第1話:ハズレ付与術師の追放、そして限界突破の始まり
白い大理石の柱が整然と立ち並び、天井からは極彩色の魔力灯が厳かな光を放っている。ルミナス・エルディア王国の中心たる王城の謁見の間は、息が詰まるほどの沈黙に包まれていた。
その中央で、片浜龍騎は冷たい床に片膝をついていた。つい数日前、この異世界に「勇者候補」として召喚されたときの高揚感は、今や完全に吹き飛んでいた。
「――以上が、アストレイア魔導学院の特級鑑定魔導士たちによる最終結論である」
玉座に腰かける国王アレクシオン・ルミナス・エルディアが、低く冷淡な声を響かせた。四十八歳という年齢を感じさせない威厳に満ちているが、その瞳には龍騎を哀れむ色すらなく、ただ無価値なものを排除せんとする冷徹さだけが宿っている。
「片浜龍騎。お前の固有魔力は、付与魔法に特化している。しかし、その効果は他者に対して通常の十分の一にも満たない。兵士の一人に筋力上昇の魔法をかけても、ほんのわずかに息が軽くなる程度。これでは戦力どころか、戦場での足手まといにしかならん。我が国が求めたのは、魔王軍を圧倒する伝説の英雄であり、不良品ではないのだ」
国王の傍らに立つ第一王子レオンハルトが、整った顔を歪めて鼻で笑った。
「父上の仰る通りだ。光と学術を重んじる我がエルディア王国において、使えない無能を養う余裕はない。他の召喚者たちが破格の聖剣技や大魔術を発現させている中、お前だけがそんな『ハズレ属性』とはな。幸いにして魔力そのものはあるようだから、死なない程度に外で暮らすがいい。即刻、この国から立ち去ることを命じる」
龍騎は拳を強く握りしめた。爪が手のひらに食い込み、微かな痛みが走る。
他者への付与効果が極めて薄い。それは鑑定の儀式で突きつけられた残酷な現実だった。だが、弁明の機会すら与えられず、ただのゴミのように切り捨てられる理不尽さに、胸の奥で黒い炎が静かに燃え上がる。
「……分かりました」
龍騎は顔を上げず、ただ短く答えた。ここで縋り付いたところで、この傲慢な王族たちが前言を翻すはずがない。彼は静かに立ち上がり、背を向けた。背後から、貴族たちの冷ややかな失笑が浴びせられていた。
「おい、さっさと歩け。二度とその不浄な足で王都の地を踏むなよ」
背中を硬い甲冑の手に強く押され、龍騎は白い石畳から土の地面へとよろめき出た。
振り返ると、王都ルミナリアの巨大な城門が、重々しい音を立てて閉ざされていくところだった。門の前に立ち、龍騎を睨みつけているのは、近衛騎士長官のクリストフ・ガーディアンハートだった。三十七歳、王家への盲目的な忠誠心で知られるその男の目は、まるで路傍の石ころを見るかのように冷たかった。
「身一つで放り出されるのだ。精々、飢え死にするか魔物の餌にでもなるがいい。それが王国の慈悲を無駄にした無能の末路だ」
クリストフは吐き捨てるように言うと、そのまま門の内側へと消えた。
完全な無一文。手元にあるのは、召喚されたときに着ていた衣服と、体内に流れる微々たる魔力だけだ。
龍騎は深くため息をつき、頭を振った。
「死んでたまるかよ……」
誰に言うでもなく呟き、彼は歩き出す。王都の美しい魔力灯の光が遠ざかり、目の前には薄暗い街道と、その先に広がる不気味な森の影が見えてきた。行くあてなどない。しかし、立ち止まれば本当にクリストフの言う通りになってしまう。龍騎はただ、前を向いてトボトボと歩き続けた。
王都から東へ数キロメートル。常に濃い白霧が立ち込め、一般人の立ち入りが禁じられている天然の防壁「霧幻の白樺林」。その境界線にあたる、寂れた街道の脇で龍騎は足を止めた。
夜の帳が下り、周囲は不気味なほど静まり返っている。疲労と空腹で足がもつれ、近くの古びた切り株に腰掛けようとした、その時だった。
「わわっ! 危ないです、踏まないでください!」
頭の中に、直接、高めの可愛いらしい声が響いた。
「うおっ!?」
龍騎が飛び退いて足元を見ると、暗闇の中で微かに緑色に発光する、直径三十センチメートルほどの球体が存在していた。ぷるぷると震えるその姿は、紛れもなくスライムだった。
「スライムが……喋った?」
「喋ってないですよ、念話です! ボクの名前はポム。しがないグリーンスライムです。それにしても、お兄さんから凄く不思議な魔力の匂いがします。あ、でも、なんだかすごく怒りと絶望が混ざってますね?」
スライムのポムは、身体を上下に揺らしながら龍騎を見上げている。敵意は感じられない。それどころか、驚くほど知的で、龍騎の魔力を敏感に察知しているようだった。
「俺の名前は片浜龍騎。国から『ハズレの付与魔法使い』って言われて、今さっき追放されたところだ」
龍騎が自嘲気味に言うと、ポムは信じられないといった様子で、さらにぷるぷると激しく震えた。
「ええっ!? ハズレだなんてとんでもない! ボクはこれでも賢いスライムを自負してますけど、お兄さんの魔力は、そんな単純なものじゃないですよ。確かに他人に貸し出すための『優しさ』みたいな成分は薄いですけど、その代わり、魔力の密度そのものが異常に濃いです。まるで、全部自分の中に閉じ込めるためにあるような……」
「自分の中に、閉じ込める?」
ポムの言葉に、龍騎の脳裏に電撃のような閃きが走った。
「自分の中に閉じ込める……他人に付与するんじゃなくて、自分自身にかける、魔法……?」
龍騎は息を呑み、自身の内に意識を向けた。この世界に来てから教わった、簡易的なステータス確認の技術。自分の精神世界へと深く潜り、固有魔法の構成を凝視する。
鑑定魔導士たちは「他者への付与効率が通常の十分の一」と言った。だから、他人の肉体にバフをかけようとしても、その肉体が持つ拒絶反応によって、魔法のほとんどが弾かれて消えてしまうのだ。
「じゃあ……最初から拒絶反応が起きない『自分の肉体』になら、どうなる?」
さらに、付与魔法の根本的な性質を読み解いていく。通常、一人の人間にかけられるバフは数個が限界だ。それ以上は肉体が許容量を超えて崩壊するか、効果が上書きされて消える。
だが、龍騎の付与魔法の術式には、なぜかその「上限」を定めるリミッターが存在していなかった。他人に効かない代わりに、自分に対してであれば、無限に、どこまでも重複させることができる構造になっていたのだ。
「おい、ポム。ちょっと実験に付き合ってくれ」
「え? 何をするんですか、龍騎お兄さん」
龍騎は立ち上がり、右拳を軽く握った。体内の魔力を練り上げる。狙うは、自身の筋肉、身体能力の強化。
「付与魔法――筋力上昇」
体内の魔力が動き、自身の腕の筋肉に浸透する。かすかな温かさを感じた。これだけでは、確かに鑑定魔導士たちの言う通り、大した効果ではない。
だが、龍騎はそこで止めなかった。
「筋力上昇、二重。三重。四重……十重……五十重……」
間髪入れずに、全く同じ術式を、同じ場所に、狂ったように重ねがけしていく。普通の魔導士なら二回目で魔力が霧散するか、筋肉が裂ける。しかし、龍騎の肉体は、彼自身の魔力を完璧に、そして貪欲に受け入れていく。
「……九十、九十九、――百重スタック!」
ドクン、と心臓が大きく脈打った。
その瞬間、世界が変わった。
龍騎の全身から、凄まじい密度の透明な魔力の奔流が吹き荒れた。大気が激しく歪み、足元の土や小石が重力を失ったかのようにフワリと浮き上がる。
「な、ななな、なんですかこれー! 魔力の圧力が凄すぎて、ボクが平べったくなっちゃいます!」
ポムが悲鳴を上げながら地面にへばりつく。
龍騎は自分の手を見つめた。見た目に変化はない。しかし、内側から湧き上がる力は、もはや人間のそれを持っていなかった。一歩、足を踏み出す。ただそれだけで、爆音と共に地面がクレーター状に陥没し、龍騎の身体は一瞬で数十メートル先の白樺林の巨木の前に移動していた。
「これが、俺の本当の力……」
目の前にある、大人が三人で抱えるほどの太さがある白樺の巨木。龍騎は軽く、本当に軽く、デコピンをするような感覚で右の拳を突き出した。
ズドォォォォン!!
凄まじい衝撃波が炸裂した。巨木は中央から完全に消し飛び、衝撃の余波だけで、背後に並んでいた数十本の木々がドミノ倒しのように薙ぎ倒されていく。すさまじい突風が霧を吹き飛ばし、夜の森に巨大な空白を作り出した。
静寂が戻る。龍騎は自分の拳を見た。無傷。それどころか、疲れすら一切ない。
「他人に十のバフをかけるのが普通なら……俺は自分に百でも千でも、無限にバフを重ねがけすりゃいい。物理最強の魔導士……いや、バッファーの誕生ってわけだ」
龍騎の唇が、自然と不敵な笑みの形に歪んだ。自分をハズレと呼び、ゴミのように追い出したルミナス・エルディア王国。彼らの傲慢な顔が脳裏をよぎるが、今の龍騎にあるのは、圧倒的な全能感と未来への確信だけだった。
「すごいです……すごすぎます、お兄さん! ボク、こんなの初めて見ました!」
ポムが跳ねるようにして近づいてくる。
「行くぞ、ポム。まずはこの森で生き残る力を蓄える。あの国が、自分たちが何を捨てたのかに気づいて絶望する、その日のためにな」
「はい! ボク、どこまでもついていきます!」
喋る賢いスライムを肩に乗せ、限界を突破したハズレ付与術師は、暗い森の奥へと力強く歩みを進めた。




