの安全な街道まで送り届け、いくつかの古い硬貨をお礼として受け取った後、龍騎とポムは森を見下ろす小さな高台へと移動していた。

遠くの地平線には、今も白く美しい大理石の街並みを魔力灯で照らす、王都ルミナリアの輪郭が薄っすらと見えている。

「たった数枚の銅貨、か。やっぱり、その日暮らしの狩猟者を助けるだけじゃ、大した金にはならないな」

手の中の硬貨を弄びながら、龍騎は静かに呟いた。

「そうですね。お兄さんの力なら、もっと深いダンジョンに入ったり、ギルドで高いランクの依頼を受ければ、一瞬で大金持ちになれますよ! ボクがそのための案内役になります!」

ポムは励ますように、龍騎の首筋に身体をすり寄せてきた。ひんやりとした感触が、戦いの熱を帯びた皮膚に心地よい。

龍騎は王都の光をじっと睨み据えた。

「俺を無能と決めつけ、鑑定の紙切れ一枚でゴミのように追い出した国王アレクシオン。鼻で笑った王子レオンハルト。近衛騎士のクリストフ。あいつらは、他人に施す力しか見ていなかった」

拳を強く握りしめると、硬貨がかすかに擦れ合う音がした。

「見返してやる。そのためには、まず圧倒的な富と、誰も文句を言えない実績が必要だ。この世界のルールに則って、のし上がってやる。ポム、俺に力を貸してくれ。この大陸のあらゆるダンジョンを喰らい尽くして、最強になってやる」

「もちろんです、お兄さん! ボクたち二人で、あの傲慢な人間たちの鼻を明かしてやりましょう!」

ポムの力強い念話が、龍騎の心に深く染み渡る。

ハズレとされた付与魔法を極限まで重ね、世界をひっくり返すための旅路が、今、静かに幕を開けた。



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